今年も「網干ロマン街道めぐり」が始まりました(11/23-11/25迄)。この機会に是非網干の建築群を見にいらしてください!
まあ、イベントとは関係なく町を歩いて写真を撮ってきたのですが、大きな変化がありました。
【網干関連の過去記事】
『姫路市網干区の近代建築(EBONY SW45で撮影)』
『網干の近代建築』
『網干の近代建築と町家』
『昔の航空写真(姫路・網干)』
『『歴史と景観のまち 網干を歩く』発売』
『【速報】旧網干銀行本店 前のアーケードが撤去!』
『旧 日本セルロイド人造絹糸 外国人技師住宅(ダイセル異人館)』
『網干の近代建築 2017』
『網干の町家と街並 2017』
『旧山本家住宅 2017』
『旧水井家住宅(姫路市網干区)』
使用カメラ・レンズ
SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2018.11.23撮影
まず、何度も紹介している
旧網干銀行本店
(不詳/T10頃/煉瓦造タイル貼/姫路市都市景観重要建築物等)
なんとなく、いつもと様子が違いませんか?
半年ほど前から「売り物件」の貼紙が無くなり、買い手が付いたのか?と動向を見守っていたのですが・・・
道を挟んで西側の商店が更地になり、
東に隣接する前所有者の住居が更地になり、
そして、南側の商店まで更地に!
これは、本格的に銀行建築の保存再生が始まったと思われますが、特に事業計画の看板や貼紙は無く詳細不明。
ただ、小さなポストがあり「旧網干銀行 湊倶楽部」と書かれていました。
ネットで調べてみてもインスタグラムに「旧網干銀行 湊倶楽部」のアカウントがあるだけで、説明文も
「旧網干銀行本店
大正期に地場銀行として建造された歴史的建造物。古くは流通の拠点とし栄えた網干湊の象徴として今なおその姿を残す。
大正、昭和、平成…そしてまた新しい時を刻み始めます。」
とあるだけで、詳しいことは分かりませんでした。
ただ、銀行建築だけは大切に保存再生してくれるようです。
銀行が遺るのは喜ばしいことではありますが、見慣れた街並みの余りの変貌ぶりと建築の用途が分からないことに一抹の不安も感じました。
まあ、見守っていくしかありませんね。
旧金物店・カナイ ほか
更地になって古い長屋が現れたが、本瓦葺きの建築だ。
旧金物店のタイルが落ちてしまっている。昔は隣同士の建築をくっつけて建てていたので仕方がない。
できれば、この建築は遺してほしい。
カナイさんは健在だ。
網干橋
(不詳/不詳/鉄骨/文化財指定なし)
親柱には橋名のみがあり架橋年などは全く分からないが、まだ木橋が普通だった戦前から鉄橋だったとのことで「かねはし」と呼ばれていたそうだ。
戦前の写真で見たことがあるのですが、橋脚はこれとほぼ同じ構造の鉄骨でした。可能性は低いと思いますが戦前の鉄骨が残っているかもしれませんね。
【2019.3.5追記】
古写真集などを調べると、戦時中に供出されて木橋に架け替えられたという事が分かりました。現在の鉄橋は再度架け替えられたもののようです。
ちなみに、戦前の写真というのはこちら。
自宅にあった写真で裏に「昭17.2.18 大東亜戦争第一次祝賀大会旗行列」と記されていました。
現在の橋と橋脚の形が似ているのが分かりますね。
網干商工会館
(不詳/S15/木2/文化財指定なし)
おや、何か貼紙が・・・!
これは大変!この老朽化した建築は無くなるかもしれないな・・・
この建築は、なかなか風情のある船溜まりの脇にある。
何処にあるか分かりますか?
旧長久医院
(永岡組/S5頃/木2/文化財指定なし)
相変わらず空き家のままです
旧T眼科
(不詳/不詳/木2?/文化財指定なし)
旧山本家住宅 望楼付き洋館
(大工 玉抜某(口伝による)/T7/木/姫路市都市景観重要建築物等)
鮮魚まるまん
(不詳/不詳/木/文化財指定なし)
旧山本家住宅付近の街並
旧水井家住宅
(不詳/T11/木2/姫路市都市景観重要建築物等)
旧銭湯
(不詳/不詳/木/文化財指定なし)
細路地にあるが、向かいの建築が更地になったので正面から撮影。確か「亀湯」だったと思う。
意外に小さいので驚いている。本瓦葺きなのでかなり古い(明治くらい?)のではなかろうか。
旧佐久間文具店(現 TAO)~旧龍野藩南組大庄屋 片岡家~旧北川カメラ店の街並
N家住宅
(不詳/江戸末期/木/文化財指定なし)
N家住宅
(不詳/江戸?/木/文化財指定なし)
先程のN家とは別のN家です。
ちょっと中途半端ですが、今日写した物件のみの掲載でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます