日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

タイライト!   -まさにハイライト!🐈-

2024-12-17 | Weblog

喧騒の大通りから細い路地にまがる。
ぼんやりと店先のあかりが行く先をかろうじて照らすのみ。
意を決して踏み入れるとそこは建物にかこまれた中庭のような小さな空間になっていてベンチがひとつ。

予想外にひらけ空間に目を向けた先の猫🐈


チャトラの貫禄ある猫🐈


これからBarにいくというのにそのバーをみつける前に猫に出会ってしまったのだ。
にーと声をかけられ、こちらを振り返りつつ先導をゆく。
だから、バーにいくのだよと伝えれば目の前のある店の扉の前にもう一度に―と鳴くのであった。🐈

つまり扉を開けろと猫語で話しかけてきたわけだ。
タイ語はわからないけどネコ語はわかるんだなあたし。

あけろ、あけろと催促をされると視界の端に飛び込んできたのは目指していたバーの名前であった。

 

Lost in Thaislation


おっと思う。🐈🐈


扉をあければするりとチャトラが先に入店。
本日のお一人目いや1匹目の客である。🐈

カウンターには若いバーテン
おお来たのかといいつつ、🐈ニャゴニャゴ矢継ぎ早に注文する客に苦笑い。

さすが追い出されそうになるけど、初めての客であるこちらにもしっかりご挨拶する常連っぷりをみせつけられ、なでれー、なでてもいいでーとなればねえ、ええ、もう、招かざる客ではなく看板ネコであり、🐈招き猫ってなわけだ。

カウンターではチャトラが頼んだゴハンが用意され、うにゃうにゃいいながらのたぺっぷりをアテにこちらは酒をのめるという算段。

こんなサービスってある?!

 


ひーめんこい、ひーサワリタイ、ひーといいながらあっという間の1敗いや1杯。

🐈当のチャトラ氏は優雅に食事をしたあと、席を移動しあたしの右手が届くか届かないかという絶妙な位置でペランペランと毛づくろい。

 

さすが常連の貫禄である🐈
堂に入った態度、バーとはかくある愉しみ方をしたいものである。
そして一見の新参者への構いすぎない絶妙な距離感。
距離が近いと鬱陶し、遠すぎれば歓迎にならにとわきまえた🐈距離感(←マジ距離感)を保って接してくれる(さわらしてくれるともいう)配慮。
そして極めつけは長居することなくふいに🐈にーといってお帰りになられたのだ。

🐈個人的にはもうすこしもふりたかった・・・・のにだ。
さすがのチャトラ氏🐈である。
餌もしっかりもらい、ゆったりとくつろいで、そりゃ灼熱バンコクの気温よりしっかりクーラーがきいたバーの方が涼しくて快適だから長居するとばかりおもっていたんだけどふいっとお帰りになるといいだすではないか。

 


酒はのんでものまれるな。
スマートな愉しみ方はさっと飲んでさっと帰ること。
完璧なバーのお作法を実践し、酔っ払いさらに骨抜きに。
こんなスマートにバーを愉しむ人いやネコ🐈がいるとはね。
あまりに夢みたいな出来事に泣きの1杯を所望するダメ人間にはネコのツメアカでも煎じてのませてやれー🐈

ネコの話に終始してしまったけどカクテルはもちろん美味
カオマンガイやマンゴなどタイのエッセンスがはいったカクテルがシグネチャー。
やっぱり所望の1杯はツメアカ煎じより美味しいカクテルでお願いしたい。

こんなすてきなバーにさらりと案内できてスマートな立ち居振る舞いができるチャトラ氏はさぞやおもてになるんだろうとバーを後にすれば店の前のベンチで近所のお姉さま方とまたおいしいゴハンを食べていた。


みんなにかわいがられているのね🐈 やっぱモテ🐈猫の存在感たるや。


タイライト! -madam の皮着て、サラリムナーム その2-

2024-12-16 | Weblog

光につつままれた船が一艘、船着き場へ。

ヒールのかかとを鳴らし、(現実の足元はスニーカーだけど)差し伸べられた手を取り船にのりこめば、やがて暗いチャオプラヤー川にすべりでていく。
エセマダムすら映画のヒロインに昇華させるこのシチュエーション
これからはじまるきらびやかな宴、いや、「夜」に期待は膨らむばかり。


きらびやかな高層のビルの狭間に木々に囲まれた低層のレストランはとても贅沢といわざるを得ない。
わざわざ船で川をわたり、プライベートの船着き場より誘われた先、Sala Rim Naam


こちらのサラリムナーム
タイ舞踏のショーを見ながら洗練されたタイ料理のコースがいただけるレストラン。

 

舞台を囲むように配されたテーブルで目にもおいしいタイ料理が次々と供される。

フレッシュなハーブの香り、鮮烈なチリ、丁寧調理されたタイの食材。
見慣れたはずのレンコンがタイのきらびやかさをまとい、食べなれたナスもあらたな魅力をふりまいている皿の上。

そのお皿、食器もキラキラのベンジャロン焼←ほしい!

