◎神社神道も疑いなく一種の宗教(美濃部達吉)
美濃部達吉著『改訂 憲法撮要』(有斐閣、一九四六年八月)を紹介している。本日は、その二回目。本日は、同書の巻末にある「追補」を紹介したい。
追補は、「一 国家と神道との分離」、「二 内大臣の廃止」、「三 衆議院議員選挙法の改正」、「四 憲法改正草案要綱」の四節からなるが、本日、紹介するのは、そのうちの「一 国家と神道との分離」である。
追 補
本書の内容は今回の改版に当り、概ね昭和二十年十一月末日当時の現状を基準として改訂を加へたものであるが、其の後印刷の進行中、昭和二十一年三月末日の現在まで四ケ月の間に、既に我が憲法及び附属法令に関する種々の事項に付き、著しい変革を生じたものが尠くない。因つて追補として、此処に其の主要なものを記述して置きたいと思ふ。
一 国 家 と 神 道 と の 分 離
昭和二十年十二月十五日附連合国軍総司令部覚書は、日本政府に対し、神道と国家との厳格なる分離を指令した。それは我が憲法の正文の上には何等の直接の影響を及ぼしたものではないが、正文には示されて居らぬ不文的の憲法制度の上には、著しい変革を加へたもので、それは殊に左の諸点に於いて著しい。
一 所謂「宗派神道」は法律上にも従来宗教の一種として他の多くの諸宗教と同一に取扱はれて居たのに反して、所謂「神社神道」は法律上には全く宗教とは看做されて居なかつたのであるが、其の実質から言へば神社神道も疑〈ウタガイ〉もなく一種の宗教であつて、自然崇拝、祖先崇拝及び偉人崇拝を基調とした我が民族的、原始的宗教として、古来我が皇室及び国家との間に密接の関係が有り、国家的宗教即ち国教たる性質を有して居たものである(一五九頁一六〇頁以下)。
然るに右の指令に基づき神道と国家とが完全に分離することとなつた結果は、神社神道は国家的宗教たる性質を失ひ、法律上他の多くの宗教と同一の地位を有するものとなつた。
二 神社神道が国家的宗教であつたのに伴ひ、神宮及び神社は従来国家の公の営造物として国家の管理の下に在つたのであるが(一六〇頁、二〇六頁以下)、神道と国家とが分離せられた結果は、神宮及び神社も亦当然に其の国家的性質を失ひ、最早従前の如き公法人ではなく、単純な私の財団法人となり、宮司其の他の職員は国の官吏又は之に準ずべきものではなくして、単純な私の職員となり、従来供進金等の名義を以て国家から神宮又は神社に与へられて居た財政上の援助も、禁絶せらるることとなつた。地方公共団体から神社に為して居た寄進に付いても同様である。
三 神宮及び神社に於いて行ふ祭祀は、従来は国家の祭祀であり、天皇は其の最高の祭主たる地位に在まし〈マシマシ〉たのであつて、此の御地位に於いての天皇の大権は、憲法には別段の明文は無いが、明らかに一種の大権として見るべきものであり、本書に於いては之を「祭祀大権」と称して居る(一八八頁、二〇四頁以下)。国家の祭祀であるから、国家の法令に従つて行はるることを当然の性質と為し、それに関しては神宮祭祀令、神社祭祀令の定が有つた(二〇六頁二〇七頁)。然るに神道が国家から分離することとなつた結果は、最高祭主としての天皇の御地位も亦当然に解消に帰し、祭祀大権は全く失はるることとなつた。神宮及び神社に於ける祭祀は尚旧に依つて行はれるにしても、それは最早国家の祭祀ではなくして、私法人たる神宮神社が任意に行ふ祭祀であり、随つて又神宮祭祀令、神社祭祀令は廃止せられ、国の法令に依つてではなく、神宮神社の自ら定むる所に依り任意に之を行ふものとなつた。
宮中に於ける祭祀は之に反して従来と別段の差異なく、宮中三殿も亦旧の如くであるが、是は純然たる皇室御一家の祭祀であつて、皇室の家長たる御地位に於いて天皇の行はせらるる所であり、国家とは何等の直接の関係の無いものとなつた。
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