(1954/アルフレッド・ヒッチコック監督・製作/ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー、セルマ・リッター、レイモンド・バー、ウェンデル・コーリイ/113分)
IMdbを見にいったらタイトルが「Uramado」となっていた。「Rear Window」は“original title”だって。どういう事!?
真夏のニューヨーク。
仕事中の事故で片足を骨折し自宅療養中の報道カメラマン、ジェフ(スチュワート)は、暇にあかせてご近所さんの様子を窓越しに眺めている内に、向かいのアパートでいつも口論の絶えなかった中年夫婦の奥さんの姿が突然見えなくなっていることに気付く。亭主は図体のでかいセールスマン(バー)で、奥さんは病弱なのかベッドに寝ていることが多かったのだが、ある雨の夜に夫の方が大きな鞄を抱えて何度か出入りした次の日辺りから奥さんのベッドが置いてあった部屋はブラインドが下りたままになってしまい、夫婦が話をしている様子もなかった。しばらくして、部屋の中で亭主が大きな包丁やら鋸を新聞紙にくるむところを見るに及んで、ジェフは彼が奥さんを殺してバラバラにしたのではないかと疑うようになる。
軍隊時代からの友人でもある刑事ドイル(コーリイ)に事情を説明するが、ドイルの調査ではセールスマンはシロで、奥さんは遠くに旅行に出かけていて件のアパートの管理人も承知しているとのことだった。
ファッションモデルでジェフにぞっこんの恋人リザ(ケリー)や通いの看護婦ステラ(リッター)は、その後も不審な行動をみせるセールスマンにジェフと同様の疑いをもち、ついにはリザが大胆な行動に及ぶのだが、それはジェフにとっても大いなる危険を伴うことであった・・・。
映画ファンには説明の必要もないくらいポピュラーなヒッチコック作品ですな。沢山の映画を撮ってきたヒッチコックには実験的な作品もあって、この映画もそんな中の一つです。
どなたの解説にも必ずと言っていい程書かれる事ですが、まずはカメラが主人公であるジェフの部屋から出ていかないのが真に個性的な特徴です。ウィットに富んだ会話がふんだんに聞けるのに、実はそれらはジェフとリザ、ステラ、そしてドイルとの間に交わされるもので、彼ら以外にも沢山登場するご近所のアパートの住人達の会話は殆ど聞こえません。それなのに、この作品にはジェフの窓越しに見える人々の生活が面白いほどに描かれています。ジェフの持つカメラの望遠レンズ越し、或いは双眼鏡越しに撮される市井の人々の生活は、それぞれがささやかなストーリーを持っていて、その細やかな積み重ねがサスペンスの小出しに繋がり絶妙なバランスを保っている。しかも幾つかの窓の住人のストーリーはジェフ達素人探偵の活動へ影響を与えている。
原作はトリュフォーの「黒衣の花嫁(1968)」の原作者でもあるコーネル・ウールリッチの短篇で、ジョン・マイケル・ヘイズが大幅に脚色した本は、この年のアカデミー賞にノミネートされました。
一昨年、99歳で亡くなった映画評論家の双葉十三郎さんはヒッチコックの大ファンで、その著書「映画の学校」の中でもこの作品を“「裏窓」と十七回の溶暗”というサブタイトル付きで紹介されています。場面転換にフェイドアウト&フェイドインを17回も使ったのが一大特色であると述べられているのです。今ではクラシックな手法になっている“溶暗”ですが、さりげなく時間経過を表現するのにこれほど確実な方法はなく、変なところで使用すると返って編集ミスがばれてしまう程です。