 


ショーのスタートはガムランの響き
異国の調べが期待値をあげたところで色とりどりの衣装をまとった踊り子が登場。
まばゆい。優雅。
勿論写真もとれるし、料理も次から次に美味しいものがでてくるしで五感すべてが忙しい。

演目はどれも10分程度で舞踊、舞踊劇それも古典からムエタイを題材にしたものまでフルラインナップ。

 

 


19:00~スタートで舞台では演目が入れ替わりになっているので最初から最後までみてもいいし、途中からでもOK。
自分の食事のペースや予定にあわせられるフレキシブルさもよい。
おなかもいっぱいになったし、レストランも満席近くになったことから演目の合間にお暇をしようとしたら、「あと二つですから最後まで舞台をお楽しみになられては」とレストラン側からのご提案。


タイ観光を満喫したい人にも、タイ初心者にもおすすめのレストラン。
エセマダム、大根女優をきちんとマダムと女優に仕立て上げる魔法すら供してくれるんだからいう事なしである。
モダンなタイ料理なのでタイ料理初心者でも比較的とっつきやすいかな。


マンダリンオリエンタル バンコクのHPから日本語で予約ができるのもありがたい。
せっかく予約をとるのならショー開演にあわせて予約するのがよい。

マンダリンオリエンタル バンコク →Sala rim naam

伝統の演目からムエタイを題材にしたコミカルなものまで演目も飽きさせないから最後までしっかり楽しんでほしい。
タイのきらびやかさをチャージして、さあ明日はどんな出会いが。

 

オマケ
予約がいっぱいでなければ当日問い合わせでも対応してもらえるのでおもいつきでサラリムナームというのもアリ。
かくいう今回、飛行機乗る前におもいつき成田空港でHPから予約をした。
返信メールがなかったので心配したら案の定、こちらのWifiの通信状況がわるかったようで予約ができていなかったようなのだけど問合せをしたら、席に余裕があるので大丈夫!とショースタート2時間前で予約が確定。
なんたる幸運!! なんたるホスピタリティー!


タイライト!-マダムの皮着てSala Rim Naam-

2024-12-10 | Weblog

辻仁成「サヨナライツカ」という小説をご存じであろうか。
タイ バンコクを舞台にした恋愛小説である。

「愛されることを覚えている、それとも愛したことを覚えている?」
若かりし頃の恋愛は人生を終えるそのときまで輝き続ける


「私は愛したことを思い出す」

 

いまではほとんど読むことのない恋愛小説ですが、はやりましたよね、、、、辻仁成の恋愛小説。
この「サヨナライツカ」も元嫁の中山美穂(先日の突然の訃報に驚くばかり、記憶の照合に映画を見たタイミングだったからもう本当に人の世の儚さ突きつけられた感)を主演とした映画になったし、女性目線から描いた江國かおりの赤本、男性目線からみた辻仁成の「青本」の「冷静と情熱の間」も映画化されていたはず。イタリアの街並みにとけこんだ男女の機微はまさに大人の恋愛でドラマチックであった。


真夏の東京でスターダストがみられるのなら、それはまさに「恋愛」のなせる業である。
見慣れた風景でさえ何かがはじまる舞台となるのならそれは「恋」であり、日差しが照りつける交差点の青信号さえメタファーとなるのであればそれは「愛」であると・・・まあねぇ。

 


さて、冒頭の「サヨナライツカ」である。
バンコクを舞台にしたとご紹介したわけだが、バンコクでも特にマンダリンホテルが重要な舞台となっている。
細い路地の先、突如としてあらわれるこのラグジュアリーホテルはその名にふさわしく気品をもってチャオプラヤー川のほとりにたたずみ世界各国からのゲストを迎えている。

