(1939/ジョン・フォード監督・製作/ジョン・ウェイン、トーマス・ミッチェル、クレア・トレヴァー、ルイーズ・プラット、ジョン・キャラダイン、ドナルド・ミーク、ジョージ・バンクロフト、アンディ・ディヴァイン、バートン・チャーチル/99分)
双葉さんの「ぼくの採点表」での最高点は☆☆☆☆★★(90点)で、これまでに15本あるが、その中の一つがコレ。唯一の西部劇でもある。
黒澤監督が敬愛したと云われるジョン・フォード監督の名作で、19世紀の南北戦争後の西部を舞台に、インディアンの襲撃が予想される危険な旅を余儀なくされる一台の駅馬車に乗り合わせた人々を描いたロード・ムーヴィー。
出発はアリゾナ州トント。最終目的地はニューメキシコのローズバーグ。中には途中下車する予定の人もいたが、事情が変わって全員がローズバーグまで乗り合うことになる。【原題:STAGECOACH】
東からやって来たその駅馬車に乗っていたのは、コチラに配属されている騎兵隊大尉マロリーの妻ルーシー(プラット)と、酒の行商人ピーコック(ミーク)。ルーシーはバージニアから夫に会いに、ピーコックはカンザスからの行商の旅だった。
トントで同乗する事になるのが、時を同じくして町から追い出しを食らった飲んべえの医者ブーン(ミッチェル)と娼婦のダラス(トレヴァー)。そこに何故かルーシーの護衛を買って出た賭博師ハットフィールド(キャラダイン)が加わり、町外れでは銀行頭取のゲートウッド(チャーチル)も乗り込む。
トントの保安官カーリー(バンクロフト)はお尋ね者のガンマン、リンゴー・キッドが脱獄したと聞き、兄弟の仇討ちにローズバーグにやって来ると睨んで駅馬車の護衛も兼ねて同乗することになる。御者は保安官とも顔なじみのバック(ディヴァイン)。冒頭で、アパッチ族のジェロニモが居留地を抜け出してローズバーグ等で白人に焼き討ちをかけている旨の知らせがあり、次の停車場までは騎兵隊の護衛も付くことになる。
ブーンが追い出される原因は家賃を滞納している為で、ダラスは町の奥さん連中で構成される“風紀委員会”に睨まれた為。ダラスは以前住んでいたローズバーグの友人を頼って出ていくところだった。ブーンは“風紀委員会”にも睨まれており、顔なじみのダラスはブーンに恨み言を言うが、彼は二人とも社会的偏見の被害者なだけであり、卑屈になる必要はないと慰める。
暫く走ったところで、馬車の行く手に一人の男が。ライフルを片手で扱うその男こそ、リンゴー・キッド(ウェイン)だった。リンゴーはカーリーともバックとも顔なじみで、カーリーはリンゴーがローズバーグに仇討ちに行っても、相手が3人であり返り討ちにあうだけだと考えていた。出来れば、その前に捕まえたいと思っていたし、いずれにしても馬車を護衛するのにリンゴーが居るのは都合がよかった。こうして、バックを入れて9人の旅が始まる・・・。
緑の少ない赤茶けた雄大な砂漠とグランドキャニオン特有のボコッと盛り上がったような山々が点在する中、砂煙を上げながら走る6頭立ての駅馬車。どこまでも広がる青い空とポッカリ浮かんだ白い雲の群。西部劇ファンには堪らない画ですな。
ロード・ムーヴィーですが、のんびりした雰囲気はありません。御者のバックは『インディアンは腰布一枚だから寒さは苦手だ』と雪の降る高地を選んで通るし、小さな6人乗りの馬車にはガラス窓も無いので男でもかなりこたえる過酷な行程。いつインディアンが出てくるかという緊張感もある中で、同乗者同士のドラマがバラエティに富んで面白い。
ピーコックは出来れば引き返したいのだが、アル中のブーンにサンプル入りの鞄を抱え込まれて降りるに降りれないという状態。身重のルーシーをダラスは心配するが、ルーシーは軍人の妻らしく毅然として下賤な者の世話にはならないぞと言う態度を見せ、ハットフィールドもルーシーだけが女性であるかのようにダラスに冷たい。そんな中、リンゴーはダラスの優しさを認め、彼女を普通の女性として扱う。次第に、ダラスも密かにリンゴーに惹かれるものを感じていく。
と、まあ、今となってはありがちな設定ではありますが、そんな人間関係の対立を軸にしたドラマ構成ではなく、次々と状況が変わっていく中で、それぞれの人間性が出てくるエピソードの積み重ねが面白い。
ハットフィールドがルーシーを守ろうとする理由や銀行頭取の動向、バックとカーリーの御者台での漫才のようなオカシナやりとりなど見所も満載。ブーンの重要な出番も後半に用意されています。
ずっと出てこなかったインディアンが、終盤のほっと一息ついたところで登場するのがショッキングで、襲撃シーンも大迫力でした。
アーネスト・ヘイコックスの原作を、アカデミー賞4回ノミネート、内1回受賞のダドリー・ニコルズが脚色した脚本が素晴らしい。
1939年のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、白黒撮影賞(バート・グレノン)などにノミネート、アル中の医者を演じたトーマス・ミッチェル(「素晴らしき哉、人生!」、「スミス都へ行く」)が助演男優賞を受賞したそうです。
尚、『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、<原住民(インディアン)に対する差別的な描写から、近年ではアメリカ国内での上映・放送は難しくなっている。>とのことでした。
▼(ネタバレ注意)
頭取のゲートウッドは、監査で不正がばれる前に預けられた給料を猫ババして逃げるところだった。
ハットフィールドは本名はグリンフィールド。ルーシーの父親の部隊に所属していた男で、父親は判事という名家の出。終盤、インディアンにやられそうになり、ルーシーのその後を思い最後の銃弾で死なそうとするが・・・。
一つ気になることが。
ルーシーは身重の体でなぜバージニアからアリゾナ迄という長旅に出たのでしょう。おしゅうとさんとの仲でも悪くなったのかな?
