礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「一マイル競走」の原作者はレスリー・M・カークではない

2019-01-17 00:49:36 | コラムと名言

◎「一マイル競走」の原作者はレスリー・M・カークではない

 昨年四月一四日のブログで、〝吉田甲子太郎「一マイル競走」(1946)について〟というコラムを書き、翌一五日に、〝レスリー・M・カークの墓がミズーリ州にある〟というコラムを書いた。本日のコラムは、その補足ないし訂正である。
 昨年の二本のコラムでは、功刀俊雄(くぬぎ・としお)氏による二本の論文(*2007、**2008)に依拠しながら、吉田甲子太郎(よしだ・きねたろう)の「一マイル競走」という作品(初出は、雑誌『少年クラブ』第三三巻第六号、一九四六年六月)について論じてみた。
 功刀氏は、二〇〇七年の論文の中で、吉田甲子太郎の「一マイル競走」の内容を、次のように紹介していた。

 主人公のエルトンは、ある選手権大会(対校競技会とも読める)の優勝を決する一マイル競走に自分の学校を代表して出場する予定であった。そのために長い間練習を続けてきたエルトンは一着になる自信があった。しかし、競技の数日前に彼は監督からチーム・メイトのデンティを一着にさせるために犠牲になって敵の選手をひきずる役を命じられる。勝つことを目的に練習してきたエルトンは勝とうとしてはいけないとの監督の命令に悶々とする。しかし、学校の勝利のために「おまへが、みごとに負けるのを見にいきます」との父の手紙を受け取ったエルトンは、監督の命令どおりに犠牲となることを決心して競技に臨む。競技当日、エルトンは作戦どおりに敵の選手二人を引っ張って疲れさせることに成功する。しかし、最後の一周というときに、後を振り向いたエルトンには敵の選手二人は目に入ったが、ついてきているはずのデンティの姿が見えない。エルトンはもはや疲れ切っている。「敵は、ぐんぐん、せまってくる。」エルトンは、疲れて意識が朦朧とする中、最後の力を振り絞って走りぬき決勝のテープを切る。その直後に二着でゴールした人を見てエルトンは自分の目を疑った。落伍したかと思われたデンティだったのである。こうしてエルトンのチームは完全な勝利を収め、彼はこの日の英雄となったのである。
 以上が作品のあらすじである。リアリティーがあるかどうかは別にして、なかなか面白い作品である。
 
 功刀氏によれば、「一マイル競走」(初出、一九四六年六月)は、吉田甲子太郎のオリジナルではなく、その「原作」があるという。再度、功刀論文(二〇〇八)から引用する。

 ところで、『少年クラブ』に掲載された「一マイル競走」の末尾には、「(レスリー・エム・カーク作「一マイル競走」による。)」と付記されている。また、後にこの作品を収めた〔吉田〕甲子太郎訳著の『空に浮かぶ騎士――海外少年小説選――』の「一マイル競走」にも最後に「(アメリカ、レスリー・M・カーク作「一マイル競走」による)」と付記されている。こうした原作と甲子太郎の作品の関係及び「訳著」の意味について解説した西本〔鶏介〕によれば、甲子太郎の作品は「原作の忠実な訳ではなくて」、「翻案、再話」あるいは「原作に素材を借りた創作」を意味し、甲子太郎自身はこれを「わたしは原作をそのまま翻訳せず、かなり自由な気持ちで日本文に書きあらためた」と説明しているという。カーク及び彼の「一マイル競走」については今のところ何一つ情報が得られていない。カークの「一マイル競走」と甲子太郎のそれとを比較し得ない現状にあつては確かなことは言えないのであるが、甲子太郎の「一マイル競走」はアメリカの児童文学作品(少年小説)を訳出し、そこから「素材を借りて創作」したことはほぼ間違いなく、そこで描かれているチームのための自己犠牲的な作戦、監督の命令、これを忠実に実行しようとするエルトンの犠牲の精神もアメリカの作品から借用したものと思われる。

 さて、四月一五日のコラム〝レスリー・M・カークの墓がミズーリ州にある〟で、私は次のように書いた。

 功刀論文によると、〝カーク及び彼の「一マイル競走」については今のところ何一つ情報が得られていない〟とのことであった。気になったので、インターネットで調べてみたところ、Leslie M. Kirkという人物の生没年、および、その墓石の写真がヒットした。Leslie M. Kirkは、一九一七年七月二一日に生まれ、一九八五年三月一九日に、六七歳で亡くなっている。墓は、アメリカ合衆国ミズーリ州ジョンソン郡ノブ・ノスターというところの、「ノブ・ノスター墓地」(Knob Noster Cemetery)にある。墓には、Vesta Jeanという名前と、その生没年月日も刻まれているが、おそらくこれは、Leslieの妻のものであろう。ただし、わかるのはここまでであって、Leslie M. Kirkが、「一マイル競走」の作者であるかどうかは不明である。

 しかし、ごく最近になって、この部分を、次のように言い直したいと思うようになった。

 功刀論文によると、〝カーク及び彼の「一マイル競走」については今のところ何一つ情報が得られていない〟とのことであった。気になったので、インターネットで調べてみたところ、Leslie M. Kirkという人物の生没年、および、その墓石の写真がヒットした。Leslie M. Kirkは、一九一七年七月二一日に生まれ、一九八五年三月一九日に、六七歳で亡くなっている。墓は、アメリカ合衆国ミズーリ州ジョンソン郡ノブ・ノスターというところの、「ノブ・ノスター墓地」(Knob Noster Cemetery)にある。墓には、Vesta Jeanという名前と、その生没年月日も刻まれているが、おそらくこれは、Leslieの妻のものであろう。
 ただし、このLeslie M. Kirkなる人物は、たぶん、吉田甲子太郎の「一マイル競走」とは、何の関係もない。私見では、吉田甲子太郎が、アメリカの児童文学作品(少年小説)から「素材を借りて」、この作品を書いたというのは、全くの嘘(フィクション)である。その素材に相当する「アメリカの児童文学作品」なるものは存在せず、「レスリー・M・カーク」というのも、吉田甲子太郎がツクリあげた架空の人物である。

 このように言い直さなければ、と思ったキッカケについては、次回。なお、功刀俊雄の二本の論文に関するデータは、次の通り。いずれも、インターネット上で閲覧が可能である。

*2007 功刀俊雄 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検討(一) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第3号 2007年4月 
**2008 功刀俊雄 小学校体育科における「知識」領域の指導:教材「星野君の二塁打」の検討(二) 教育システム研究(奈良女子大学教育システム開発センター)第4号 2008年4月

*このブログの人気記事 2018・1・17(6位の藤村操は久しぶり)

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