夜のバンコク、タクシーに乗り込んで向かうはかのホテル。
暗い路地からすべりこんだエントランスでは物腰柔らかなドアマンがワイで迎えてくれる。
天井からこぼれてくるのは南国の色鮮やかな草花。

道すがらの路地とは別世界で、これはドラマチックでいて美しい恋愛小説の舞台になりうる場所であると感じたところで、ドアマンにささやく。

「サラリムナームへ」


日本語でよい。日本語でささやけばよい。秘密の言葉のように。

するとすぐに彼は微笑みをたたえ、奥の通路へ我々を誘う。
そして「この扉をでてまっすぐすすみ建物をでたところを左へいくと船着き場がございます、マダム」と静かに英語でと伝えてくるのだった。


「・・・・・ madam.」

 

とてもいい、すっかりヒロインである。
扉をぬけ、バーを抜けるとそこはチャオプラヤー川であった。
川沿いは賑やかなリバービューのダイニングとなっている。
はじける会話、食器がふれあうにぎやかな喧騒、チャオプラヤー川の黒い影に光を落とす照明の光。


細い通路から、思わぬほど広がった視界を横目にすすむと小さな門がありその先が船着き場。

 

対岸をみればビルのきらめく光。
大きなビルに目を奪われるが、幽玄ともいう光にうかびあがっているまさに対岸が目指す「Sala Rim Naam」である。

 

 


「今、船がまいります。暫し、お待ちください。」
背後からやわらかで控えめな声が耳にすべりこんできた。
振り向けば黒いスーツを涼やかに着こなした男性が一人。
「おかけになってチャオプラヤー川の風をおたのしみになりながらお待ちくださいね madam」

 

もうこれはセリフである。
ついでにマダム!

このマダム、お客様の「様」ぐらいのことなんだけろうけど。
あたしの中での「マダム」は貫禄がありおしゃれな妙齢の既婚女性に設定されているから、ふふんわたくしにもついに人に認められる優雅さと貫禄とオーラがあるってことねと調子にのらせてくれる魔法Word 「マダム」に謙遜しつつウレシイが混じって照れくさし、背筋は伸びるしで女優は大変なのよ・・・・と思う。
これってこじらせ中二病といわれる症状ですとご指摘があれば、まさにその通り。

舞台、照明、実力ある俳優がしっかりと脇をかためてくれている(その気にさせてくれる)ので大根も主演女優になれるってなわけだ。
おかげでSala Rim Naamがサラリムナームでマンダリンオリエンタル バンコクのタイ舞踊ショー付きのレストランで、その美味しいゴハンとかすばらしいサービスとか、なによりメインのタイ舞踏のショーについて紹介ししたいのにたどり着かないったら。

 

 


タイライト!-エラワン祠ですべきこと-

2024-12-10 | Weblog

BTSチットロムとサイアム駅の間にあるエラワン祠
願いが叶うといわれるバンコク随一のパワースポット
テロがおきてからというもの、お線香に火をつけることができなくなり、周辺にあるれていたお供え物を売る露店もなくなってしまった。
それでも多くの人が真剣にみつめる先には四つの顔をもつブラフマン神。かなえたい願いと人の信心(欲ともいう)は世に尽きるまじということでいつだって祭りのごとき賑わいである。

賑わいの中から真剣な祈りから立ち上る熱気と人いきれ。
次から次と流れゆく音楽は願いがかなったお礼に踊りを奉納するためのもの。
今年の日本の夏と同じ陽気の中で踊り子たちの手が翻り、歌声がのぼってゆく。
きらびやかな衣装に身を包み、歌い踊る様は見飽きないのである。
太鼓の音がやめば「あぢー」とそそくさとそのストゥーパのような被り物を外し、水分補給にいそしむ姿はご愛敬。


絶え間なく踊りがあるということはそれだけご利益があったといういうことである。
踊りを奉納するための人が並ぶ長蛇の列
そしてもちろんあたしもこの列に並ぶのである。
願いが叶ったのだから!


