和歌山城天守には、手鞠を模したシャンデリアが吊られていました♪
童謡 「鞠と殿さま」
てんてんてんまり てん手鞠
てんてん手鞠の 手がそれて
どこからどこまで 飛んでった
垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ 飛んでった飛んでった
おもての行列 なんじゃいな
紀州の殿さま お国入り
金紋先箱 供ぞろい
お駕籠のそばには ひげやっこ
毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ
てんてん手鞠は てんころり
はずんでお駕籠の 屋根のうえ
もしもし紀州の お殿さま
あなたのお国の みかん山
私に見させて くださいなくださいな
お駕籠は行きます 東海道
東海道は 松並木
とまりとまりで 日が暮れて
一年たっても もどりゃせぬ
三年たっても もどりゃせぬもどりゃせぬ
てんてん手鞠は 殿さまに
抱かれてはるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり
山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげななったげな
子供の頃、この歌には想像をかき立てられたものです
大名行列に先だって、声が聞こえてくる
「下に~~下に、下に~~下に」
街道の端に土下座する
お殿様たちの着物もキラキラときれいで
髭やっこさんは、毛槍を高くほりあげて
ある時、女の子の遊んでいた手鞠が、行列に飛び込んできた
女の子の手からこぼれて飛んでった手鞠は、お殿さまが拾い上げ
長い道中をお殿様と旅して、紀州のお国まで連れられて、最後に、
”赤いみかんに なったげななったげな♪”
と、めでたしめでたしのオチがついてる結末 …ですよね?
ただ、江戸時代、徳川御三家のひとつ紀伊家の参勤交代の行列なら
鞠が飛んできた、女の子がそれを追いかけて行列の中に…
これは、お手打ちになってもおかしくない状況
この歌のように、穏便にことが済む訳がない…大変!
行列の規模がまたすごい
たとえば、天保12年(1841) 紀州徳川家の参勤交代時の大名行列の規模
武士 1639人
人足 2337人
馬 103頭
これだけの行列が通り過ぎるまで、
道に伏せてじっとしていないといけなかったんですね~
以前、紀伊田辺に行った時、町の中を歩いていましたら
紀州手鞠を作る教室の看板が掛かった家を見ました
手鞠は和歌山の伝統工芸品に、なったのですね
そもそも手鞠はといいますと、
平安時代末期頃から、御殿まりとしてお姫さんたちにとって大切な物でした
紀州てまりは初代紀州藩主徳川頼宣のころから
御殿女中が幼くして嫁いだお姫さんのために作られていたそうです
そのお女中が宿下がりをした時、自分たちの娘のためにも作ったのが
城下の人々に広まったようです
昔、手鞠は、はまぐりなどの貝殻に砂や小石を入れて
真綿でくるんで絹糸でかがったものもあったとか
振ると、カラカラなのか、サラサラなのか、音がしたのでしょうね
とにかくゴムまりの様には、ポンポンはずまないでしょうね
天守閣前の広場に、「鞠と殿さま」の歌碑がありました
見事ですね♪
懐かしいですね・・・私はご近所の女の子と毬つきした記憶があります(笑)
歌詞の一番は記憶に蘇りましたが、殿様行列などはまったく浮かんできませんでした。
作詞作曲者を調べましたら、作詞 西条八十 作曲 中山晋平、凄いです♪
紀州の手毬は工芸品ですね、初めて見ました。
シャンデリアもきれいですね。
西郷どん頑張って下さい!
薩摩言葉にお詳しいのにびっくりしています。
童謡は聞く機会がなくなり、たまに聞きますと、ほんとに懐かしいです。
そうですか、女の子と鞠つきをされたこともあったのですね♪
鞠つきの歌には、もうひとつ覚えがあります。
この歌より、アクティブです♪
足をフルに動かしテンポも速くなりがちです。
”あんたがたどこさ 肥後さ肥後どこさ 熊本さ…”
狸が出て来て、猟師が出て来て、今思えばちょっと残酷な歌でした(^_^;)
でも、スポーツに通ずる遊びが多く、いい時代だったなと今、思います。