旅 ・ 懐かしいもの探しetc

 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

ここにも 在外邦人の引き揚げ地 

2024年12月28日 | 観光地ではない旅行
佐世保の『浦頭引揚記念資料館 』 に続いて日本の総鎮守府、横須賀の 引き揚げ地 『陸軍軍港』に行って来ました
 海軍ではなく陸軍軍港なのですね
佐世保より小ぶりで、引き揚げ者の数も56万人と佐世保よりずっと 少なかったためなのか記念館などは存在していません

 先日 俳優の真田広之氏がエミー賞最多18冠を戴いた徳川家康と渡来人の三浦按針を描いた 「SHOGUN 将軍」というのもありましたが ここが
日・西・墨【日本・スペイン・メキシコ・フィリピン】貿易が三浦按針を得て始まった地のようです 三浦按針はその後 長崎の平戸に遷りました

黒船来航~ペルリ上陸の地
浦賀は徳川幕府がビックリ仰天した 黒船来航の地でもあったのですね

こちらのお土産物売り場で見つけました


結構 有名になってしまった 横須賀海軍カレー
海軍は出航すると数カ月は船上生活になり曜日の感覚が無くなることから毎週金曜日の食事にカレーライスを提供していたことからだそうです
 海軍カレーといっても艦船によってそれぞれ味付けが違うので種類はたくさんあります
価格は1つ400円から800円。 佐世保の蜂の家カレーは380円。個人的には 見映えしませんが、味も値段も蜂の家が好きです


防大カレー というのもありました。近くには防衛大学があるそうで学生は一般の国公立大学や私立大学生よりも実際には、国からの支援の金額としては少ないのに 全寮制で規則づくめの中で4年間の青春の大事な時期を過ごしているそうです。
 販売員さんから
 任官拒否するなら学費を返せ という愚かな意見を言う人も多いそうで、学費を言うなら全大学生は防大学生よりも国から多くの支援を受けているので 大卒者は全員自衛隊に入らなければ『税金泥棒』になる理屈だと説明を受けました
 ちなみに防大生にデブはいないそうです。何故って、デブは学生生活に絶対に付いていけないから。デブで入学しても必ず筋骨逞しくなるとのこと。

横須賀市西浦賀1に鎮座する叶神社【西社・東社】
 養和元年(1181年)8月15日、高雄山神護寺の僧文覚が、源氏の再興を願って石清水八幡宮の霊を迎えたことに始まり、その後 源頼朝によって、その願いが叶ったことから叶大明神の名で呼ばれる
 東西に同じ神社が鎮座し、渡し船(渡船時間3分200m)で往来し、参拝する神社として知られていた
 現在の社殿は天保13年(1842年)に再建され、その時に施された彫刻は、虹梁、欄間、拝殿天井など総数230を超し、横須賀市指定市民文化資産になっているそう。




明治天皇御駐輦記念碑
 ※めいじてんのうごちゅうれんきねんひ
明治天皇御駐輦之所
 ※めいじてんのうごちゅうれんのところ

駐蹕(ちゅうひつ) とは?  ちゅう‐ひつ【駐×蹕】 
天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること。また、一時その土地に滞在すること。駐輦 (ちゅうれん) 

飯を食ったとか、馬車を止めたとか休憩したとか・・・ 聖人の事跡、聖蹟とされています

社務所から社殿を見上げる
社叢林が豊かです

西叶神社の遥拝所から東叶神社を望む

ヨットハーバーの端が 『浦賀の渡し』 距離は約200m、時間は3分、料金は200円で、渡しから呼べば3分で迎えに来てくれます

東叶神社

東叶神社から西叶神社を望む


浦賀港の海水は透き通っていました

徳川幕府の海軍奉行が軍艦の安全を願って断食修行をしていた場所

 横須賀、三崎、浦賀、鎌倉、葉山、逗子等々は子供のころから遊び廻っていた場所ですが歴史的な背景だとかは考えたこともなかったのです。
 同じ人が同じ場所を見ても 見た年代で感じ方が違うものだと思いました

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