バンコクの旅では必ず寄ることにしているエラワン祠。
前回のバンコク旅では無茶ぶりともいうようなお願い事をもにゃもにゃとしてきたのだが、これがおそろしいほどびしっと現実になり、さすがに鈍感なわたくしめにもこれが願いが叶うということなんだと感知できるレベルであったからコロナが明けたら絶対に踊りを奉納しにいくと決めていたのだ。

まあ信じるか信じないかは個人の問題として、どうなるかわからない不確定要素に金を積むのではなく、結果に対して金をだすのは至極もっともなことと解釈したから、お願い事する→叶う→お礼をするという一連のサイクルを完遂したいと思うのはまっとうであろう。


踊りを奉納するためには
①まず願う、心より願う
②叶う

この①および②がないと奉納できないのある!!
別にやろうとおもえばできてしまうがあくまでも願いが叶ったからであり、お願いのための踊りではないのが重要である。


まあこの時点でエラワン祠には最低2回行かなくてならないということだ。

そしてここからが大事

奉納の仕方
③踊りを奉納する受付に並ぶ
④小さなメモ書きがまわってくるので自分の名前をアルファベットで書く。(踊り子さんが読み上げるので漢字やカタカナだと読めないので必ずタイ語かアルファベットで!)
⑤踊り子部隊を何人にするか選ぶ(2~8人MAX偶数で)
⑥お金を払う(人数によって金額が違う)
⑦人数と金額、メモ書きから転記された名前入りの紙をもらう。→メモは踊り子さんへ
⑦紙をもって踊りの順番待ちの列に並び替える
 並んでいるときにメモと並び順があっているかを確認するのでわたされた紙をみせる
⑧順番がきたら踊り子部隊の前にある台に膝をつき首をたれる
⑨もにゃもにゃと感謝を申し上げる。
⑩立ちあがって終了


言葉もまったくわからないし、どうやっていいのかネットにも情報が少なくて右往左往するかと思ったらあっけないほど簡単に事がすすむ。
まさに願いが叶うとはこういうことをいうのだよ。
やりたいこと、やるべきことが何の障害やストレスもなくするするとすすむこと、完遂すること。


そしてパワースポットのパワーとは大事に任務をつつがなくこなした達成感とまた来れるように頑張ろうという希望からできていると思うのだけどどうだろう。

酉の市の熊手じゃないけど最初は小さいものを手に入れすこしづつ大きくしていくように初めての踊り子編成は2名でお願いしようと思っていたのだけど急遽相方も一緒に並んで首をたれようというのだから2人×2人分で4人の踊り子部隊でお願いをした。
次回も是非お礼参りをしたい。


次は6人編成で奉納することをお約束し、ブラフマン神にお礼と所信表明といたします。


タイライト!

2024-12-10 | Weblog

コロナ明けの旅感鈍りまくりの台湾旅の次に選んだ旅行先はタイ

 

食べ物はおいしく、買い物は楽しいし、行くべきところも沢山。
タイにいったならまた象の背中に揺られたいと思うも、バンコクの喧騒をみっちり楽しみたいとおもったら他の場所に行く時間すら惜しいということでタイはタイでもバンコク一択の旅。


旅感を少しとりもどして出かけてみれば、そこかしこに転がっているではないか!刺激が!!
不安やこころもとなさを凌駕する好奇心。
やっぱり海外はぐいぐいといかないとなーんにも楽しくない。
ダメでもともとなんとかなるさの心意気。
すると道はひらけるのである。
すべての道は10年後いや死ぬまで語り継ぎたい思い出に通ず。
通じていないのは「休み明けの現実」のみである。


さて旅のハイライトならぬタイライト!

 

  


おーい、ハニワと土偶の近代

2024-11-26 | ギャラリー

全く興味がないと思っていてのだけど、噛みしめるスルメに似てじわじわと良さがわかってくるもの。
湯豆腐の良さとか、NHKの視聴時間に比例してああハニワ、ああ土偶と思うに違いないそんなお年頃になったガチ♪おーいはに丸世代です。
どうもこんばんわ 「ハニワと土偶の近代」展にやっといけた8diaです。

 

 

相方がハニワ土偶の類が好きで、ちなみに岡本太郎よろしく火焔土器も好きなのですが、あたし自身は土っこ、かわらけの類には全く興味がなくて行き渋っていたのだけど「近代だからさ」とどんな誘い文句だよとおもいながらもお供。

そしたら
はにゃ!はに丸がいるわけですよ展示物として。
お馬のひんべいもちゃんとお供してて、その無我の境地に達する穴仄暗い眼に絡め取られ、
近代社会においてこんなにも埴輪好きが存在して、あの無表情の中に意味を求める人達がいたということに愕然とするわけです。
ある意味斬新!期待以上に有意義な展示会であった。

 

先日、お亡くなりになってショックをうけた谷川俊太郎は「埴輪」という詩を詠む。

 

 

