江田神社(宮崎市阿波岐原町産母127 )の東に位置する「みそぎ御殿」をご紹介します。俳優、堺雅人がブレイクするきっかけとなった神社といわれています。市民の森駐車場から、歩くこと5分。神話に登場する「みそぎ池」に由来するみそぎ御殿があります。
みそぎ御殿のお世話をされている関係者から、堺雅人さんが年数回は来ていると聞きました。さまざまな役をこなせる万能型の役者だからブレイクするのは当然だとは思うけれど、同郷の宮崎県人としてはうれしい。
みそぎ御殿とご縁ができて10年。年を重ねることで祈りと願い、一方、験担ぎの意味から参拝することが多くなったようにも思います。(上記の写真は、以前撮影したものです)
標記は、好きな言葉のひとつです。
親切やお世話は大切ですが、塩梅やさじ加減を考えないと、手助けしているつもりが「○○してくれない」など依存的になりがちです。そのことで、その人が本来持っている力を削ぐことにもつながってしまいます。
また、そっとしておく期間は、自分との対話が必要な時間。それは命の根が深くなる瞬間です。その人にとって、そのことが今までの自分との別れなのか、新しい自分に昇華する時なのか。
だからこそ、今は、そっとしておくことべきかと・・・。
私はどちらかというと、世話焼きタイプに属します。
よって、人をよく観ることが判断の見極めになると、この言葉を胸に刻んでいます。
話によると、お孫さんが喜ぶからだという。特にきゅうりは、ワンシーズンに何十本も収穫しているとのこと。以前、収穫前のスイカが盗難にあったことから、現在は毎日のように閉店時にお店内に鉢を移動しているとのこと。高齢の店長が、お孫さんのために、毎日重い鉢を抱えていることを思うと、「ご苦労様!」と言いたい気持ちになる。
ちなみにお店の名前は、橘屋酒店。手に入りづらい「100年の孤独」「野うさぎの走り」など、ネット販売をしています。くわしくはこちらから。
これまでは、スクラップ帳に貼って、何冊ものファイルを保管、記事を探し出すのに苦労したことを考えると時代は変わった。
記事をタイトルや記事の全文検索から、選び出せることが何より便利である。
詳細はこちら。
知人が共著の岩切裕さんと同級生とのことで、「絆なお強く」を貸していただいた。早速、手にとったが、内容は口語調で読みやすく4時間足らずで読み終わった。
地村保さんの息子、保志さんの拉致による失踪後間もなく、母親は心痛のあまり倒れてしまう。父親の地村保さんは、妻の介護に明け暮れながらも仕事を続け、同時に息子の消息と救出を求めて、思いつく限りの行動をとってきた。一徹な父親のあくなき執念、それは24年間にも及ぶ壮絶な闘いの日々でもあった。「やっちゃんは必ず帰ってくる」と息子の生存を信じて、24年間待ち続けた父親の執念と行動力。(本の紹介文より)
本を読んで感じたのは、地村さんの愛の深さだった。息子さんは苦難の末、帰ってくるものの、奥さんは息子を顔を見ることも叶わず帰国の半年前に他界。そんな地村さんを綴ったページを紹介したい。(北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、拉致被害者家族会元代表の横田滋さん(87)の訃報を聞き、以前ブログで紹介させていただいた文章を掲載させていただいた。人間について、また人権や国家ということを改めて考えさせられます。)
(掲載ページ53~54ページより転載)
夕方6時半くらいになると、家内の顔と体をぬるま湯でふいてやるんや。一日じゅう寝たきりでいると、これが気持ちええんかほんまにうれしそうな顔をするんや。
退院する前に介護の仕方もいろいろ説明を受けとったもんやから、わしはそのことを毎日忠実に実行した。
いまでは常識になっとる、寝たきりの人向けの介護方法、たとえば血行を促したり、運動不足を補うために筋肉をもんでほぐしたり、膝の曲げ伸ばしなどの基本的なものに、わし白身で工夫したマッサージも加えた。もちろん、床ずれなぞせんように、まめに体の向きを変えたり着がえをさせたりと、介護に専念したもんやから、いつやったか家内の体を見た看護師にわしはほめられた。「介護が行き届いていますね」言うて。