先に書いたように、「裏窓」のカメラはジェフの部屋に置かれており、絵面(えづら)はあまり代わり映えがしません。見た目では派手な事件は起こらず、文学でいえば一人称記述の小説の匂いもします。こういう作品の場合、時間経過の手法に“溶暗”を使うのはいわば限られた選択の中の一つであったように思います。
カメラはヒッチ作品ではお馴染みのロバート・バークス。こちらも撮影賞(カラー)にノミネートされました。
ツイッターにも書きましたが、ラスト近くの殺人犯がジェフに迫るシーンでは、助けに来る警察やらリサやらステラやら、全ての人々の動きがコマ落としになっています。緊迫感を出そうとしたのでしょうが、少しばかりユーモラスな味もあります。
そういえば、全体的にもサスペンスとユーモアが巧みにブレンドされた映画でもありますね。それと殿方にとっては、クール・ビューティーと謳われたグレイス・ケリーのお色気にも圧倒されることでしょう。
ジェフに食事を作ってあげたステラが、お肉を食べようとしている彼の前でバラバラにされた遺体について語るシーンは、ヒッチコックの晩年の傑作「フレンジー」の警部の奥さんを思い起こさせるプチ・ブラック・ユーモアでした。
▼(ネタバレ注意)
点描されるご近所の住人について書いておきましょう。
向かいの木造らしき2階建ての1階には、なにやらオブジェを作ったりしている中年女性が、どうやら一人暮らし。
上階にはジェフの目の保養にもなっているグラマーな踊り子が。この女性はリザの立場を色々と表現するのに利用されるが、ラストには意外なボーイフレンドが登場する。
左のアパートには新婚さん。真夏なのに昼間っからシェードも降ろしっぱなしで、初登場はラブラブだったのにねぇ・・。
右側の外壁のガラスがモダンなアパートには独身の作曲家が居て、なかなか売れなかったのが途中で人気者になったことが分かる。孤独を嫌というほど味わい尽くしただろう彼の作り出したメロディーには、人を救う力がありました。
向かいの右手の大きなアパートの左端の3階には子犬を飼っている中年夫婦。寝苦しい夜にはベランダに布団を出して寝ているという小市民。突然の雨に慌てる様子が可笑しかった。
同じアパートの2階に住んでいるのが容疑者のソーウォルドとその妻。後にTV番組「鬼警部アイアンサイド」で人気を博したレイモンド・バーが、殆ど聞こえない台詞をしゃべりながらの熱演で、設定はアクセサリーのセールスマンでした。
あの奥さんを演じた女優は誰だろうとIMdbを見にいったら、アイリーン・ウィンストンという名前で、この映画の10年後に48歳で亡くなっていました。
ソーウォルドの下階に住むのがステラ命名の“ミス・ロンリーハート”。役名も“ミス・ロンリーハート”としか出ていないこの女優はジュディス・イヴリンという名で、彼女も13年後に46歳で亡くなっていました。
睡眠薬自殺を図ろうとした事が間接的にリザの窮地を救うという、そして本人にも最後にはハッピーエンドが待っている幸運な女性でした。
▲(解除)
1954年のアカデミー賞では監督賞にもノミネートされ、グレイス・ケリーはNY批評家協会賞で女優賞を獲得、英国アカデミー賞でも作品賞にノミネートされたそうです。
IMdbを見にいったらタイトルが「Uramado」となっていた。「Rear Window」は“original title”だって。どういう事!?
