麒麟がくる
第二十回 家康への文
このドラマ、コロナ感染防止の3密対策で収録がストップし、
6月14日から、放送がお休みに入るそうですね
残念ですが、致し方ないです
ドラマの展開は、いよいよ桶狭間の戦が近づいて来ました
越前で、家族の暮らしのため、学び舎を開いている十兵衛です
ここで学んだ子供達は、勉強も進み、お行儀もいいと、
上々の評判の先生になりました
そういえば、十兵衛さんは、いつも背筋がピ~ン
刀さばきや、銃の構えもキリリッ
所作というんですか、立ち居振る舞いがサラ~リ
とてもきれいですね~💛
胡坐から、立つ時、
手で、どこかを支えて、よいこらしょっと
なんてことはしませんね
足の力だけで、スッ
見事です、折り畳み椅子を閉じるみたい(^^♪
時代劇に出る男優さんは、これが出来てなんぼ
と、勝手に思っています
これ大変ですよ、私は無理です
足を痛めていない時でも出来ませんでした
俳優さんは、色んな能力を求められますね、大変
そんな十兵衛、女の子が生まれましたが
美濃や尾張や、京のことがやはり気がかりの様で
ことあるごとに、いとこの明智左馬助に、方々に、
様子を見に行かせたり、手紙を届けさせたり、
まるで、道三に仕えていた当時の、十兵衛みたい
左馬助もたまには、くたびれて、こき使われて、もう!
ぼやきたいこと、ないのかな
この左馬助さん、本能寺の変の時も光秀に仕え、
立派に、重臣としてやり遂げた方みたいですね
以前、句会のメンバーで吟行に行った時、
明智秀満(左馬助)の 「駒止めの松」
見てきました
松は代が替わっています
2019.4.29のブログに載せた写真です
案内板には、
”この松は、明智秀満が、湖水渡りの馬を繋いだと言われている
天正十年(1582)「本能寺の変」のあと安土城を守っていたが
光秀敗死の報に接し、急ぎ、坂本城へ向かった
その途中、打出が浜から馬に乗ったまま、湖中に浮き沈みしながら
柳が崎に上陸し、この松に馬を繋ぎとめたという”
琵琶湖には、こんな話も残っていました
光秀は、謀反人という扱いから「明智」は、
声高に言うことは出来ないということも、あってか、
駐車場の隅にひっそりと立っていました
ここがなぜ駐車場になったか?
元、駐馬場だったから、なんちゃって(^-^;
横道にそれました<m(__)m>
とうとう、限界突破サバイバーは、吠えましたッ
「左馬助! かような国に身をゆだねようとは思わぬ!
尾張への抜け道を案内せよ!」
何が十兵衛をこうさせたか
朝倉義景の家臣に鉄砲の腕前を褒められ
仕官をすすめられた十兵衛が、
義景に話を聞いてもらおうとしたら、
蹴鞠中だから明日また来るようにと!
「なにが、蹴鞠じゃ」
その、生っちょろいことに、堪忍袋の緒も切れた十兵衛さんでした
さあ、竹千代も元服し、元康と名乗り、
立派に成長しました
やはり、参戦せざるを得ないのでしょう
信長、いよいよ今川と決戦です
駿府、三河、尾張
何やらそれぞれ画策がありそうですね
”犯罪の陰に女あり”
なんて、聞き捨てならない言葉もありますが、
”武功の陰に女あり”
でもあると思いますよ
帰蝶さん、またもや信長をちょいと、操りましたか
でも、これには十兵衛の提言があったような…
家康への文
元康への母のとこしえの愛
この辺から
”…鳴くまで待とう時鳥” が
もう出来上がっていた?
あ、駒ちゃんにもらった真っ黒で丸いお薬も持っていったしね💛
桶狭間、どうなるのでしょうか
決戦は、今夜