夕食の支度も慣れるにつけ、うまくできるようになった。仕事の現場をのぞいた帰りなんかにスーパーに立ち寄って、惣菜やそのほか必要なものを買い込むのが日課になり、味噌汁を作ったり、季節の食材を工夫して家内が喜ぶように精いっぱいの食事をこしらえた。
家内の介護をしながら、わしにも自然にわかってきたことがある。それは、できうる限り相手の立場になりきらねばならんいうことや。けっして先を急いではいかん。介護される身になってみれば、自分の思いどおりにならんことが多いと、イライラや不満が重なり、かわいそうやし、精神的にもおかしくなると思う。家内と気持ちを一つにすることで、わしはその手足として役に立っている自分に満足した。
世の中を忙しく突っ走っている人にはむずかしいかもしれんが、弱者へのいたわりがわしの心に芽生えていった。そやから家内のプライドを大切にし、雑な扱いをすることがないよう心がけたんや。
二人で湯ぶねにつかっとると、ほんの一瞬なんやがなんか心地いい、平和な気分にもなった。ほんまに皮肉なもんや。やっちゃんらが失踪せなんだったら、こうして二人だけで向き合う時間もなく、相変わらず仕事に追われる生活が続いとったやろう。一緒になって、こんなにゆっくり家内の顔を見たことはなかった。
わしは家内の介護で、本当に充実した夫婦の時間を授かったように思う。
世の中には、夫婦が生活のために一生懸命働いたにもかかわらず、いつの間にか心が通わなくなり、崩壊してしまう家庭もある。
そやから、わしは家内の介護がつらいと思うたことは、ただの一度もなかったんよ。そら男やから、こった料理とかでけへんし、限界もあったけど、とにかくこれ以上でけんほど精いっぱいのことをやった。わしは食わんでも、家内には三食きちんと食わせとった。
家内が昼寝をしとる時間を見はからって、わしは洗濯機を回した。そのころは大人用の紙おむつなんかあらへんし、ボロ布や浴衣をほどいておむつにしとったもんやから、日に三回くらいは洗濯せんならんかった。もちろんかぶれを防ぐために体は必ずぬるま湯できれいにしてやって、清潔第一を心がけとったわな。天気のいい日には車いすで何度も散歩するんやが、楽しそうにしておった。
わしには家内のしぐさで何をしてもらいたいのかがすぐわかるようになった。やが、一応それを言葉にして確認するようにした。のどか渇いたようなそぶりをすれば「何か飲むか?」と聞く。すると、うなずくんや。
家内は、テレビの上にある保志の写真立てを取ってくれと、しょっちゅうねだった。胸元に持っていってやると、不自由な手でそれをふところにしまうしぐさをしよるんや。そうして写真を抱きながら、いつも涙流しとったわ。倒れてからも保志のことしか思わなんだろう。不自由な言葉で、保志の名前ばっかり呼んどったわな。
「こんなにお前のこと、めんどうみとんのやで。たまにはわしのことも好きや言うてみたらどうや」冗談でそう言うたこともあったけど、力なく笑うだけやった。
7/11 追記
北朝鮮による拉致被害者で2002年に帰国した地村保志さんの父、地村保さんが10日亡くなりました。93歳でした。新聞報道で知りました。ご冥福をお祈りします。
著者は、参勤交代などの長く続いた作法や慣習による物入りなどで、借金が積み重なっていくと同時に、繁文縟礼が積み重ねって、にっちもさっちもいかないものになったいった幕末の時代背景と、現代を重ねているように思える。
で・・いろいろと考えた結果、書類の言い訳、同調圧力、先の見えない不安がそうさせているのなと思った。不安が不安を呼び、そうさせているのか・・と。そんな時代背景をひとり考えながら、ちと、国の未来を思う。
