◎参謀本部の今村第二課長と相談しよう(池田純久)
石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の上巻から、「錦旗革命」関係の記述を紹介している。
本日は、その四回目で、「決行か中止か」の節を紹介する。
決行か中止か
十月四日夜、陸軍省調査班員の田中清大尉のところに、橋本〔欣五郎〕から速達郵便が届いた。「明四日、打ち合わせたいことがあるので、森ケ崎の〝万金〟までお出でを乞う」というのだ。翌日、田中が「万金」へ行ってみると、長〔勇〕、田中(弥)、小原〔重孝〕らが待っていた。彼らは言う――「今や国内変革決行せらる。陸軍省、参謀本部をはじめ近衛、第一師団等すべて国内変革に向かって準備中。海軍また然り。まずクーデターにより政権を軍部に奪取して独裁制をしき、政治変革を行う。この計画に参加して、助力せられたし」、と。田中(清)は陸大を出てから東大に派遣された学究肌の少壮将校。三月事件以来の桜会の同志でもある。同憂の将校たちと、国家革新の研究立案にあたっていることでも知られていた。
長らは田中に問われるままに、革命計画のあらましを語った。その筋書はすさまじかった。田中は仰天した。彼はその時の感想を、いわゆる「田中少佐手記」の中で次のように綴っている。
「即ち何れの方面より見るも彼等の企図は何等の成果を収むる能はず。而巳ならず此の如きは建軍の本旨に反し国家改造の唯一の力強き源体たるべき軍部を破壊するや大にして其損失甚だ大なりと云はざるを得ず。吾は如何なる手段に訴ふるも之を中止せしむべく而かも其中止に当たりては彼等をして充分納得出来得る如く啓蒙せんと期す……吾は長少佐、田中(弥)大尉、小原大尉に対し彼等の企図しつつある行為の著しく我が国家に不利益を来すこと、国軍を破壊する大、国際関係上の不利益、我が産業財政経済等に及ぼす悪結果等より殆んど成功の絶望なること等を説き思ひ止まるべく説けるも遂に十分其の目的を果たし得ず。唯彼等に反省を促し得たるに止まる」(原文のまま)
十月十二日の夕刻、陸軍省から帰宅の途中、田中清は首相官邸横を通りかかった。するとそこに田中弥が立って何かやっている。清は陸士二十九期、弥は三十三期出の後輩。弥は同期の山口一太郎と肩を並べて、英才をうたわれた俊秀だ。もちろん陸大では恩賜の軍刀組。そこで清が「何をやっているのかね」とたずねると、彼は肩をそびやかして答えた。
「首相官邸に対する現地偵察ですよ……」そして、今夜、大森の松浅で革命作戦会議を開くからぜひ来ていただきたい、と参加を求めた。田中(清)が松浅へ行ってみると、橋本、馬奈木〔敬信〕、田中(弥)、小原らが額を集めて密談していた。田中(弥)が〝極秘ですよ〟といって計画のあらましを洩らした。彼は慄然とした。警祭署長クラスの小者までも斬撃の目標であるという。橋本の背後には、第一部長の建川〔美次〕と支那課長の重藤〔千秋〕がいることも分かった。
翌十三日、田中(清)は出勧すると、軍務局徴募課の池田純久〈スミヒサ〉少佐に相談した。池田は彼より陸士は一期先輩の二十八期生で長や馬奈木とは同期。同じく東大の聴講生だ。革新派ではあったが、桜会には加盟していない。池田もびっくりした。
「それはえらいこった。余りにも無謀過ぎるぞ。何とか暴発を食いとめないと、たいへんなことになる。ついては参謀本部の今村第二課長と相談しよう。君もいっしょに行ってくれたまえ」
今村(均)は八月の人事異動まで陸軍省の徴募課長で、池田の直属上司であった。同夜、二人は世田谷豪徳寺に今村を訪問して、橋本一派の計画を密告した。寝耳に水の今村も仰天した。
「私は絶対にクーデターに反対だ。今もし陸軍が武力で現政府を倒し、軍部内閣を作ったら、国民も列国も滿州事変は陸軍の野望によるものと判断するに違いない。ことにわが将兵が満州で戦っているときに、国内で兄弟がせめぎあうことは大きな間違いだ。私はこれからすぐ建川少将を訪問して、彼らの企図を中止させるようお願いしてみよう」
今村は、すぐさま渋谷の建川宅を訪れて、情勢を報告した。
翌朝、今村が登庁すると、隣室の第一部長室で建川と橋本が二時間あまり話し込んでいた。やがて橋本が出て行くと、建川から呼ばれた。
「橋本にゆうべの話を聞いてみた。そして、自分も不同意であるむねを伝えて、中止するよう説得した。なかなか言うことを聞かなかったが、閣下が〝それほどまでにおっしゃるなら、一応やめることにいたします〟といって帰った。これから次長(二宮)のところへ行って、いっしょに報告してくれたまえ」
建川と今村が二宮〔治重〕に報告していると、突然、陸軍次官の杉山〔元〕がはいってきた。
「いま、露班の橋本中佐がやってきて〝ご心配をかけましたが、もうやらないことにいたしました。ご安心ください〟などと雲をつかむようなことをいう。いったい、何か参謀本部で問題があったのかねえ」
そこで、今村は改めて橋本一派の企図について説明。建川からは橋本が翻意したむねを語った。
「それはよかった。そんなバカげたことは絶対にいけない」
そう言い残して杉山は帰っていった。今村はホッと胸をなでおろした。すると十六日の午後四時ごろ、不意に支那班長の根本〔博〕が部下の影佐〔禎昭〕とロシア班の藤塚〔止戈夫〕を伴ってやってきた。【以下、次回】
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