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真夏のニューヨーク。
仕事中の事故で片足を骨折し自宅療養中の報道カメラマン、ジェフ(スチュワート)は、暇にあかせてご近所さんの様子を窓越しに眺めている内に、向かいのアパートでいつも口論の絶えなかった中年夫婦の奥さんの姿が突然見えなくなっていることに気付く。亭主は図体のでかいセールスマン(バー)で、奥さんは病弱なのかベッドに寝ていることが多かったのだが、ある雨の夜に夫の方が大きな鞄を抱えて何度か出入りした次の日辺りから奥さんのベッドが置いてあった部屋はブラインドが下りたままになってしまい、夫婦が話をしている様子もなかった。しばらくして、部屋の中で亭主が大きな包丁やら鋸を新聞紙にくるむところを見るに及んで、ジェフは彼が奥さんを殺してバラバラにしたのではないかと疑うようになる。
軍隊時代からの友人でもある刑事ドイル(コーリイ)に事情を説明するが、ドイルの調査ではセールスマンはシロで、奥さんは遠くに旅行に出かけていて件のアパートの管理人も承知しているとのことだった。
ファッションモデルでジェフにぞっこんの恋人リザ(ケリー)や通いの看護婦ステラ(リッター)は、その後も不審な行動をみせるセールスマンにジェフと同様の疑いをもち、ついにはリザが大胆な行動に及ぶのだが、それはジェフにとっても大いなる危険を伴うことであった・・・。
映画ファンには説明の必要もないくらいポピュラーなヒッチコック作品ですな。沢山の映画を撮ってきたヒッチコックには実験的な作品もあって、この映画もそんな中の一つです。
どなたの解説にも必ずと言っていい程書かれる事ですが、まずはカメラが主人公であるジェフの部屋から出ていかないのが真に個性的な特徴です。ウィットに富んだ会話がふんだんに聞けるのに、実はそれらはジェフとリザ、ステラ、そしてドイルとの間に交わされるもので、彼ら以外にも沢山登場するご近所のアパートの住人達の会話は殆ど聞こえません。それなのに、この作品にはジェフの窓越しに見える人々の生活が面白いほどに描かれています。ジェフの持つカメラの望遠レンズ越し、或いは双眼鏡越しに撮される市井の人々の生活は、それぞれがささやかなストーリーを持っていて、その細やかな積み重ねがサスペンスの小出しに繋がり絶妙なバランスを保っている。しかも幾つかの窓の住人のストーリーはジェフ達素人探偵の活動へ影響を与えている。
原作はトリュフォーの「黒衣の花嫁(1968)」の原作者でもあるコーネル・ウールリッチの短篇で、ジョン・マイケル・ヘイズが大幅に脚色した本は、この年のアカデミー賞にノミネートされました。
一昨年、99歳で亡くなった映画評論家の双葉十三郎さんはヒッチコックの大ファンで、その著書「映画の学校」の中でもこの作品を“「裏窓」と十七回の溶暗”というサブタイトル付きで紹介されています。場面転換にフェイドアウト&フェイドインを17回も使ったのが一大特色であると述べられているのです。今ではクラシックな手法になっている“溶暗”ですが、さりげなく時間経過を表現するのにこれほど確実な方法はなく、変なところで使用すると返って編集ミスがばれてしまう程です。
先に書いたように、「裏窓」のカメラはジェフの部屋に置かれており、絵面(えづら)はあまり代わり映えがしません。見た目では派手な事件は起こらず、文学でいえば一人称記述の小説の匂いもします。こういう作品の場合、時間経過の手法に“溶暗”を使うのはいわば限られた選択の中の一つであったように思います。
カメラはヒッチ作品ではお馴染みのロバート・バークス。こちらも撮影賞(カラー)にノミネートされました。
ツイッターにも書きましたが、ラスト近くの殺人犯がジェフに迫るシーンでは、助けに来る警察やらリサやらステラやら、全ての人々の動きがコマ落としになっています。緊迫感を出そうとしたのでしょうが、少しばかりユーモラスな味もあります。
そういえば、全体的にもサスペンスとユーモアが巧みにブレンドされた映画でもありますね。それと殿方にとっては、クール・ビューティーと謳われたグレイス・ケリーのお色気にも圧倒されることでしょう。
ジェフに食事を作ってあげたステラが、お肉を食べようとしている彼の前でバラバラにされた遺体について語るシーンは、ヒッチコックの晩年の傑作「フレンジー」の警部の奥さんを思い起こさせるプチ・ブラック・ユーモアでした。
▼(ネタバレ注意)
点描されるご近所の住人について書いておきましょう。
向かいの木造らしき2階建ての1階には、なにやらオブジェを作ったりしている中年女性が、どうやら一人暮らし。