3回目となりますが「人間として一流を目指す」(上甲 晃著 モラロジー研究所発行)より、一部を転載させていただきます。私はセミナー講師をしておりますが、いつも葛藤しています。それはどうしたら、受講されている方が自ら具体的に「動く」お手伝いができたかということです。それは、いい話だったな・・では、意味がないと思うからです。
そんな私がこころ惹かれた一文を紹介させていただきます。
あけみんさんによる写真ACからの写真
松下幸之助らしい人の育て方のエピソードのひとつをご紹介します。
講座では土谷氏から、「未来への答えは「人」の中にある、私がいつも心がけているのは、不満より満足していること、不足より足りていること、または必要のないと感じるもの、こうしたことをなるべく聞くように心がけています。デザインとは機能を付け足していくのでなく、いらないものを削ぎ落としていくことの中にヒントがあると思うからです。」と話された。
また、アンケートの回答からのデータ収集・解析。また、対話の中から情報を積み上げ、そのデータの背景を想像していくことが重要であると。
たとえば、寝室が別という夫婦が3割という調査結果がある。その理由の背景には、どんなことがあるのだろうか。夫、妻をゆっくり寝かせてあげたいという思いがあると仮定したら、どうだろうか。
新社会人になったとき「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を教わりました。
新しい野菜!ことばがあると、災害支援をしている知人からフェイスブックにて紹介していただきましたのでお伝えしたいと思います。
こまつな=困ったら・使える人に・投げる
非常時にはさらに大切なことだと思います。
先月、山家 正尚氏(株式会社プロコーチジャパン代表取締役社長)の標記セミナーに参加しました。山家氏は、アイスホッケー女子日本代表のメンタルコーチとして、ソチ、平昌オリンピックに出場し入賞するなど活躍しています。プロコーチとして、コーチング手法に禅や瞑想、ヨーガ等を積極的に取り入れ、経営者・プロスポーツ選手のメンタルコーチングを行い、もっとも自分らしい生き方・活躍を創造しています。 上場企業経営者、プロ野球、Jリーグ、プロゴルファーなどを支援しています。
セミナー最初にお見かけしたときは、なんて爽やかな方なんだろうと感じる程、第一印象にもこころを配られている方と思いました。「言葉」や「対話」によって、その人らしさに気づいたもらうパーソナルコーチングは、ある意味カウンセリングとも似ていると感じました。コーチングについて、改めて学びなおしたところです。2回に分けて、学んだことを紹介していきます。
現在、山家氏がおこなっているコーチングは8割が電話によるもので、月1回から4回、30分から90分の対話や対面方式でおこなっているとのことでした。そのやりとりは、支援者の思考状態を対話と観察により、支援者の情報を集め、行動へと誘い、理想の世界を支援者とともにつくっているというものです。確かにイメージとしては理解できますが、実際はどうなっているのだろうと思いました。
人は誰でも、行動と考えの間(理想と現実)にズレや常識への囚われや世間体などのノイズがあります。そのズレに対して自己対話を促進していく関わりをすることがコーチングなのだと私的には理解しました。
次にメンタルトレーニングの必要性について学びました。それは、本番で100%の力を出し切ること、セルフイメージを上がるためだと話されました。人間はどうしても上限を決めてしまいがちになりますが、その見えない天井を打ち破るために必要とのことです。
これまで山家氏が出合ったメンタルに強い選手の特徴として、今必要な意識を純粋に対象へと向けられる人とのこと。頭もこころも、そのエネルギーに、共振し、共鳴していくようになる。勝ち負けはコントロールできませんが、勝利の精度を高めることはできるようです。だからこそ、できることは、今ここに意識を向けられるか、ここにない悩みや囚われを切り分けるスキルが必要だと思います。
