和楽ファンのみなさま いつもご拝読、誠にありがとうございます どなたが読んでくださっているのか あまりわからないのですが 全ての読者のみなさまに ありがとうございます 私は民謡が好きで毎日のように床屋でお客様の髪を切らせていただいては 母がお顔を剃る時にしばしば三味線を弾きながら唄っております つまりうちの床屋は世界初の民謡床屋でございます NHKからいつ取材のお話が舞い込んでくるだろうかと勝手な夢を観ておりますけれども・・ 全く来ません
先日、お客様が上手になってますねと目を丸くして喜んでくださりました 本当に嬉しかったです 今日は江田島市にある老人ホームに散髪しに入って参りましたよ 今日は三味線は持参しておりませんでしたので、カセットにCDを入れて、おじいさん達に日本トップレベルの尺八奏者さんとギターのコラボの素晴らしい演奏を聞かせてあげました このCDには年配の方達が若い頃に聞いたであろう懐かしい曲が目白押しでしてね お年寄りのおじいちゃんも無表情ではございましたが・・ 心の中ではきっと喜んで聞いてくださってたのだと僕は想像を致しました 何曲目だったか・・ 美空ひばりさんの川の流れのようにが流れてきた時に、私が唯一、歌える曲でしたので、その尺八の素晴らしい音色と合わせて歌いながらお顔を剃っていた時のことです おじいちゃんの目から突然、涙が溢れてきたのです
川の流れのようにが好きだったのか 尺八とギターの演奏が余りに素晴らしかったのか もしかして私の歌とのハーモニーが後押ししたのかはわかりません・・ ですが、その後、カセットテープに切り替えて本荘追分の伴奏を流し私が歌ってみたのですが、上手くないのか涙は全く流れませんでした(当たり前ですよね) とにかく 音楽の力であることは確実であるように思います。 私は、人が涙を浮かべられるような、そんな歌い手になりたい そのためには、今の私が苦しくても悲しみを味わっておく必要があるのだと思う 悲しみは大きな力を与えてくれるのだと有名な芸術家が述べていました。 悲しみを味わい知っているからこそ、人の心を揺さぶる歌がうたえる人間になれるのだと考えているのでございます。
人の悲しみを理解できなければ、唄の詩に心を込めることなどできないのです。 そして人の悲しみを少しでも理解できる心を養うためには自らが悲しむ経験を乗り越えることが大切なのです。 勇気を出して失敗をしよう。 落ちることを恐れなくていい。 人生は全てが勉強なのです。 失敗は早くした者勝ちです。 小さな頃から失敗を踏んでいれば踏んでいるほど大人になって安定感が増します。 どんどん子供に失敗をさせてやってください。 熱いものを触らせてやってください。 冷たいものを触らせてやってください。 宿題をやらなければ助けず先生に怒られさせ居残りの経験をさせてやってください。 大人になるまでに親の力を一切借りず、自分でなんでもできる人間に成長させてやってください。 と私は全国の子供達を応援したい。
悲しみも憎しみも辛さも喜びも、全てがあなたの生きてゆく原動力となるでしょう。
亡くなった父が言ってたんです。 大人の世界、社会は厳しいぞ・・と・・ 本当に甘くはありませんでした。 僕は小さな頃から何度も命を落としかけた経験がある。 バイクに引かれ、海に沈み、深い側溝に落ち、車に正面衝突し、それでも生きている。 なんで生きていたのでしょう。 すごい少ない確立でこの国、日本に生まれて、今、江田島で生きている。 辛い時に民謡と出会い必死に唄った。 後に素晴らしい民謡仲間と次々に出会ってゆく・・ 本当に僕にとってまるで神のような存在の民謡人が、この私に救いの手を差し伸べてくださった。 今、思うと奇跡でございます。 私はいったい、この先、どんな人間になってゆくのでしょうか・・ 全くわかりません。 ただ、民謡を初めて5年と半年が経ち・・ 考え方が丸っきり180度変わってしまいました。
