私は
母の時も、父の時も
病院の医師から病名告知と、あまりにも短い余命宣告を受けた。
両親のショッキングなMRI画像が脳裏にやきついて取れない。
私は
母の時も、父の時も
病名と余命を本人へ告知するのをやめた。
人の人生の終末・・・
失望感をもって生きるなんて、あまりにもむごいと思ったからだ。
父は、病気が発覚する前に
「何か欲しいものは無いか?なんでも買ったる。買ったる。」
と、やたらと欲しいものは無いかと尋ねてきた。
「何も要らないよ。」
そう言っても
今、何かを私に買ってあげたくて仕方がないようだった。
「炊飯器、少し釜に傷があるねんけどなぁ。」
そう言った。
後日
父と二人で電気屋さんへ行き、赤い炊飯器を買ってもらった。
今でも父に買ってもらった赤い炊飯器は活躍中!
御飯を炊くたびに
一緒に電気屋さんで炊飯器を選んだ事を必ず思い出す。
5年経って、釜に傷がついてきた。
父が肉体をぎりぎりまで使い果たして生命をまっとうしたように、炊飯器も買い替えずに使い続けるつもり。
まだまだ大切な家族を失った喪失感は消えないが
少しづつ物事を客観的に見れるようになってきた。
生前の父の言葉・・・
「わしの身体のことは、わしが一番よく知ってるのや。」
もしかしたら自分自身の病気のことは気付いていたのかもしれない。
それだも私は、病名を告知しなかったことに後悔をしてない。
余命告知よりも長く生きてくれたのだから。
私にとってのスーパーフードは炊き立て御飯。
御飯を食べエネルギーを充満させて前へ・・・!
↓↓↓ 健康運動指導士『TEAM ATOM』↓↓↓
この地球から旅立つその日まで
ブレーキを外し、希望をもって
前へ駆けていきたい。
あお・ぞら体操 腕と足の振り子体操