礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなもの

2024-11-28 00:05:56 | コラムと名言
◎日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなもの

 カレル・ヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社、1994)の要所要所を紹介している。本日はその四回目。
 第一部「よい人生を阻むもの」第四章「官僚独裁主義」から、その一部を引いてみよう。

 このシステムには、最終的な「説明する責任【アカウンタビリテイ】」がない。つまり、日本で最も力をもっている人たちと、公式に民主主義国である以上は主権者である普通の人々とのあいだの、政治的コミュニケーションを可能にする機構がない。権力者がある政策について人々にきちんと説明し、人々が別の政策について権力者に一般的な方向づけを与える――そうしたコミュニケーションがない。官僚たちは、何をしているか、なぜそれをしているか、人々に伝えず、人々は「公僕」たちが何をすべきか、官僚たちに伝えない。
 政治家の公的役割は、公僕すなわち「人々への奉仕者【パブリツク・サーバント】」であるとされる官僚たちと、その人々【パブリツク】とのあいだを、仲介することだ。しかし政治家はそれができていない。理論的には、公式の政府を形成すべく選出された政治家たち(すなわち首相に率いられた内閣の閣僚たち)だけが官僚に権力を振るえる。しかし閣僚たちは長らくそれをなしえていない。彼らは、民主主義において当然彼らがなすべきこと、すなわち政治的説明責任の中枢を形成する努カをしていない。
 人々の代表者である政治家がこんなに弱体なのは、人々の支持がないからだ。政治家は人々に信用されていない。そして、彼らが弱体のままでいる一つの理由が、頻繁に起こるスキャンダルだ。スキャンダルが、政治家は生まれつき利己的で腐敗した拝金主義者だという偽りのリアリティを強化する。
 これらの要素がすべてからみ合って、日本ほど規模の大きい進んだ経済システムなら当然もたらすべき利益を、日本の人々にもたらしていない。そういう状況がずっとつづいてきた。しかも日本の中間階級は政治的に骨抜きにされ、したがって利益を求めて闘うことができない。
 つまりは、日本人の民主主義は中身のない貝殻のようなものにすぎない、ということだ。その貝殻のなかで多くの「民主主義的」儀式がとりおこなわれているが、それも日本の市民を誤らせる偽りのリアリティをばらまいているにすぎない。民主主義の形をした殻のなかで実際に機能している権力システムは、「官僚独裁主義(bureaucratic authoritarianism)」と呼ぶべきである。〈88~89ページ〉

※そろそろ11月も終わろうとしているが、わが家に自生しているアサガオ二種のうち、葉がハート形で青い花が咲くほうは、今朝も一輪、花をつけていた。葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、今月20日に、二輪が咲いたのが、たぶん最後だったと思う。

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