2007年11月25日
その日のお昼過ぎくらいからみー君の体調が急変しました。
ちょうど日曜日でどの病院も休診で電話が繋がりません。
(後で聞いたことですが、この日は獣医師会議のため市内の獣医さんは全て出払っていたらしいです)
かかりつけの先生とようやく電話が繋がり
病院に連れて行ったのは14時半くらいでした。
それから2時間弱
先生は精一杯手を尽くして下さいました。
私達夫婦も側でずっと声を鰍ッながら見守りました。
でも、もうこれ以上は無駄なのかと思われた時
夫は私に言いました。
「家に連れて帰ろう。
家で楽にさせてあげよう。
このままではみー君が可哀想だ」
家に連れて帰るということは「死」を意味します。
日頃、夫とは
「何かあった時は最期は家で迎えさせよう。
無駄な延命措置はやめよう」
と話していたにも拘わらず
いざとなると私は点滴と呼吸器にすがっていました。
今はまだ何とか息をしてるのに・・・
まだ生きているのに・・・
呼吸器を外したら、それでお終いなのに・・・
でも、このままの状態がみー君にとって幸せなのかどうか・・・
私にとっては気が遠くなるほど長い時間をかけて
ようやく決心して呼吸器を外してもらいました。
断腸の思いでした。
車の中でずっとみー君を抱きしめていました。
頭の中が真っ白でした。
その時、みー君が呼吸をしていたのかどうかもわかりません。
家に着き、ソファに腰を鰍ッ「みー君、お家に着いたよ」
と声を鰍ッた時、みー君は力なくうな垂れるだけでした。
穏やかな顔でした。
その表情を目にした時、ようやく「これで良かったんだ」
と思えました。
診察台の上で苦しそうな息づかいだったみー君。
ごめんね、かーちゃんが悪かったよ。
もっと早く楽にさせてあげれば良かったね。
その年の6月くらいから体調を崩していたのですが
それまでは病気ひとつせず、本当に元気な子でした。
検査の結果も命に関わるような病気ではなく
薬を飲み続ければ問題ない、と言われていました。
だからといって安心せずもっともっと気を遣ってあげれば良かった。
後悔ばかりです。
みー君が旅立って4ヶ月後にムサシが家族に加わりました。
もしみー君が元気でいたら、ムサシは今ここにいなかったでしょう。
それを考えると、とても複雑な気持ちになります。
これは私達夫婦、みー君、ムサシの運命だったのでしょうか・・・
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「いつまでも悲しまないように明るい画像にしたよ」
きょんきょんの優しい気持ちが溢れる作品です。
今日のために創ってくれました。
いつも本当に有難う。
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Composed by きょんきょん
にある「みー君のこと」というカテゴリーに
みー君との出会いを綴ってあります。
お時間のある時に読んでみて頂けると嬉しいです。
悲しいお別れは必ず通る道。
実は私もその事を考えない日はないのです。
今、膝の上で眠っているこのぬくもりも、いつか消えてしまうんだと思うとその日その時を大切にしようと思ってる。
みー君はこんなに沢山の愛情の中にいたのだから、
後悔などしないで下さいね。
むぅちゃんとの出会いは運命です。
天国のみー君、パパとママそしてむぅちゃんをいつまでも見守っていてね。
とっても切なくてすぐに言葉も出て来ず涙出てきました。
私はまだそんな状況を経験した事はないけど
そうなったら何も出来ずただ泣いてしまうだけかもしれない。
パパさんも辛い気持ちいっぱいだったのにみらさんの気持ちも
考えて支えてくれたんですね。
みー君はみらさん、パパさんにいっぱい愛されたの伝わったと思う。
一緒に最後まで居れて嬉しかったと思う。
きょんきょんさんが作ってくれた気球に乗って
お空からいつも見守ってると思います(*´▽`)
文章にまとまりなくて(いつもだけど)ごめんね。
応援ャ`ッ♪
動物と暮らすということはこういうことなんだ、と身にしみた一日でした。
わかっていたつもりでも、それはあくまでも「つもり」だったんだと。
でも、それを意識することが大事だと。