去年、精神がおかしくなってしまい 仲間と共に立つはずの大会の舞台が踏めない可能性が強くなった時でした・・ 自分の唄が唄えなくとも・・ せめて合いの手だけは、なんとしてでも立ってやり遂げたい 本当に結果など考える余裕すら全くなかったんです。 舞台に立てるなら、なんでも良いから助けてください 天に願いました ナガセのスッポン粒を毎日飲みました(駄目下で)・・ それで信じられない回復 大会当日の予選の舞台上での、あの時の心境を今でも忘れられません。 決勝に残ることを完全に諦め捨てた境地で、羽織を着て(普通は着ている人などおりません)私は舞台に立てる喜びを噛み締め、精一杯唄えるその時を楽しんだのでした。 だけど正直、あのような心境をまた真似して舞台に立てと言われたって・・ きっと1度だけしかできないんだと思います。 もう二度とあの気持ちにはなれないのかもしれません。
今の私は民謡での大会をこう考えるのです。 舞台に立つ意味を競技者がいったいどのように考えているのかが最も大切なのではないだろうかと・・ 1.他の競技者に勝ちたいのか 2.緊張する自分に勝ちたいのか 3.自分の練習の成果を表現したいのか 4.日本一になるために立つのか 5.民謡を体全体で楽しみたいから立つのか 6.民謡歌手を夢みて立つのか 7.その他 皆さんの大会の舞台に立つ目的って、どんな理由なのでしょうか 私は当初は、1番でした 他の競技者より自分の良いところを出せれば、きっと勝てると考えていたのです。 そんな気持ちが私の唄に力みを与えていたのは言うまでもありません。 つまり、舞台の上では勝ち負けを意識しては駄目なんです(私の哲学では)。 できることなら1.冷静に 2.わかりやすい発音 3.音程を着実に守る(伴奏とハモリますのでわかります) 4.自分自身の人間的魅力
この4つが重要だと考えております。 特に重要なのは4番だと思っております。 4番が優れている方は、音程が駄目でも発音が駄目でも、大会では上位に入れないかもしれないけれども・・ 唄に味が染みこんでいて聞いていて心に染み入ります。 実はそれが最も民謡の中で得とくしにくいものであると私は考えているのです。 4番は、その人の生き方、考え方、経験そのものの蓄積によるものなのです。 どんなに民謡ばかりを練習して積んでも得ることはできないのです。
私が思うに、4番が高い人には可能性がある人だと思う。 もちろん歌手だからといってプロだからといって4番を備えているということにはなりません(あくまで私の哲学です)。 4番を備えている人は、三味線の撥を初めて握らせて、1回弦に振り下ろしただけで、音に現れます。 初めてなのに魅力のある歯切れの良い音を出せるんです。 でも残念なことに本人は気がついていないようなので僕は伝えます。 あとは、それがキッカケに繋がるかどうかですが、それは自然に任せます 1月26日の音戸の舟唄全国大会でも、素晴らしい可能性を秘めている民謡人が何人かいらっしゃいます
そんな方は、舞台の中央に歩く姿でもうぜんぜん違うんです。 私は自分のことはさておき、民謡のステージなどを観る時には、一番注目する瞬間があるのです
それは 唄を終え→お辞儀をし→帰ってゆく時なのです この時がステージに立つ人間の自然な姿が最も見える時だと私は考えるようになりました。 競技者の中で際立って素敵なマナーのできる方を去年の大会で発見致しましたが 呉に民謡魂が来た時でも・・ 福田こうへいさんの去り方はかっこ良かったんです。 ステージから消えるまでさり気無い気配りがちゃんと出来ているあの姿に・・ 私は良いお手本を見たように今でも胸の中に残っているのです。 あと、強く印象に残っている民謡人がいらっしゃいます。 隠岐の島のゆかりさんです。 最近、ゆかりさんは、民謡魂への出演がなぜだか減ってしまいました 私は、ゆかりさんの元気な笑顔が大好きで 特にお年寄りの おじいちゃん おばあちゃんを大切に想う隠岐独特のやさしい人情の性格がよく現れていて大好きでした。 彼女がテレビに当たり前に出ていた去年の春までは、実はあまり気がついてはいなかったのでしたが・・ 春以降の出演が減り、なぜだかどこか寂しいと感じていた時に、あの笑顔が出なくなってしまったのは痛いと思ったのです。