防人武人は国家掲揚の象徴として日本の戦争を見つめ、
その空な眼で無表情な様は戦時の日本人の感情と結びつき共感を集めていく危うさを孕んでいたのだという。

 

 

特撮モノとして民衆の怒りにもなり、

 

 

イサムノグチ、岡本太郎、蓑虫山人のミューズとなる。それは抑圧された自由への通行手形。

 

思いもよらない埴輪の役割について考えさせられるのはもちろんで、時を経ての考古学や美術品価値にフォーカスするのではなく、そこから近代において何が生まれたかに焦点をあてた秀逸な企画展であった。

 

 

 

 

 

そしてほりだしに戻る。←ここでダジャレかよ!

 


やはり三つ子の魂百まで。
はに丸とひんべえに日本語を教わって育ったわけで、はっ土偶、けっハニワなんて思っていたけどハニワ掛け軸の一枚でも欲しくなるわけです。
そういやあばあちゃんが意気揚々と買ってきた防人武人のハニワが実家のどこかにあったはずである。

 

欲しいかと言われればいらないけど、買うかといえば買わないけど、あのハニワにはお会いしたい。すでに100年たったとは思えないモダンさもあるから今見たら何かが変わるか!?

 

 

 


クッキーモンスターになったノーレーズンサンドウィッチ

2024-11-18 | トラットリア

平野紗季子の「「生まれたときからアルデンテ」を読んで感覚が「新風」と衝撃をうけたのだけど、その衝撃は世代的なものではななく彼女自身のものなのだと今は知っている。
ついに本は2冊目「ショートケーキは背中から」。
いまでは新風とかそんなんじゃなくて勘の良さやセンスがタイフーンだもの。

ほれぼれする目の付け所。

食を食べるという行為だけではなくエンターテイメントにまで昇華させる生粋のプロデューサー気質。それでいて子供のころからの英才教育ともいうべき食生活と好きを突き詰めるオタクの性分が混然一体となってよろしクリエイティブお願いいたします。

 

よろしクリエイティブ

ツイッターだったか、インスタだったか忘れたけどまだ一度も会ったことがない人にメール「よろしクリエイティブお願いします。」と送ってしんだ。・・・という一文をみつけてきっと「クリエイティブ」という言葉を日常的につかっているのだと推測する。

予測変換で「く」といれるとあたしの場合、よくつかう取引会社の社名になるけどクリエイティブがサジェストされることはない。
そのクリエイティブさを発揮して誕生したのがノーレーズンサンドイッチ。

レーズン嫌いが食べてみたかったレーズンサンドイッチ。
世の中にないのならつくってしまえとばかり、独裁者のような剛腕をもってして誕生したお菓子である。

NO REASON との似たひびきも「妙」である。

There is no reason to chose.

No raisonsandwices are no reason to chose.

 

皆がそうおもうようでいつだってソッコーで売り切れてしまう。
幻のお菓子がさらに幻度をまして GW に売り出されたわけ

ノーレーズンサンドウィッチ×クッキーモンスター

もうなんていうのかこういうのを正しくコラボと呼び、相乗効果といえる正当なる企画である。早起きして向かったのは銀座
ネットで買えたためしがないから気合をいれて初日に POP UP ショップに向かう。

 

 

気合いれすぎて 40 分前に着いちゃってちょっと早すぎるかなと思い、いってみればまさに長蛇がおりたたまれてみっしりとかつ整然と人がならんでいる。

 

びっくり。

そして、ですよね。
さすがのノーリーズン、ノーレーズン。
HOGAMA のノーレーズンゴーストをみてほしいと思って会社帰りに伊勢丹にいったら開店と同時に売り切れましたという一言を糧にやっとここまでたどりついた感。

 

 

 

 

 

クッキーモンスターに続き次はエルモですってよ。

 

 


本を読む姿は美しい

2024-11-18 | リブレリア

山口晃のここへきてやむに止まれぬサンサシオン展
江戸時代の洛中洛外図と山口晃の洛中洛外図が同じ展示会でみられるなんてなんて粋な計らいなんだろうと満足したところでスペシャルおまけ。

「読書する女性たち」展

 

本を読む女性の姿にフォーカスした展示。
本のある光景は活字中毒を夢中にさせる。分け入っても分け入っても本を読む人の姿。


山口晃の個展がメインでしたが、いつかこちらをメインに仕立てた展覧会もみてみたいものである。
キノイグルーの有坂さんをメインキュレータにむかえてアティーゾン美術館で催される

「本を読む姿は美しい」展。

キノイグルー 有坂さんのインスタ
小さい四角におさまるハッシュタグ#本を読む姿はうつくしいは圧巻だもの。

 

本を読む人に特化した展示会なんて想像すればするほど楽しみすぎる。
携帯を見つめる姿より本を読む姿は美しいと電車の中でおもうのです。

モテを意識して本を読もうかと美しくない考えがよぎったとしても、本を読む姿はやはり美しい。


ここへきてやむに止まれぬジークジオン!