私も、ムサシはまだ若いけどこの一瞬は今しかないって思いながら暮らしてますよ。
後悔ばっかりなんです、ほんとに・・・(ノ_・。)
でも、変な言い方だけど、おかげでムサシと出会えたんですもんね。
この運命を大事にしなくっちゃ!(=^_^=)
二年経って、ようやく少し言葉にして残すことができるようになりましたよ。
身近なペットとの別れは初めての経験だったから、余計に辛かったのかも。
でも、最期を看取ってあげることができて良かったと思ってます。
みー君も満足してくれたかな・・・。
たまには気球から降りて会いに来てくれるといいな~~。
いつも応援有難う(=^_^=)
時々、夢で会いに来てくれているはず
だけど、朝になったら覚えていないんだよね
こうして折に触れ、思い出してあげるのが
何よりの供養だと思いますわ
それにいつの日か虹の橋の向こうで
会えるんだから、その日を楽しみに…
いいね、かわいい仔が待っててくれてさ
みら夫婦の愛情はみー君にも伝わっているし
それはムサシにも受け継がれているんだから
もう、悲しまなくてもいいよ
つらかったのね 亡くなった日も。
でも 最後は安らかで 良かったね。
みー君は 幸せだったんだよ みらさんご夫妻と居て。後悔なんてしなくていいよ。
でも お別れはホントにつらいよね。
私は チグの命日しっかり覚えてないけど みー君と同じ年の10月の27日か28日の土曜日だったよ。すごく苦しんでさ 30回以上も吐きながら 私たちの帰りを待ってて帰宅後 間もなく亡くなったんだけど 最後も苦しんで・・・あの顔が忘れられない。
人には 後悔しないでっていうけれど 自分ではやっぱり その頃猫の病気にも無知だったのもあって後悔ばかりです。でも チグにできなかったこと 今居る子にしてあげようと思うよ。どの子もかわいいですね♪ホント うちに来てくれてありがとうって思いますよね。
精一杯愛したんだから 愛情はみー君にしっかり届いてるし、また 会えるよね(#^.^#)
いつもありがとう。
そうなんだよね、思い出してあげるのが供養。
でも、まだその度に泣けて来ちゃう^^;
なるべく楽しかったことを思い出すようにするわ。
虹の橋で会えるのが楽しみだよ。
はろぉちぐ♪さんも同じ頃に悲しい思いをしていたのね・・・。
まだ小さかったチグ君、さぞ辛かったことでしょう。
でも、帰りを待っていてくれたんだ。
ううぅぅぅぅ・・・・(号泣)
私もみー君にしてあげられなかったことをムサシにって思ってるの。
だから「過保護だ」とか「甘すぎる」とか見られるかもしれないけど
それでいいのだっ!!!(キッパリ)
みー君にもムサシにも感謝ですね^^
この日のみらさんの文読んだ時、嗅ぐには書けなかったから・・・。
私、今まで3匹猫と暮らしました。
初代は野良猫で親に内緒で倉庫の隅で飼ってた。
そしてその子供達を親戚に嫁にやり、またその子供達、初代の孫達をまた2引きまとめて引き取りました。
だけどね、3匹とも最期の姿は見せなかったよ。
猫は自分の最期を人間にはさらさない・・・っていうこと知りました。
最後に飼った孫は、ほんとに猫っ可愛がりしたのに、それで具合が悪くなって自分の最期を悟ったらいつの間にかいなくなったと後で聞きました。(私はそのときちょうど東京で暮らしていた)
ああ・・・猫と暮らすって言うことはこういうことなんだと、なんとなく知りました。
自分より寿命の短い生き物と暮らす。
覚悟がいることだね。
ムウちゃん、長生きしてね。
「猫は自分の最期を人間にはさらさない」
よく聞く話だけど、本当にそうなんだね。
完全な家猫だったら外に出ることは出来ないけど
自由に出入りできる猫は姿を隠すことが多いのかな?
悟られないように出て行っちゃうなんて・・・
悲しすぎるわ(ノ_・。)
動物と暮らすと言うことは
幸せをたくさんもらうけど
最後はその分悲しい思いをしなくてはならない
ということなんだよね。
みー君がいなくなってから、ムサシを迎え入れることに悩んだんだよ。
またあんな悲しい思いをしなくちゃならないって。
でも、今はムサシと家族になれて本当に良かったと思ってる。
ムサシといっぱいいっぱい楽しい思い出を作りたいな。