私は、ゆかりさんから多くを学ばさせていただきました。 ゆかりさんを育てられたご両親や親族、ご近所さま、そして、何よりも隠岐の島が彼女をあそこまで立派に素敵な女性に育てたのだと私は考えました。 隠岐の島に3度渡らせていただいておりますが・・ 本当に絵になる島で、フェリーから眺める海と島の景色は絶景で あの景色をきっと5月に仲間と共に見れるのかと想像するだけで私は胸が熱くなってくるのでございます。 私はいったいあと何度、隠岐に渡れるのだろうか・・ 去年、渡れませんでしたが・・ もう10年渡っていないような感覚です 長いな~~ あの悔しい三味線と唄の舞台 あの時は、唄が初の中級クラスの舞台で いやー 力が入りすぎで~~~ 唄い終えガックリと肩を落とし帰ろうとしたら・・ 夢の先生が「あら 島本さん交流会に出られるでしょ?」とお声をかけてくださって・・ 何かいつもと違うな~って感じ取られたのでしょうね 私は、わたしは・・ 心の中のダムが決壊した 先生の前では泣かなかったが(我慢して) でも、そのお言葉がどんなに嬉しかったか 慰めになったのかは 私にしかわかりません 先生、本当にありがとうございました。
私も将来、そのようなかゆい所に手が届くような、そんな立派な民謡人になってみたい あれからもう1年半が経つのですね~ っていうか・・ もう10年経った感じがするのはどうしてでしょうかね~ 隠岐の初級の方と中級の方の歌い手さんの練習伴奏、楽しかったな~ 私も競技者なので、人の心配してる暇は本当はないはずなのですが・・ 練習伴奏者を求めていらっしゃる競技者の方を見ると、やっぱり仲間意識が働くのですよね~ その中級者だった隠岐の方は、今年、見事に上級に進まれたみたいでしたよ。 いや~ 本当に心が篭っていて良いしげさ節を唄われておりましたもの~
しげさ節って・・ 1000年先にもちゃんと残って大会を開いているのでしょうかね~ すごいな~ そういえば隠岐には、600年生の大木が道の隣にそびえ立っておりましてですね~ その木とも会いたいです 大会の翌日にまたレンタカーを借りて会いにゆこうと思ってますよ 島根の名水って名所もあるんですよ~ 冷たくて美味しいんですよ~ あとは主役といえば、隠岐浄土ヶ浦ですよね~ 静かなる女王様といった感じでおだやかなんですよ~ ここで民謡仲間といつの日か浄土ヶ浦小唄を伴奏したり唄ったりするのが夢なんですよね~ ただですね~ 大会翌日は朝から帰る人が割りと多いので、浄土ヶ浦は、母と私だけになる可能性が大なんですよ~ 素晴らしい隠岐の景色を心に焼きつけて帰っていただきたいものですよね~
今日もご拝読、誠にありがとうございました もしここまで全て読んでくださった方がいらっしゃいましたら・・ 嬉しいですね~ ちょっとくらいためになるといいのですがね~ ゆうさん独特ですからねー あまり本気にしないでくださいませね~
先日、お客様が上手になってますねと目を丸くして喜んでくださりました 本当に嬉しかったです 今日は江田島市にある老人ホームに散髪しに入って参りましたよ 今日は三味線は持参しておりませんでしたので、カセットにCDを入れて、おじいさん達に日本トップレベルの尺八奏者さんとギターのコラボの素晴らしい演奏を聞かせてあげました このCDには年配の方達が若い頃に聞いたであろう懐かしい曲が目白押しでしてね お年寄りのおじいちゃんも無表情ではございましたが・・ 心の中ではきっと喜んで聞いてくださってたのだと僕は想像を致しました 何曲目だったか・・ 美空ひばりさんの川の流れのようにが流れてきた時に、私が唯一、歌える曲でしたので、その尺八の素晴らしい音色と合わせて歌いながらお顔を剃っていた時のことです おじいちゃんの目から突然、涙が溢れてきたのです
川の流れのようにが好きだったのか 尺八とギターの演奏が余りに素晴らしかったのか もしかして私の歌とのハーモニーが後押ししたのかはわかりません・・ ですが、その後、カセットテープに切り替えて本荘追分の伴奏を流し私が歌ってみたのですが、上手くないのか涙は全く流れませんでした(当たり前ですよね) とにかく 音楽の力であることは確実であるように思います。 私は、人が涙を浮かべられるような、そんな歌い手になりたい そのためには、今の私が苦しくても悲しみを味わっておく必要があるのだと思う 悲しみは大きな力を与えてくれるのだと有名な芸術家が述べていました。 悲しみを味わい知っているからこそ、人の心を揺さぶる歌がうたえる人間になれるのだと考えているのでございます。
