礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本国民一人の所有し得べき財産限度を三百万円とす

2021-02-07 06:26:49 | コラムと名言

◎日本国民一人の所有し得べき財産限度を三百万円とす

 石橋恒喜『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の上巻から、「三 要注意青年将校の出現」の章を紹介している。本日は、その二回目。

 西田、北一輝へ傾倒
 〔大正十年〕六月十九日、西田〔税〕は卒業試験のため帰校した。その夜、福永〔憲〕から手渡された日本改造法案を貪るように読みふけった。そして、法案の持つ魅力にとりつかれてしまったのだ。
「――猶存社が具体案として有する此の改造法案こそ吾等一同が魂の戦ひに立つベき最後の日の武器なりと信じて居るのだ。げにそは大川(周明)氏の言ふ如く、日本が有する唯一なる日本精神の体現であり、唯一の改造思想であり、然して同時に世界に誇るべき思想であるのだ」(西田自伝)
 と激賞する。この瞬間、彼と改造法案との結びつきは、もはや離れ難いものとなったのだ。
 ここで改造法案のあらましを説明すると、北〔一輝〕はその著作の中で次のように述べている。
「国民の天皇――天皇は全日本国民と共に国家改造の根基を定めんが為めに天皇大権の発動によって三年間憲法を停止し両院を解散し全国に戒厳令を布く」
「華族制廃止――華族制を廃止し天皇と国民とを阻隔し来れる藩屛を撤去して明治維新の精神を明にする」
「普通選挙――二十五歳以上の男子は大日本国民たる権利に於て平等普通に衆議院議員の被選挙権及び選挙権を有す」
「国民自由の恢復――従来国民の自由を拘束して憲法の精神を毀損せる諸法律を廃止す。文官任用令。治安警察法。新聞紙条例。出版法等」
「国家改造内閣――戒厳令施行中現時の各省の外に下掲の生産的各省を設け更に無任所大臣数名を置きて国家改造内閣を組織す。改造内閣は従来の軍閥吏閥財閥党閥の人々を斥けて全国民より広く偉器を選びて此任に当たらしむ」
「皇室財産の国家下附――天皇は親ら範を示して皇室所有の土地山林株券を国家に下附す」
「私有財産限度――日本国民一人の所有し得べき財産限度を三百万円とす」
 その他、「私有地の限度」「大資本の国家統一」「労働者の権利」「国民の生活権利」「植民地問題」などを規定している。
 要するに法案の示すところは、政治機構では天皇の親政による民主制をとり、経済組織では私人の企業、財産に制限を加えている。そして、国家革新遂行のためにはクーデターの断行を認め、戒厳令を施行して一挙に現政治体制を打倒しようというにある。
〝赤〟というとおぞけをふるっていた軍当局が、この法案を〝右翼の仮面を冠った共産主義革命理論〟と断じていたことは、いずれ二・二六事件の項で詳述する。三月事件から二・二六にいたるまでの不穏事件は、大なり小なりこの著作の影響を受けていることは事実である。北一輝は、やはり〝魔王〟であったのだ。
 六月二十六日、士官学校では秩父宮家創立祝賀会が催された。この夜、西田は殿下から「君、酒はいけるだらう。しかし病後だからよく気をつけ給へ」(西田手記)とのお言葉を賜わった。彼は感激した。これについて彼は、
「――常にかしこき御言葉を拝して居た光栄にまして、感涙の頰を下るを禁じ得なかった」
 と、その手記の中で述べている。かくて七月二十一日の夕刻、西田を中心とした宮本〔進〕、福永らの同志は、秩父宮と秘密会合を持つことに成功。そのさい福永の浄書した日本改造法案や支那革命外史を差し上げた。彼はこの時の喜びを「台上最後の戦ひ」と題して次のように述べている――
「幾年の心願――そは秩父宮殿下に接近の大業である。然も至厳なる側近侍臣の警戒を突破して、革命日本建設を論諍し奉ることは決死的壮挙である。さり乍ら、何故に此壮挙を企図するのか――これ実に世の社会運動者と道を異にする所以である。余が多年思索の結果なる哲学的信仰は、その具現を天皇に見得た。二十四年の歩める道を顧るとき、天皇の国――大日本国の一人として出世の本道を真直ぐに(些も横に歩むことなく)、歩み来りし至幸を、降天至寵の恩遇と万謝せざるを得ぬのである。
 余は余の戦闘的精神――最高我を、日本国に於て天皇に求め得た。然もそは日本の外なる一切の人類に通ずべくある。(中略)
 げに革命といひ改造といふも、そは決して最高我の変更でない。そは良心の変更とも言ふべき妄想なるが故だ。又国家を否む者等は人生に戦闘的精神を見出し得ず、理想を設定することに余りに無謀低劣なる浅薄者共だ。げに国家とは戦闘的精神に生くる人類の最上なる力である。然して日本に於けるそが主宰は天皇である」(西田自伝、原文のまま)
 戦後の人びとにはいささか難解な文章だが、要するに当時(大正十三年)彼の提唱する〝大正維新〟あるいは〝昭和維新〟なるものはいわゆる「一君万民――天皇を奉ずる国家改造であって、直宮〈ジキミヤ〉たる秩父宮への思想的接近工作を行うことにより、間接に天皇との思想的な結びつきを図ろうとしたものと察せられる。【以下、次回】

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