2024-09-18 | ギャラリー

語呂がいいのか、リズムがいいのかどうもこの一文がリフレインしてしまう。
呪文のように心の中で唱えている自分がいるのだけど。

 

 

もう一年も忘れた頃にふと唱えている。
元ネタは2023年9月〜 アーティゾン美術館で行われていた山口晃の「ここにきてやむに止まれぬサンサシオン」展である。

 

 

 


それがいつのまにすり替わって、入れ替わってここへきてやむに止まれぬジークジオン!
サンサシオンというよりジークジオンな年代なものですからね。

是非ご唱和いただきたい。
ここへきてやむに止まれぬジークジオン!
と声高に叫ぶあたしが居て、おもわずつぶやく素直なあなたが居て。

 

どう?クセになりません

 

「ここへきてやむに止まれぬジークジオン!」

 


K2に眠れ

2024-08-23 | Weblog

オリンピックの時期にメダルの数よりに気になって気になって仕方がないニュースが飛び込んできた。

2024年7月27日 平出和也と中島健郎によるK2西壁未踏峰チャレンジ
両名の滑落という事故の一報。

 

 


なにもやることがない土曜日
昼寝しつつ、見るものがないといいながらもつけっぱなしの TV のチェンネルをパチパチとかえつついつの間にかにガン見してしまうその視線の先の平出さん。


世界でも指折りのアルパインスタイルのクライマー。
山登りというよりは岩にへばりつきにいってるんじゃないかと思うくらい過酷な山登りスタイルで未踏破ルートを切り開くアルパインストである。
時にミノムシのように揺られながら絶壁で一晩をすごし、山を下りれば数々の死線をくぐりぬけたとも思えないほどの穏やかさで山について語る姿はもう後光がさす修行僧である。


仏教でも大阿闍梨になるためには山の中をひたすら走り回るのだから、あんな過酷な山に登っていれば悟りもひらけてしまうのだろう。
凡人中の凡人、凡人のお手本みたいなあたしなんかは雄大な自然に感動することもなく、よ
くもまあという思いでTVをみつめているのだけど、否、好んで見ているこれは平たく言うとかなり興味ありで、好きなのは怖いもの見たさを超えた崇高さや畏怖の念を感じるからなんだろうと思いたい。
谷口ケイさんの転落事故や無謀といわれた栗木さんの挑戦の結末をググってしまうほどだから。

 

今回の平出さんと中島さんお二人の挑戦はもちろん知らなかったけど無事に帰還されていればまたNHKのドキュメンタリーでみることができたであろう幻のK2登攀。
現在いる場所はわかっていながら、手の届かない場所とはどんなところであろうか。
毎度、死なないで帰ってきてることの方が奇跡に近いのだろうけど、奇跡を奇跡とさせない実力と体力と精神力をもって数々の偉業を達成させてきた二人がK2に眠る。
日常には存在しないひりひりとした緊張感と高揚感にとりつかれてしまうのだとしたらK2とはもう麻薬だな。
ランナーズハイならぬクライマーズハイ。
経験した人にしかわからないなにか。

 


それならいっそK2に眠れ

 

 

虜になったK2に抱かれて眠っていると思えば少しは消化できるのかな。
現状あたしは消化できてないけど。
「いやあ、今回は大変でした」といいながら帰ってきて、また次の挑戦に胸を躍らすのであればK2に眠れ。そうでなければ戻ってこい!

 

 

昨日、ついに石井スポーツから重要なお知らせとしてK2西壁遠征 最終の報告がリリースされた。

石井スポーツ K2プロジェクト 最終報告


自分では見ることのできないすごい世界を沢山見せていただいたことに感謝しつつ、改めてK2に抱かれて眠れと思うのです。
それでもまだふらふらになりながらも戻ってくるような気もしてるんですよねあの2人ならと。
挑戦に敬意を表して。