▲(解除)
双葉さんの「ぼくの採点表」での最高点は☆☆☆☆★★(90点)で、これまでに15本あるが、その中の一つがコレ。唯一の西部劇でもある。
黒澤監督が敬愛したと云われるジョン・フォード監督の名作で、19世紀の南北戦争後の西部を舞台に、インディアンの襲撃が予想される危険な旅を余儀なくされる一台の駅馬車に乗り合わせた人々を描いたロード・ムーヴィー。
出発はアリゾナ州トント。最終目的地はニューメキシコのローズバーグ。中には途中下車する予定の人もいたが、事情が変わって全員がローズバーグまで乗り合うことになる。【原題:STAGECOACH】
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東からやって来たその駅馬車に乗っていたのは、コチラに配属されている騎兵隊大尉マロリーの妻ルーシー(プラット)と、酒の行商人ピーコック(ミーク)。ルーシーはバージニアから夫に会いに、ピーコックはカンザスからの行商の旅だった。
トントで同乗する事になるのが、時を同じくして町から追い出しを食らった飲んべえの医者ブーン(ミッチェル)と娼婦のダラス(トレヴァー)。そこに何故かルーシーの護衛を買って出た賭博師ハットフィールド(キャラダイン)が加わり、町外れでは銀行頭取のゲートウッド(チャーチル)も乗り込む。
トントの保安官カーリー(バンクロフト)はお尋ね者のガンマン、リンゴー・キッドが脱獄したと聞き、兄弟の仇討ちにローズバーグにやって来ると睨んで駅馬車の護衛も兼ねて同乗することになる。御者は保安官とも顔なじみのバック(ディヴァイン)。冒頭で、アパッチ族のジェロニモが居留地を抜け出してローズバーグ等で白人に焼き討ちをかけている旨の知らせがあり、次の停車場までは騎兵隊の護衛も付くことになる。
ブーンが追い出される原因は家賃を滞納している為で、ダラスは町の奥さん連中で構成される“風紀委員会”に睨まれた為。ダラスは以前住んでいたローズバーグの友人を頼って出ていくところだった。ブーンは“風紀委員会”にも睨まれており、顔なじみのダラスはブーンに恨み言を言うが、彼は二人とも社会的偏見の被害者なだけであり、卑屈になる必要はないと慰める。
暫く走ったところで、馬車の行く手に一人の男が。ライフルを片手で扱うその男こそ、リンゴー・キッド(ウェイン)だった。リンゴーはカーリーともバックとも顔なじみで、カーリーはリンゴーがローズバーグに仇討ちに行っても、相手が3人であり返り討ちにあうだけだと考えていた。出来れば、その前に捕まえたいと思っていたし、いずれにしても馬車を護衛するのにリンゴーが居るのは都合がよかった。こうして、バックを入れて9人の旅が始まる・・・。
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緑の少ない赤茶けた雄大な砂漠とグランドキャニオン特有のボコッと盛り上がったような山々が点在する中、砂煙を上げながら走る6頭立ての駅馬車。どこまでも広がる青い空とポッカリ浮かんだ白い雲の群。西部劇ファンには堪らない画ですな。
ロード・ムーヴィーですが、のんびりした雰囲気はありません。御者のバックは『インディアンは腰布一枚だから寒さは苦手だ』と雪の降る高地を選んで通るし、小さな6人乗りの馬車にはガラス窓も無いので男でもかなりこたえる過酷な行程。いつインディアンが出てくるかという緊張感もある中で、同乗者同士のドラマがバラエティに富んで面白い。
ピーコックは出来れば引き返したいのだが、アル中のブーンにサンプル入りの鞄を抱え込まれて降りるに降りれないという状態。身重のルーシーをダラスは心配するが、ルーシーは軍人の妻らしく毅然として下賤な者の世話にはならないぞと言う態度を見せ、ハットフィールドもルーシーだけが女性であるかのようにダラスに冷たい。そんな中、リンゴーはダラスの優しさを認め、彼女を普通の女性として扱う。次第に、ダラスも密かにリンゴーに惹かれるものを感じていく。
と、まあ、今となってはありがちな設定ではありますが、そんな人間関係の対立を軸にしたドラマ構成ではなく、次々と状況が変わっていく中で、それぞれの人間性が出てくるエピソードの積み重ねが面白い。
ハットフィールドがルーシーを守ろうとする理由や銀行頭取の動向、バックとカーリーの御者台での漫才のようなオカシナやりとりなど見所も満載。ブーンの重要な出番も後半に用意されています。
ずっと出てこなかったインディアンが、終盤のほっと一息ついたところで登場するのがショッキングで、襲撃シーンも大迫力でした。
アーネスト・ヘイコックスの原作を、アカデミー賞4回ノミネート、内1回受賞のダドリー・ニコルズが脚色した脚本が素晴らしい。