今ここにない悩みとは、自分が作り出しているものが多く、周囲のノイズ、感情、不安。特に感情は自分が作り出していることが多く、また不安は無知からくるもので、経験することで補われるとのことでした。考えてみると、自分で作り出しているということは自分自身でコントロールできるということであり、そのためのメンタルトレーニングを行えばよいということ。
一般的には、誰かにお願いすることには敷居が高いので、まずはセルフコントロールから始めましょう。上記の図のように、まずは自己内対話を深め、客観的に自分をみつめる機会をつくることだと思います。
日記を書く、メモを取るなど、可視化して振り返ることから始めてみたいですね。
PHP「幸せを呼ぶ暮らしの言葉31」を久しぶり手にとってみた。案内文には、「幸せを運んでくるものが幸運であり、その幸運は言葉にのせてやってくる、言葉は幸せを運ぶツールのひとつで、いつも良い笑顔の人はよい言葉を使う」。一方、人との出逢いは、その人の言葉を聴くことであり生き方に触れることであり、さまざまな言葉は体験の中で紡ぎ出されていくもの。そんな言葉の数々を生活のシチュエーションごとに紹介し、解説している。苦しい時、失意の時、そして頂点の時、言葉は背中を押してくれたり、いさめたりしてくれるありがたい存在。従って、受け取る自分の感性と意識だと書かれており、上手いことをいるなと感じ入ったところ。その掲載内容の一部を紹介したい。
◎気になった言葉
【お出かけ】
肌の色よし!笑顔バッチリ! 中山庸子(エッセイスト・イラストレーター)
【そうじ】
窓を掃除しよう。新しい風が入ってくるよ 上大岡トメ(イラストレーター)
こころも身体もピカピカになあれ!沖幸子(生活経済評論家)
【洗濯】
人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある(坂本龍馬) 朝倉ユキ(ゆるベジ料理研究家)
【収納】
自分を収納に合わせるのではなく、収納を自分に合わせる 本多さおり(整理収納コンサルタント)
【炊事】
一日という点が連なって人生という一本の線になる 大原千鶴(料理研究家)
【子育て】
手がかかった分だけ、思い出が刻まれる 榎本博明(心理学者)
【片付け】
散らかしては片付け、散らかしては片付けるのが人生(小島慶子)
【お金】
「どうせ私は」で金運が逃げる(小林祥晃)
【人生】
料理を美味しくするのは一降りの塩。人生でも苦労という塩をいただくことで深くも優しくもなるのです (川村妙慶)
今日の私が人生で一番若い! 宇佐見百里子(作家・カウンセラー)
1月23日の研修ネタを探していたところ、本棚の一冊から「クリティカル・マス」について記述を見つけました。「結果はなかなか出ないけれど、これまでの努力を信じよう」などと、これまでの苦労や努力を認めながら、前へと進んでいけるはずです。以下の内容を転載します。
私たちの習慣病の1つに「タテとヨコの比較」があります。頑張っている隣人に倣って、自分もがんばろうと思うことはあってもいいのですが、隣の青い芝生を恨めしく思い、競う現代病です。それに代えて、「タテの比較」をお薦めします。「タテの比較」とは、昨日の自分と比べて今日、1ヶ月間に比べて今日、1年間の自分に比べて進歩しているどうか、と考えてみることです。
他人と比べてではなく、自分のライフヒストリーをタテに眺めたときに「あぁ、自分にもこんなことができる」「自分はこんなことをしてきた」という、自己効力感や達成感にもとづく自信が芽生えます。これは、次の挑戦につながっていく健全なものなのです。
あなたは、逆上がりを、だんだんできるようになった人を知っていますか? 逆上がりなどは、懸命に練習を続け、努力を重ね、ある日突然できるようになります。このように、成果があらわれるまでに必要な知識量、練習、経験などの総量をCitical Mass(クリティカル・マス)といいます。