上階にはジェフの目の保養にもなっているグラマーな踊り子が。この女性はリザの立場を色々と表現するのに利用されるが、ラストには意外なボーイフレンドが登場する。
左のアパートには新婚さん。真夏なのに昼間っからシェードも降ろしっぱなしで、初登場はラブラブだったのにねぇ・・。
右側の外壁のガラスがモダンなアパートには独身の作曲家が居て、なかなか売れなかったのが途中で人気者になったことが分かる。孤独を嫌というほど味わい尽くしただろう彼の作り出したメロディーには、人を救う力がありました。
向かいの右手の大きなアパートの左端の3階には子犬を飼っている中年夫婦。寝苦しい夜にはベランダに布団を出して寝ているという小市民。突然の雨に慌てる様子が可笑しかった。
同じアパートの2階に住んでいるのが容疑者のソーウォルドとその妻。後にTV番組「鬼警部アイアンサイド」で人気を博したレイモンド・バーが、殆ど聞こえない台詞をしゃべりながらの熱演で、設定はアクセサリーのセールスマンでした。
あの奥さんを演じた女優は誰だろうとIMdbを見にいったら、アイリーン・ウィンストンという名前で、この映画の10年後に48歳で亡くなっていました。
ソーウォルドの下階に住むのがステラ命名の“ミス・ロンリーハート”。役名も“ミス・ロンリーハート”としか出ていないこの女優はジュディス・イヴリンという名で、彼女も13年後に46歳で亡くなっていました。
睡眠薬自殺を図ろうとした事が間接的にリザの窮地を救うという、そして本人にも最後にはハッピーエンドが待っている幸運な女性でした。
▲(解除)
1954年のアカデミー賞では監督賞にもノミネートされ、グレイス・ケリーはNY批評家協会賞で女優賞を獲得、英国アカデミー賞でも作品賞にノミネートされたそうです。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
>市井の人々の生活は・・・サスペンスの小出しに繋がり絶妙なバランスを保っている。
ヒッチコックは、サスペンスとユーモアの融合ができる殆ど唯一の監督も言って良いわけですが、本作はそれに加えて(ジャンルとしての)サスペンスとロマンス(やその他の市民生活)をも見事に融合させた、正に傑作。
所謂ラブ・コメディーと混同されがちなロマンティック・コメディーというジャンルがそれに近いわけですが、こんなに上手く行った例はちょっと例がないのではないでしょうか?
この傑作が「めまい」同様製作後およそ30年近くも封印されていたとは、今となっては信じられないですよね。
ヒッチコック・ファンになって15年目くらいの1984年に僕は姉のところへ遊びに行ったついでに横浜の映画館で鑑賞。
興奮したのでもう一回観てしまいました。
>グレイス・ケリー
文字通りグレイスなケリーさんにぞっこんです^^
昨年12月に観て昨年最後の記事として取り上げたペドロ・アルモドバルの「抱擁のかけら」という映画(サスペンスではありません)がどうも「裏窓」にオマージュをささげているらしいです。
嫉妬した夫が音のないカメラ映像を見て妻の心情を探るシークエンスがそれですが、読唇術を使って会話を読み取ろうとするのが偏執症的で、これまたヒッチコック的なのでした。
>ペドロ・アルモドバルの「抱擁のかけら」という映画がどうも「裏窓」にオマージュをささげているらしいです。
デ・パルマの「ボディ・ダブル」っていうのも確かそうでしたよね。出来はかなり違ってたように覚えてますけど。(笑)
ああいう時、男性より女性の方が行動的になってしまうのは、わたしにも覚えがあります。
渋くてカッコイイ顔の割りに、やってることはあんまり決まらないジェフも親しみがわきました(笑)
そういうことです。初公開以来という言葉が抜けておりました。^^;
全世界でリバイバルはおろかTVでも放映されなかった(ヒッチコックが封印したらしい)ので、若い僕らにとっては「めまい」同様幻の名画だったんですよね。
>IMdbを見にいったらタイトルが「Uramado」
昨年の秋口からそんな風になっておりまして、日本で公開された映画は邦題をローマ字で表記するらしい。
どの国の訪問者かで瞬時に判断するようにサイトが設計されているようです(凄)。
女性はすぐに行動に移すからアクション映画になっちゃうんでしょうか。
えぇーっ!
ほんなこつですか?!
じゃ、「Uramado」で驚くのは早計だったということですね。“ekiden”とか“judo”みたいに、万国共通語になっちゃったのかと思いましたもん。