1939年のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、白黒撮影賞(バート・グレノン)などにノミネート、アル中の医者を演じたトーマス・ミッチェル(「素晴らしき哉、人生!」、「スミス都へ行く」)が助演男優賞を受賞したそうです。
尚、『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、<原住民(インディアン)に対する差別的な描写から、近年ではアメリカ国内での上映・放送は難しくなっている。>とのことでした。
▼(ネタバレ注意)
頭取のゲートウッドは、監査で不正がばれる前に預けられた給料を猫ババして逃げるところだった。
ハットフィールドは本名はグリンフィールド。ルーシーの父親の部隊に所属していた男で、父親は判事という名家の出。終盤、インディアンにやられそうになり、ルーシーのその後を思い最後の銃弾で死なそうとするが・・・。
一つ気になることが。
ルーシーは身重の体でなぜバージニアからアリゾナ迄という長旅に出たのでしょう。おしゅうとさんとの仲でも悪くなったのかな?
▲(解除)
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
私はジョン・ウェインの西部劇が大好きです。
駅馬車もテレビを録画したVHSを持っていましたが、どこかへいってしまいました。
今は、ジョン・ウェイン主役ではありませんがDVDの「荒野の七人」をよく一人で観ています。
また訪問します。
ジョン・ウェインは良くテレビで見てた人なのですが、実は70年代も活躍したんですよね。オスカーを獲った「勇気ある追跡」も私は劇場で観たのでした。
また、いらして下さい。
今ではインディアンの扱いが・・・なんて言われますけど、この作品の主題は駅馬車に乗り合わせた人々の生き様であると思うんですよね。あの人間関係の描き方が素晴らしい!さすがジョン・フォード、と何度観ても唸らされます。
そして、インディアン襲撃時のアクションシーン。あの時代にこれほどまでのスピード感と迫力ある映像を撮れるとは!と感動しました。
そしてやっぱりジョン・ウェインですよね。この映画で彼がブレイクしたのもわかるぐらいのカッコよさでした。
単純な対立関係を描くだけではなく、それぞれの生き様がにじみ出て来るようなエピソードの組立が上手いですよね。
ワイラーとは違って、少し乾いた感触があるんですが、昔観た時とは違う印象があるので、その他の作品ももっと見たくなりました。
何度か観る機会があったのに、「まあ、また今度」と先延ばし。だいぶ前にまとめ買いした500円のDVDの中に確かあったはず。
ぜひ観て、身重のルーシーが旅に出た理由とか、自分なりに解明してみたいと思ってます♪
有名すぎると、意外とそんなもんですよね。
ルーシーの件、よろしくです
有無を言わせぬ傑作と思いますね。
>インディアン
現在字幕が馬鹿馬鹿しくも「先住民」という表現に変えられていますね。
「先住民、嘘付かない!」じゃ気分が出ませんぜ。
差別表現がどうのこうの言っているのは、ある意味人間が融通が利かなくなっている証拠でり、そうでない人間の優越意識の表れでもあるわけで、却ってけしからんですよ。
インディアンを記号化して観れば何の問題もなく、双葉師匠も「馬鹿馬鹿しい」とお思いになっていることでしょう。
お先です^^
ロード・ムーヴィーらしく空間の移動が直線的で、登場人物の紹介も時間の流れの中で配分よろしく構成されている。
まさにお手本のような映画でしたね。
インディアンは旅の障害の一つとして見れば、映画を楽しむのには何の問題もないのですが、彼らネイティヴ・アメリカンの人達からすれば、多少は気になる所もあるのかなぁとも思います。
「野蛮人」とかいう表現だけでなく、何しろ、侵略者は白人の方ですからね。
とくにハットフィールドさんの背景はまったくわからなくて、最後に判事が父親ということ以外はどこに描かれていたのやら…。
インディアン描写は、たまに我慢ならない作品もあるけど、こちらは不思議と気になりませんでした。
後から、出演したネイティヴ・アメリカンの方たちとジョン・フォードがとても良い関係だったと知り、それが映像に表れてたのかな?と思ったり。
名作の裏には面白い逸話があるものですね~。
ほう。そういう裏話は初めて聞きました。
フォードさんの気配りがあったんでしょうねぇ。
最近、また小津映画を観ているんですが、ふとフォード映画も思い出すのは、二人とも絵画的な表現に巧さを感じるからだと思います。