人の悲しみを理解できなければ、唄の詩に心を込めることなどできないのです。 そして人の悲しみを少しでも理解できる心を養うためには自らが悲しむ経験を乗り越えることが大切なのです。 勇気を出して失敗をしよう。 落ちることを恐れなくていい。 人生は全てが勉強なのです。 失敗は早くした者勝ちです。 小さな頃から失敗を踏んでいれば踏んでいるほど大人になって安定感が増します。 どんどん子供に失敗をさせてやってください。 熱いものを触らせてやってください。 冷たいものを触らせてやってください。 宿題をやらなければ助けず先生に怒られさせ居残りの経験をさせてやってください。 大人になるまでに親の力を一切借りず、自分でなんでもできる人間に成長させてやってください。 と私は全国の子供達を応援したい。
悲しみも憎しみも辛さも喜びも、全てがあなたの生きてゆく原動力となるでしょう。
亡くなった父が言ってたんです。 大人の世界、社会は厳しいぞ・・と・・ 本当に甘くはありませんでした。 僕は小さな頃から何度も命を落としかけた経験がある。 バイクに引かれ、海に沈み、深い側溝に落ち、車に正面衝突し、それでも生きている。 なんで生きていたのでしょう。 すごい少ない確立でこの国、日本に生まれて、今、江田島で生きている。 辛い時に民謡と出会い必死に唄った。 後に素晴らしい民謡仲間と次々に出会ってゆく・・ 本当に僕にとってまるで神のような存在の民謡人が、この私に救いの手を差し伸べてくださった。 今、思うと奇跡でございます。 私はいったい、この先、どんな人間になってゆくのでしょうか・・ 全くわかりません。 ただ、民謡を初めて5年と半年が経ち・・ 考え方が丸っきり180度変わってしまいました。
去年、精神がおかしくなってしまい 仲間と共に立つはずの大会の舞台が踏めない可能性が強くなった時でした・・ 自分の唄が唄えなくとも・・ せめて合いの手だけは、なんとしてでも立ってやり遂げたい 本当に結果など考える余裕すら全くなかったんです。 舞台に立てるなら、なんでも良いから助けてください 天に願いました ナガセのスッポン粒を毎日飲みました(駄目下で)・・ それで信じられない回復 大会当日の予選の舞台上での、あの時の心境を今でも忘れられません。 決勝に残ることを完全に諦め捨てた境地で、羽織を着て(普通は着ている人などおりません)私は舞台に立てる喜びを噛み締め、精一杯唄えるその時を楽しんだのでした。 だけど正直、あのような心境をまた真似して舞台に立てと言われたって・・ きっと1度だけしかできないんだと思います。 もう二度とあの気持ちにはなれないのかもしれません。
今の私は民謡での大会をこう考えるのです。 舞台に立つ意味を競技者がいったいどのように考えているのかが最も大切なのではないだろうかと・・ 1.他の競技者に勝ちたいのか 2.緊張する自分に勝ちたいのか 3.自分の練習の成果を表現したいのか 4.日本一になるために立つのか 5.民謡を体全体で楽しみたいから立つのか 6.民謡歌手を夢みて立つのか 7.その他 皆さんの大会の舞台に立つ目的って、どんな理由なのでしょうか 私は当初は、1番でした 他の競技者より自分の良いところを出せれば、きっと勝てると考えていたのです。 そんな気持ちが私の唄に力みを与えていたのは言うまでもありません。 つまり、舞台の上では勝ち負けを意識しては駄目なんです(私の哲学では)。 できることなら1.冷静に 2.わかりやすい発音 3.音程を着実に守る(伴奏とハモリますのでわかります) 4.自分自身の人間的魅力
この4つが重要だと考えております。 特に重要なのは4番だと思っております。 4番が優れている方は、音程が駄目でも発音が駄目でも、大会では上位に入れないかもしれないけれども・・ 唄に味が染みこんでいて聞いていて心に染み入ります。 実はそれが最も民謡の中で得とくしにくいものであると私は考えているのです。 4番は、その人の生き方、考え方、経験そのものの蓄積によるものなのです。 どんなに民謡ばかりを練習して積んでも得ることはできないのです。
私が思うに、4番が高い人には可能性がある人だと思う。 もちろん歌手だからといってプロだからといって4番を備えているということにはなりません(あくまで私の哲学です)。 4番を備えている人は、三味線の撥を初めて握らせて、1回弦に振り下ろしただけで、音に現れます。 初めてなのに魅力のある歯切れの良い音を出せるんです。 でも残念なことに本人は気がついていないようなので僕は伝えます。 あとは、それがキッカケに繋がるかどうかですが、それは自然に任せます 1月26日の音戸の舟唄全国大会でも、素晴らしい可能性を秘めている民謡人が何人かいらっしゃいます
