コメント
どこかすぐにわかります。
(
炎の弾丸男!!
)
2010-07-13 10:55:30
としたかさん、
毎度でござる。
この週末にふらりとされたんでしょうか??
ど焼津生まれ、ど焼津育ち、ど焼津で働く我輩、
写真を見るだけで、どこかすぐにピンときます。
この工場はマルTさんの工場、さらに小路は同じポイントにて180度ターンして撮影し左手に船元小路を望むばしょ、さらにオーシャンロードはわが社の近くですねぇ。
浜通り、鰯ケ島あたりも最近では、今風の何チャラハウスみたいな家が多くなり、更地もあちこちに。
耐震基準に引っかかるような昔ながらの家はかなりへってきて、かなり変わってきました。
一部優良企業のマルハチさんのように、あえて昔の建物を保存し店舗としているようなありがたい取り組みをしているところもありますが、戦略的に古い町並みを残すとかいった条例などもなく、港湾関係はもとより、区画整理においても、どこの町にでもあるような画一的な線引がされた町になってしまい、まるで、漢民族が作り上げる中国の新しい町のように、駅を降りるとどこも一緒といった、全く特徴がない町になりつつあります。
残念ながらこれが近代的とか、効率的とか、利便性とか(安全性、これは不可欠ですが)もろもろ、経済大国目指し、達成した時代の一つの物差しによる価値観が作り上げた結果かと思います。
当然その時代はみんながそれを良しとし、まさにそれでよかったのかも知れませんが、成長から成熟社会に移行しつつある現在(まだ成長、成長と言ってる方も多いですが)振り返ると、非常にもったいないことをしてしまったことに気づくことがあります。
今後、新しい創造をすることはいくらでもできますが、どんな知恵や画期的な技術、発明などがなされようと、“歴史”だけは決してそれらによって積み上げられることはできないんですよねぇ。
高層ビルや、現代的な家などに建て替えられることができなかったなどの理由で結果として合掌造りの家が残った白川郷などは、ある価値観の中では最終ランナーとしてびりっけつを走っていたはずなのに、今や世界遺産になり、国内外から人が集まる場所となり、フロントランナーに!
迷路のようなモロッコのフェズ(こちらも世界遺産かと??)も防火対策など関係なし!(これがいいかどうかわわかりませんが 笑)
いまからでも焼津で歴史を積み上げ残せるものって何かありますかねぇ?
やっぱり“人”ですかぁ?
それこそ人も日本全国標準化してますが。
新しい技術と歴史の融合目指し、活躍してもらえることをとしたかさんには期待しております!
長くなりました。 m(_ _)m
では・・・
ぜひ、焼津談義をじっくりやろう!
(
としたか
)
2010-07-13 23:17:41
炎の弾丸男!!さん、なが~~~いコメント どうもありがとうございます。
や、ホント、素晴らしいコメントで読み入ってしまいました。さすが焼津人だなぁ。当日は、ヨメさんが展示会かなんかで東京に行っていて、自分は床屋さんに行ったあと、せっかく出かけてきたので、そのまま帰るのもなんだかなぁ~と思って、このあたりをフラッとしてみたのです。
確かに「町並みを残す条例」とか、早い段階で整備できるとよかったよね。今は歯抜けのような状態になってきているし、昔のような雰囲気は作れないかもしれないね。歩いていてそう思いました。
でも、今からでもできることもあるはずだよね。
そのあたり、じっくり話したいよね。
今年は何十年ぶりだかわからないけど、夏のお祭りに参加することになりそうなのです。弾丸男はもちろん参加するよね。1日かけて練り歩くんだし、そのときにじっくり話しをしよう。楽しみにしてるね。
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毎度でござる。
この週末にふらりとされたんでしょうか??
ど焼津生まれ、ど焼津育ち、ど焼津で働く我輩、
写真を見るだけで、どこかすぐにピンときます。
この工場はマルTさんの工場、さらに小路は同じポイントにて180度ターンして撮影し左手に船元小路を望むばしょ、さらにオーシャンロードはわが社の近くですねぇ。
浜通り、鰯ケ島あたりも最近では、今風の何チャラハウスみたいな家が多くなり、更地もあちこちに。
耐震基準に引っかかるような昔ながらの家はかなりへってきて、かなり変わってきました。
一部優良企業のマルハチさんのように、あえて昔の建物を保存し店舗としているようなありがたい取り組みをしているところもありますが、戦略的に古い町並みを残すとかいった条例などもなく、港湾関係はもとより、区画整理においても、どこの町にでもあるような画一的な線引がされた町になってしまい、まるで、漢民族が作り上げる中国の新しい町のように、駅を降りるとどこも一緒といった、全く特徴がない町になりつつあります。
残念ながらこれが近代的とか、効率的とか、利便性とか(安全性、これは不可欠ですが)もろもろ、経済大国目指し、達成した時代の一つの物差しによる価値観が作り上げた結果かと思います。
当然その時代はみんながそれを良しとし、まさにそれでよかったのかも知れませんが、成長から成熟社会に移行しつつある現在(まだ成長、成長と言ってる方も多いですが)振り返ると、非常にもったいないことをしてしまったことに気づくことがあります。
今後、新しい創造をすることはいくらでもできますが、どんな知恵や画期的な技術、発明などがなされようと、“歴史”だけは決してそれらによって積み上げられることはできないんですよねぇ。
高層ビルや、現代的な家などに建て替えられることができなかったなどの理由で結果として合掌造りの家が残った白川郷などは、ある価値観の中では最終ランナーとしてびりっけつを走っていたはずなのに、今や世界遺産になり、国内外から人が集まる場所となり、フロントランナーに!
迷路のようなモロッコのフェズ(こちらも世界遺産かと??)も防火対策など関係なし!(これがいいかどうかわわかりませんが 笑)
いまからでも焼津で歴史を積み上げ残せるものって何かありますかねぇ?
やっぱり“人”ですかぁ?
それこそ人も日本全国標準化してますが。
新しい技術と歴史の融合目指し、活躍してもらえることをとしたかさんには期待しております!
長くなりました。 m(_ _)m
では・・・
や、ホント、素晴らしいコメントで読み入ってしまいました。さすが焼津人だなぁ。当日は、ヨメさんが展示会かなんかで東京に行っていて、自分は床屋さんに行ったあと、せっかく出かけてきたので、そのまま帰るのもなんだかなぁ~と思って、このあたりをフラッとしてみたのです。
確かに「町並みを残す条例」とか、早い段階で整備できるとよかったよね。今は歯抜けのような状態になってきているし、昔のような雰囲気は作れないかもしれないね。歩いていてそう思いました。
でも、今からでもできることもあるはずだよね。
そのあたり、じっくり話したいよね。
今年は何十年ぶりだかわからないけど、夏のお祭りに参加することになりそうなのです。弾丸男はもちろん参加するよね。1日かけて練り歩くんだし、そのときにじっくり話しをしよう。楽しみにしてるね。