NHK大河ドラマ「龍馬伝」
TV視聴率ランキング1月11日~17日、今回も1位(22.2%)でした。
龍馬点?② 龍馬のお墓に行きました。
武信稲荷神社を後にして、四条大宮駅から市バスに乗り、
祇園石段下まで行きました。
八坂神社・西楼門 : 四条通(東西にのびる通り)の東の突き当りにあります。
祇園石段下と呼び、写真などでよく見るのがここです。
その石段を上がり、八坂神社を通り抜け、南に歩きますと、
高台寺、霊山(りょうぜん)観音が見えてきます。
そこを過ぎると鳥居がありますがそこより山手の方に登る坂道、
それが「維新の道」 で坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)、
その妻、幾松のお墓に、辿り着きます。
「維新の道」 の石碑を見ながら登って行きますが、これが結構な坂道で、
想定外でした。お昼ごはん抜きの私にはちょっときつかったです。
「 おりょう、維新の道は、きついぜよ 」
霊山護国(りょうぜんごこく)神社です。
本殿の前に龍馬の似顔絵が置いてありました。
それから、またまたきつい石段が続き、やっとのことで、
お墓に着きました。
近江屋騒動で暗殺された坂本龍馬、中岡慎太郎をはじめ、
明治維新誕生のために尽くし、犠牲となった土佐藩士、長州藩士、若狭藩士など
1356名の御霊が祀られています。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓 各藩の志士の墓
振り向くと、京都の街並みが広がっていました。
「 中岡さん、京の町が見えるぜよ 」 立っているのが龍馬です。
長州藩士で、後に明治政府の重鎮となった、桂小五郎(木戸孝允)と
その妻、幾松(松子)のお墓です。↓
霊山護国神社のある山、「霊山」 の頂きに近い、一番高い所にありました。
残念ながら、意志半ばにして、暗殺された龍馬よりも長く生き、
後に位の高い政府要人となった証かもしれません。
でも、勤皇・佐幕と対立抗争を繰り返している中で、
『日本はひとつにまとめなければならない。』 という大きな見方をしていた
龍馬は、偉大な人だったと思います。
墓前には新しいお花が供えられ、訪れる人も絶えませんでした。