猫ぢや猫ぢやとおしやますが
猫が、猫が下駄はいて
絞りゆかたで來るものか
オツチヨコチヨイノチヨイ
下戸ぢや下戸ぢやとおしやますが
下戸が、下戸が一升樽かついで
前後も知らずに酔ふものか
オツチヨコチヨイノチヨイ
蝶々蜻蛉や きりぎりす
山で 山でさえずるのは
松虫 鈴虫 くつわ虫
オツチヨコチヨイノチヨイ
つい最近こんな歌を見つけた。これは、江戸末期から明治期にかけて流行った「おっちょこちょい節」という端歌らしい。らしい、と疑問を呈するのは、元歌と替え歌がゴチャゴチャになっているような気がするから。
三番の「蝶々蜻蛉」が元歌で、一番は「猫」に置きかえた替え歌か?
二番はネコの歌詞を作ったついでに、ゲコと語呂合わせしたもの?
いずれも酒宴での戯れ歌のひとつで、たいした内容の歌ではない。そうなのだが、この歌詞を見てふっと第六感がくすぐられたのだ。漱石が猫に踊らせた猫じゃ猫じゃとは、この歌に合わせた踊りなのかもしれないと。
もともと優雅な猫が、下世話なというか艶っぽいというか、まさかこんな歌に合わせて踊るものか、などと半信半疑でさらにネットを探ってみると、この六月に出た「吾輩は猫画家である ルイス・ウェイン伝」(集英社新書、南條竹則著)という本に出くわしてしまった。その表紙には、猫三匹が行儀よく椅子に腰かけて机に向かうカラフルな絵が印刷されていた。以下、ネット記事から引用して概略を載せる。
「吾輩が主人(苦沙弥先生)の膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている、その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍っている。」
※( )書き、下線はブログ筆者の加筆
これは、漱石の「吾輩は猫である」の有名な一節。物好きな人がいるもので、林丈二さんという方は、イギリスの画家ルイス・ウェインが描いた絵葉書を手に入れ、吾輩のこの一節に登場する絵葉書とはこれを言うのではないか、そして漱石はその絵葉書を実際に持っていたのではないかと推測した。ルイス・ウェインは、ちょうど漱石がロンドンへ留学していた一九〇〇年から一九〇二年にかけて、人間的でユーモラスな猫たちの絵を描いて人気絶頂だった。
漱石は本の中で猫じゃ猫じゃの振りまでは書いていない。そのこともあって、私(ブログ筆者)はずいぶん前(四十数年前)から、漱石の猫じゃ猫じゃが喉にしっかり刺さった鱈の骨のように気にかかって仕方がなかった。手をこまねいていたのではない。長きにわたってぼんやりと、私なりに様々なイメージを追求してきた。たとえば、猫のしぐさのうちのひとつ、耳の上に手を回して顔を洗う猫独特のポーズや、あるいは北斎漫画のような猫の超絶運動機能のポーズなど。
憎らしいことに、ネットの本の表紙に机の角で踊る猫の姿はなかった。漱石ゆかりの猫の絵付き絵葉書が実際にあるのなら、何としてもその絵を見なくては、と私は久しぶりに奮い立った。こうなると物好きの行動は林さんにまさるとも劣らない。さっそく近所の本屋で猫の絵だらけの立派な新書本を見つけた。ページをめくるとすぐ、猫じゃを踊る猫が目に飛び込んできた。
予想に反して? その猫は顔をしかめて片目をつぶり、器用に片足立ちして、両腕を所在なげに前方に差し出している。こんな不安定な姿勢を誰でもできるわけではない。大人の男ならひっくり返らないまでも、恥ずかしがってやらないだろう。しかし、猫と芸妓さんにはお似合いなのだ。と瞬時に私は感じ取った。漱石はきっと、その絵を見たとき、頭の隅からおっちょこちょい節の猫じゃの振り付けがよみがえったのだと思う。漱石の「猫じゃ」の語源は、この辺りにあると断定して大丈夫だろう。それくらい絵の猫の振りは愛嬌があった。私は見るだけで気持ちが収まらず、一千二百円のお買い物をしてしまった。
しかし本の筆者によると、絵の中の猫はほんとうは踊っていたのではなかった。すぐ隣の教師に叱られて、しょぼくれた猫の姿なのだという。
まだ本の数ページしか読んでいないので、この本の筆者がおっちょこちょい節に言及しているかどうか確認できていない。もしもこのことに誰も気づいてないとすれば、私が第一発見者なので、取りあえず証拠としてこのブログに書いておく。(2015.8.14)
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