日本遺産 鎮守府 日本近代化の躍動を体感できる町・横須賀、佐世保、呉、舞鶴
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国の重要文化財
旧 佐世保無線電信所 (針尾送信所) 施設
大正時代に日本海軍によって建てられた送信塔が今も立っています
他国からの復員船(帰り船)に乗って帰国する人々がこの送信所が見えると日本に帰って来たと涙を流したランドマークだったそうです
※Wikipedia から引用
1922年(大正11年)、旧東彼杵郡 崎針尾村(現在の長崎県佐世保市針尾)に大日本帝国海軍によって建造された無線送信所。
第二次世界大戦後も1997年(平成9年)まで海上自衛隊および海上保安庁の無線施設として運用されていた。
日本国内で大正時代に建設された塔状構造物としては唯一現存する最も高い構造物である。「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名称で国の重要文化財に指定されている。地元では「針尾の無線塔」と呼び親しまれている。
左端の三角屋根の建物はボランティアによる管理棟
見学は無料ですが親切なボランティアさんが色々と説明してくださいます
寄付金を入れる箱が置いてあり、何人も紙幣を投入して帰られる見学の方がおられました
列を作って帰られる見学者の方々
3本の電波塔が建てられており、送信所敷地内の北西側にあるのが1号塔、北東側にあるのが2号塔、南側(海側)にあるのが3号塔で電波塔の高さは1号塔と2号塔が135メートル、3号塔が137メートルで、基部の直径は約12メートル、厚さは76センチメートル。3本の配置は約300メートル間隔の正三角形となっていて、その姿は遠方(例えば烏帽子岳・弓張岳・隠居岳・冷水岳・俵ヶ浦半島・川棚町など)からも確認できるほど壮大で見る角度によって自分の位置が判断できる。
大正時代の塔状コンクリート構造物としては、針尾無線塔(137メートル)のほか、茨城県の旧日立鉱山精錬所煙突(約156メートル)、大分県の旧佐賀関精錬所煙突(約168メートル)、福島県の磐城無線電信局原町送信所(約201メートル)があった。ただし、針尾無線塔以外は解体されており現存しない。
電波塔内部も見ることができます
上を見上げても先端までは見通せません
無線塔から見る佐世保湾、五島方面
同じ佐世保市内の『浦頭引揚記念資料館』もほど近く、見てからこちらへ来ると感慨深いものがあります