私たちの成長も逆上がりと同じで、成長をグラフで表すと階段状になります。努力を続けて、課題を乗り越えたときに成長するのです。一定量に達するまで進歩(成果)が見えにくいため、努力してもなかなか結果が出ず、途中で辞めてしまう人が大勢います。
たとえば、逆上がりができないから、縄跳びにしよう。縄跳びがうまく飛べないから水泳をしよう……などと、どんどんやることを変え、最終的には、自分に合うものが見つからず、自分探しに明け暮れてしまうのです。クリティカル・マスを知っていれば、努力のしがいがあります。「結果はなかなか出ないけれど、これまでの努力を信じよう」などと、これまでの苦労や努力を認めながら、クリティカル・マスを待ち望んでください。(畦柳 修著 キャリアデザイン研修 実践ワークブックより)
上記は成長していく自分を可視化した考え方です。根本に流れる考え方は、判断軸が相対的なのか、絶対的かということかなと思います。他の人との比較で自分の幸せを確かめたりしていると、その時の世の中の空気や、その時々の感情に流されたりして、自分自身が不安定になるように思います。去年の自分より1%でも良くなっていれば、自分を認める。そんなことの方が、大切かと思います。
学校で教える教科のうち、算数もスポーツも正しさや勝ち負けの基準がはっきりしている。音楽ですら決まり事がある。
しかし、美術だけは他人と違っていることが褒められる。人は皆違うという思想が美術の基盤にあります。
美術には、一人ひとりの作り手と社会の「ずれ」が表れます。大事なのはそうした多様性を評価すること。忘れられていくものや現代の少数者の意識をすくい上げ、未来への不安を表現するのも美術。だから見る人には新しい体験を与えてくれるのです。
お正月気分も抜け、今日から新しくギアを入れ、一歩前へ。昨年よりちょっとだけ良い1年にしましょう!
標記は、第一生命「サラリーマン川柳」よりの一句。今の時代を言い当てている句だと思い、考えを巡らせてみた。
その前に減らす人もいなくて、少ない人数で回しているのに、成果だせなんだけどね・・。人を機械のように命令すれば答えがでてくる錯覚している人が増えていると感じる。何故そのように意識に変わったのだろうか。理由のひとつに、世の中に便利なものに囲まれて生活する中で、せっかちになったことが考えられる。
車、パソコン、スマートフォン、家電製品。そしてお金を出せば、料理、掃除、リラクゼーションなどのサービス、便利になった。そして、お客様は神様になった!?。
一方、それらのサービスの質が少々不満であったりすると機嫌が悪くなる。また、道路が渋滞しているという避けられないことに対しても、不機嫌になる自分も感じる。便利な生活に慣れてくるとそんなささいな出来事さえもストレスになる。
しかし、考えてみると、ある時はサービスを受ける側であっても、サービスを提供する側になる可能性は高い。そして、サービスを提供する側、される側ともにストレスのスパイラルに陥る。そんな世の中に向かっているのではないか。そもそも人間には、時間、能力、人間関係という限界もある。だからこそ、許し合うということが大切なのではないか。
今一度、立ち止まって考えてみたい。忙しく過ぎていく毎日、せめて自分や周りの人達が日々楽しく仕事、そしておつきあいができる配慮、また自身が経営者ならエンゲージメントを感じられる職場の仕組みづくりをおこなうなど、何かできるかも知れない。
NHK,100分で名著「河合隼雄」より
二人の僧が 旅に出て、川に行き当たった。橋も船もなく 渡るためには川へ入らなければならない。
そこに、美しい女性が 向こう岸に渡れず困っていた。すぐに 一人の僧が彼女を抱いてその川を渡った。そして、向こう岸で彼らは別れた。
河合 隼雄(かわい はやお、1928年6月23日 - 2007年7月19日)
日本の心理学者・心理療法家・元文化庁長官。
京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。