そんな方は、舞台の中央に歩く姿でもうぜんぜん違うんです。 私は自分のことはさておき、民謡のステージなどを観る時には、一番注目する瞬間があるのです
それは 唄を終え→お辞儀をし→帰ってゆく時なのです この時がステージに立つ人間の自然な姿が最も見える時だと私は考えるようになりました。 競技者の中で際立って素敵なマナーのできる方を去年の大会で発見致しましたが 呉に民謡魂が来た時でも・・ 福田こうへいさんの去り方はかっこ良かったんです。 ステージから消えるまでさり気無い気配りがちゃんと出来ているあの姿に・・ 私は良いお手本を見たように今でも胸の中に残っているのです。 あと、強く印象に残っている民謡人がいらっしゃいます。 隠岐の島のゆかりさんです。 最近、ゆかりさんは、民謡魂への出演がなぜだか減ってしまいました 私は、ゆかりさんの元気な笑顔が大好きで 特にお年寄りの おじいちゃん おばあちゃんを大切に想う隠岐独特のやさしい人情の性格がよく現れていて大好きでした。 彼女がテレビに当たり前に出ていた去年の春までは、実はあまり気がついてはいなかったのでしたが・・ 春以降の出演が減り、なぜだかどこか寂しいと感じていた時に、あの笑顔が出なくなってしまったのは痛いと思ったのです。
私は、ゆかりさんから多くを学ばさせていただきました。 ゆかりさんを育てられたご両親や親族、ご近所さま、そして、何よりも隠岐の島が彼女をあそこまで立派に素敵な女性に育てたのだと私は考えました。 隠岐の島に3度渡らせていただいておりますが・・ 本当に絵になる島で、フェリーから眺める海と島の景色は絶景で あの景色をきっと5月に仲間と共に見れるのかと想像するだけで私は胸が熱くなってくるのでございます。 私はいったいあと何度、隠岐に渡れるのだろうか・・ 去年、渡れませんでしたが・・ もう10年渡っていないような感覚です 長いな~~ あの悔しい三味線と唄の舞台 あの時は、唄が初の中級クラスの舞台で いやー 力が入りすぎで~~~ 唄い終えガックリと肩を落とし帰ろうとしたら・・ 夢の先生が「あら 島本さん交流会に出られるでしょ?」とお声をかけてくださって・・ 何かいつもと違うな~って感じ取られたのでしょうね 私は、わたしは・・ 心の中のダムが決壊した 先生の前では泣かなかったが(我慢して) でも、そのお言葉がどんなに嬉しかったか 慰めになったのかは 私にしかわかりません 先生、本当にありがとうございました。
私も将来、そのようなかゆい所に手が届くような、そんな立派な民謡人になってみたい あれからもう1年半が経つのですね~ っていうか・・ もう10年経った感じがするのはどうしてでしょうかね~ 隠岐の初級の方と中級の方の歌い手さんの練習伴奏、楽しかったな~ 私も競技者なので、人の心配してる暇は本当はないはずなのですが・・ 練習伴奏者を求めていらっしゃる競技者の方を見ると、やっぱり仲間意識が働くのですよね~ その中級者だった隠岐の方は、今年、見事に上級に進まれたみたいでしたよ。 いや~ 本当に心が篭っていて良いしげさ節を唄われておりましたもの~
しげさ節って・・ 1000年先にもちゃんと残って大会を開いているのでしょうかね~ すごいな~ そういえば隠岐には、600年生の大木が道の隣にそびえ立っておりましてですね~ その木とも会いたいです 大会の翌日にまたレンタカーを借りて会いにゆこうと思ってますよ 島根の名水って名所もあるんですよ~ 冷たくて美味しいんですよ~ あとは主役といえば、隠岐浄土ヶ浦ですよね~ 静かなる女王様といった感じでおだやかなんですよ~ ここで民謡仲間といつの日か浄土ヶ浦小唄を伴奏したり唄ったりするのが夢なんですよね~ ただですね~ 大会翌日は朝から帰る人が割りと多いので、浄土ヶ浦は、母と私だけになる可能性が大なんですよ~ 素晴らしい隠岐の景色を心に焼きつけて帰っていただきたいものですよね~
今日もご拝読、誠にありがとうございました もしここまで全て読んでくださった方がいらっしゃいましたら・・ 嬉しいですね~ ちょっとくらいためになるといいのですがね~ ゆうさん独特ですからねー あまり本気にしないでくださいませね~
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