盛夏の季節、天候不順のこの頃

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第37回上尾市美協展開催

神戸の震災から12年 「講演を思い出して」

2007-01-11 07:21:45 | インポート
まもなく震災から12年となります。昨日、幻の「そして神戸」故、内山田洋さん、震災直後に替え歌の「日経」の記事をよんで想い出しました。
 私は「いざと言う時の準備」で震災体験談を1時間ほど東京新宿マイシティで中央大学の同窓生を前に講演しました。(一部を紹介いたします。)

      神戸北野異人館 油絵 6号   町田譽曽彦 作
中央大学学員会白門43会 第10回白門43会総会・講演会
日時:平成16年7月3日(土)14:30~16:00
場所:新宿駅ビル(マイシティ)8階 ザ・バンケツト
演題:「いざと言う時の準備」
阪神・淡路大震災での体験をもとに
講師:町田譽曽彦 
<講演レジメ> パート1                            
1. 阪神・淡路大震災の当日  平成7年1月17日、朝の5時46分 突然ガシャガシャのゆれが1分間ほど
2. 大震災の夜は満月でした。! 家が全部壊れた人が明るい笑顔で会話(命が助かった、、、うれしい、、、)
、、、半壊と半焼の人は暗くお通夜の状況(あそこにあれがある、、取り出し忘れた、、、壊れていなければなど心配している様子)
3. 私が住んでいた灘区のマンションは全壊でした。(冷蔵庫、お風呂、サイドボード、額など)                                      
4. 週末は阪神甲子園駅まで歩いて7時間余り、新大阪駅では最終に乗れず。
ラブホテルで一夜を!(大阪方面の泊るホテルは満室)。そして、早起きして東京へ
5. 震災後に神戸で水彩画を始めたキッカケは、美しい神戸を沢山絵に描きたい気持ちから、、、そして、地震で沢山の建物が壊れた反面、心の豊かさが生まれてきた感じが、、、
6. 震災後に咲いた恋の花の行方、、、地震後、三宮近くの歯医者へ行った時の事務員の話、、、20才の未亡人(震災で主人を亡くし、子供と2人、、、)
「震災を体験してしまいましたので生なましいです。」できれば、どこかで講演して聴かせてあげたいです。
スペースの都合で次回に、、、
<町田譽曽彦の生い立ち>
1944年(昭和19年)群馬県新田郡世良田村に生れる
私が生れ育った世良田は、徳川家ゆかりの地、「徳川発祥の地」とかです
徳川三代将軍の徳川家光がこよなく愛した土地が世良田です
中学校の裏には「日光東照宮の古宮が日光から移築され又、新田郡の世良田村徳川の地には(春日の局)の縁切り寺で有名な“満徳寺”があります。」その他、世良田中学校の裏には「新田義貞の墓」や重要文化財・国宝の建造物が沢山建てられております。
私は、こんな風光明媚な環境で学び育ったので絵が好きになったのかも知れません。
又、伊勢崎高校の北西には上毛三山の「赤城山、榛名山、妙義山」が美しくそびえています。
赤城山の麓が浪曲、映画などでも有名な「国定忠治」が生まれ育った土地です。
上州と言うと「かかあ天下と空っ風、義理と人情の国」と言われてます。
上州、群馬県です。
群馬県は、山口県と並んで大物政治家が活躍した時期もあります。しかし、海みなし県のためか革新政党は弱く「保守的な県民性」です。
そんな風土に育ち学び東京へ出てきました。私の兄弟は男6人で私は4番目です。自慢できるものは何もありません。しかし、誇れるのは親譲りの健康です。
父、95歳 母88歳で今もいたって元気です。昨年、母は畑で自転車を盗まれて又、新しい自転車を買って、近所に遊びに乗って行くなど元気です。私が父の年まで生きる為にはあと37年ほどかかります。私もその年齢まで生涯現役で頑張って行きたいと思っています。
これからも、白門43会の皆さんとお付き合いをさせて頂きたくよろしくお願い致します。
まもなく私は、第二の成人式でもあります。長い間、描き続けてきた油絵に更に磨きをかける事ができたらと、、、 (アルベルト譽)