千厩名物、小角食堂の「あんかけカツ丼」。食べるのは2回目で、初めて食べたのは2020年の3月28日のことだった。当時、新型コロナの感染者が全国的に拡大を見せ始めていた。3月13日に新型コロナウイルス対策の特別措置法が成立し、都道府県単位での緊急事態宣言発出が現実的になりつつあった。事実、その後の4月7日には7都道府県で緊急事態宣言が出され、4月17日は対象は全国に拡大されることになる。この時点で岩手県の新型コロナ感染者は0名、つまり一人もいなかった。秋田県でも数名程度しかいなかったと思う。それでも、県外での町歩きは、暫く出来ないだろうなと覚悟はしていた。実際これを最後に「お籠り生活」が続くことになった。
その2020年3月に歩いた千厩は、僕の大好きな町の一つだ。その時点では何の規制もなかったが、僕は他所から来た人間で、岩手県には新型コロナ陽性者が一人もいない状況である。なるべく他人と接触しないよう心掛けて町を歩いていた。ところが、あるお店の中から高齢の男性が大きな手振りで僕を呼ぶ。もしかしたら「お前はどこから来て、何をしている?」と怒られるのかもと思ったが、そうではなかった。声の主は御年94歳の店主だった。何の写真を撮っているのかと聞かれ、町並みだと答えた。主人は「あそこに行け、どこそこも良い」と教えてくれた。そのうえ、僕を店の中に招き入れ一冊の写真集を取り出した。一関市の町並みを記録した限定写真集だった。明治以降、大正、昭和の各町村の賑わいや建物、地域ごとの行事の風景を記録したものだった。それを開きながら丁寧に説明をしてくれた。店主は戦後に、皆が自転車で営業している時に、無理して自動車を買ったそうだ。まだ近隣の同業者では持っている人は殆どいなかった。それが当たり、町内だけでなく沿岸部まで出張して仕事が増えたという。そのキャブトラックは写真集に載っていて、店主は誇らしげに見せてくれた。そんな貴重な話を聞きつつも、僕はあまり長い時間話をしてはいけないという思いもあった。まだまだ話したそうな主人に声を掛け、辞してきた。その際に写真を撮らして頂いたのである。「次に来た時に、プリントして持ってきますよ」。
その時は半年もすれば持っていこうと思っていたのに、気がつけば丸二年のコロナ禍である。途中、落ち着きを見せた時もあったが、店主は90歳代の高齢者であり、突然訪問することも躊躇われた。今回、ちょっとした事情で家を空ける必要があり、鉛温泉に泊まることになった。今しかない、そういう声が聞こえたような気がした。それが今回の訪問だ。店の場所は覚えていた。だが店は閉まっていた。休業日という感じではない。暫く前に廃業したことは疑いようがない。近くの別の店で聞くと、店は閉めたが、店主は健在で店の奥の住居に今も住んでいるという。そして僕は2年越しの約束を果たして、写真をお届けした。その場面は本当に個人的なことなので、ブログへの掲載は辞めておく。店主は現在96歳。心筋梗塞で倒れ、療養生活をしているものの、お元気だった。2年前のことは覚えてないと言うが、写真を見るなり「お、俺だ!。いつの写真?」と驚く。2年前だと説明すると、「その頃はこんなに元気だったんだな」と感激している。「コロナが始まった頃ですよ」と僕。「あ、あんた確か秋田から来たという・・・」。記憶が蘇った。もう僕も感激した。写真を渡すというそれだけのことが、こんなに意味があることとは知らなかった。まだまだ話したそうな主人だったが、鼻からチューブをしているし、長話は厳禁だ。いつまでもお元気で、と別れた。いつでも寄ってくれ、次に来た時はもっと元気になっていると、ご主人は言った。ひと仕事を終えて、小角食堂に入り、ノンアルコールビールを飲んだ。ノンアルコールなのに驚くほど旨かった。そして僕は2年振りのあんかけカツ丼に被りつくのであった。
