礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

内郷村における村落調査に対する小野武夫の「皮肉」

2012-09-12 05:24:05 | 日記

◎内郷村における村落調査に対する小野武夫の「皮肉」

 昨日の続きである。農政学者の小野武夫は、昨日引用した部分に続けて、次のように述べる(『農村研究講話』二七~二八ページ)。

 唯一つ心得なければならぬことは、村落の調査項目を定むるに当つては、柳田氏も言はれて居る通り唯漫然と、何でも彼〈カ〉でも手当り次第に調べて羅列しさへすれば宜しいと云ふ様な態度を取つてはならぬことです。村を調査する人は調査其物を以て目的とせず、調査した事柄の中から何物かを探り出すことが眼目でなければなりません。勿論種々雑多なる現象や事柄が雑存して居る村のことですから、調査の進むに従て色々の事が出て来ませう、其れのみならず、最初から調査項目を拵へ〈コシラエ〉此の項目の網を以て村の事情の凡べて〈すべて〉を漁獲〈ギョカク〉しようとする場合には、数十数百の事柄が雑然又紛然として引き懸つて来るに違ひありませんが、調査者は此の粉雑せる事象の中から、自ら求めんとする幹線を見出し、此の幹線たる大道を歩みつつ観察すると云ふ気持を初から持つことが大切です。大道なくして縦横に乱走せる小径を右往左往して居ては、結局疲労と無収獲に終ることは判り〈ワカリ〉切つて居ます。今日各地方で或は村是〈ソンゼ〉調査とか、村誌とか無数に編纂せられて居ますが、此等の編纂書から果して何程の農村政治や自治制の方針と智慧が求め得らるるかは疑問であります。勿論、異常なる博識達眼の士ならば、紛然又雑然たる調査資料の中から直に〈タダチニ〉一条の大理路を発見することも出来ませうが、日本の村落の何処〈ドコ〉にも、斯る〈カカル〉頴才〈エイサイ〉が住まつて居ようとは思はれませんから、何事も普通尋常の能力を目標とし充分周到の用意を以て取り懸ることが肝要です。

 いかにも一般論を述べているようだが、柳田國男を中心とした内郷村の村落調査(一九一八)に対する、かなり辛辣な批判とも読める。同調査は、「大道なくして縦横に乱走せる小径を右往左往」し、結局のところ「疲労と無収獲」に終わったという――。
 ここで項を改め、小野は、さらに次のようなことを述べる。

 (ロ) ソンプスン氏の村落研究心得
 村落研究の方法としては前項に逃べたるが如く、先づ所要の調査項目を定むることでありますが、斯くして設令〈タトイ〉調査項目は定まつても、調査の実施上適当の注意を以てしなければ、其の功を成すことが至難であります、即ち村落は農民の住所、蜂に例ふれば其の巣でありますから、他から入り来りて〈キタリテ〉其の村の調査に従事する人は其処〈ソコ〉に非常の熱心と親し味〈シタシミ〉を持たなければ巣の内容に触るることは出来ません、村の調査に際し東京あたりの貧民窟の調査に出かけたる紳士淑女が、其の町の人により嫉み〈ネタミ〉と厭や味〈イヤミ〉を以て観らるるにも似たる態度が目に付いたならば、其れこそ最後でありますから、斯る〈カカル〉素振りが見えたならば、調査者は其足を村の中に入れずして早く引き揚ぐるが宜しい、我物ならぬ他人の住所を調べようとするのでありますから、其の住居地域の人々を親しき友とし、心置きなく互に相語り、相交はるの気分を作り出してからで無ければ、村の調査は到底出来るものではありません、其れは単に村の長たる二三の顔役ばかりで無く、凡べての村民に対して親しい友達とならなければなりません、此の心得なくして村落の調査を試むることは啻に〈タダニ〉其人自身の失敗に終るのみならす、患〈ウレイ〉を遠く後代の農村研究家に及ぼすことにもなりませう。気を付けねばならぬことです。
 村落研究上の注意としては曾て〈カツテ〉米国の社会政策学会の年報に於て農務省の農政技師「ソンプスン」C.W.Thompson氏が其の意見を陳べ〈ノベ〉られたことがあります、固より〈モトヨリ〉米国の農村と日本の農村とは其の性質と形態とが著しく異りますけれども、其の研究上の注意としては同氏に学ぶべきものが尠く〈スクナク〉ありませんから、左に同氏の意見を紹介いたします、私は曾て此の訳文を「帝国農会報」に掲載致しました処〈トコロ〉、多少の共鳴者もあつたと見えまして、信州某郡〔東筑摩郡〕の郷土調査会では、此の小訳を抜録し印刷に付して調査員に配付したとかで、柳田〔國男〕氏から其印刷物を見せて貰つたことがあります、故に私が同氏〔ソンプスン氏〕の意見を茲〈ココ〉に採録するのは決して他山の石を拾ふ位の肩の持ちようではありません、もつと深い尊敬を異国の学者に払ふての計ひ〈ハカライ〉です。「ソンプスン」氏の文題はRural Survey〔農村の調査〕としてありますが、今其の訳文を左に掲げます。

 この部分もまた、内郷村の村落調査に対する批判(皮肉)と読めなくもない。というのは、後ほど確認するように、この時の調査団は、柳田國男貴族院書記官長を初め、大物揃いであった。調査にはいる前に、村の「二三の顔役」と顔をつないでいたことはあったようだが、とても「凡べての村民に対して親しい友達」になるといった雰囲気のメンバーではなかったと思われるからである。
 小野武夫は、そうしたことを十分に承知した上で、あえて、このような皮肉を発しているのではないだろうか。ただし、この調査には、小野自身も深く関わっているという事情からか、そうした批判や皮肉は、一応は婉曲な形のものになっている。
 さて、この問題に関しては、このあとさらに、次の三点に触れなければならない。まず、この内郷村の調査の概要と性格。次に、小野が紹介しようとしていたシンプソンの「村落研究心得」の内容。最後に、「信州某郡」で、小野訳の「村落研究心得」が配布された経緯である。
 それぞれ、かなりの字数を要すると思うが、順に述べてゆきたい。ただし明日は、都合により、別の話題を入れることになろう。

今日の名言 2012・9・12

◎大事なものは売り、つまらないものばかりが残っている

 作曲家・船村徹さんの言葉。昨11日の東京新聞夕刊「この道」より。船村さんは、毎日、五線譜による作曲日記をつけていたが、紙くずとして売ってしまった。「食うや食わずの生活だった当時、紙は古紙業者に高く売れた」からだという。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 津久井郡内郷村における村落... | トップ | 小阪修平の「習俗について」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事