X-PRO3 / XF23mm F2R WR
持参された写真で、2年前の記憶が呼び覚まされて、お話しがかみ合って、良かったですね。ご主人はかなり嬉しかっただろうし、写真の力って凄いと感動しました。
あんかけかつ丼ですが、これはユニークですね。ちょっと驚きました。いただいてみたいです。
店主も 一度目と 2度目と 大きく状態が変わってしまったけれど もう少し6さんと会話をしたかったでしょう
東北の方は 寡黙で芯が強いですが 本来は人と話すことも心から楽しまれていると思います
脳梗塞の記憶障害 6さんと話していたら
芋づるのように記憶の糸が現れるでしょう
私が接してきた 介護施設の認知症の方々と歌で呼び戻すことに重なります
僕の人柄ではなく、96歳(現在)店主の人柄が魅力的だったのだと思います。
僕も嬉しかったです。
追伸:あんかけカツ丼、美味しいです。元々、普通のカツ丼派ですが、新潟のソースカツ丼と、これは旨いです。庵が何かは不明ですが、カツのカリカリ感を大事にしているのだと分かりました。
のびたさんとシンクロしたようで、嬉しいです。
前回聞いた話しでは、店主が商売用のクルマを買ったのは、昭和30年。僕が産まれる遥か前のことでした。頭が下がります。
全くその通りだと思います。
どんな人にも、その歩んだ人生があり、それぞれが美しく興味深い。
外面の派手さに惑わされず、その本質を見つめることの出来る人間でありたいと思います。
6×6さんの人柄がうかがえます。
おじいさんが思い出してくれて良かったです。
この2年の間に途絶えた絆は数えきれず、永久の別れも多かったはずです。
今は1万人が5000人になったからと解除します
一人出たから10人出たから自粛自粛のあれは何だったのでしょうかね。
人が未体験に混乱する有様をたしかに目撃しました。
約束を果たせて良かったですね。
良い話。
コロナのタイプもありますが、仰っていることは僕も同感です。過剰な対策、見切り発車の対策放棄。田舎はむしろ今の方が大爆発しているし、東京の小康状態は田舎の今と変わらない、とか。
僕は田舎町と秘湯に行ったので、特に思うところがありますが、表現が難しくてうまく書けません。
僕の写真なんか差し上げてもなあ、と思ってしまうタイプなのですが、想定外に喜んで頂けました。
持ってきますよ、と言って、まだ未達成なのはまだあります。それも考えていきたいです。
このおじいちゃま、本当にもっともっと長生きされると思います⤴✨またお会いできると良いですね🍀🍀✨✨
(美味しそうなあんかけの効果で良いお話のまったり度合いがあがってますね✨90代になったらこれくらい・やわらかく全てを包む存在になりたいです🐻💛)
カツ丼ですが、「あん」は実のところカツの揚げたてのサクサク感をキープする役割を果たしているようでした。
僕もそういう人間になりたいものです。
感動します。
私の父、馬のように丈夫な人で97歳まで生きてくれました(家事はちっともできませんでした)。
あんかけのとう様に、神のご加護を、6×6様とカメラにも。
はなさんのお父上が97歳、このお爺ちゃんは96歳でご存命、当ブログでも紹介した「カクテル雪国」を作ったバーテンダーが95歳。
僕の隣家のお婆ちゃんは昨年96歳で老人ホームに入りました。
出来る時に、出来ることをすべきだなと痛感しました。
結局わかったのは撮影直後に亡くなっていて、私の写真が遺影に使われていたという。
なんにせよ、人はいずれいなくなりますので。間に合ってよかったですね。
凄い逸話ですが、結果的に遺影になったことにより「ばぁさま」の良い写真を多くの人に見てもらうことが出来たということですよね。
僕はあまり人様に写真を届けることをしたことがないのですが、最近何故かそうしたくなってきました。間に合ってよかったです。