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『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は『ダークナイト ライジング』か

2012-12-15 | 授業
なんだかオタクとかではない、ライトな方々が盛り上がっていたので嫌な予感はしていたのだけれど…ようやくブームが落ち着いた頃合だろうと思い、劇場へ。


『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(公式サイト)
リトルランボーズ


いつの間にか時は過ぎ、『破』のラストで綾波を助けるべく初号機と一体化しサードインパクトが結局引き起こされてしまった。そして『Q』ではサードインパクトから14年の年月が経てしまっていた。おなじみのキャラクターたちはそれぞれ14年のときを経て、内面も見た目も変化していたが、アスカ曰く「ヱヴァの呪い」とのことでパイロットたちは14年前の姿。これは特にシンジに対しての設定のように感じられる。14年たっても見た目も中身も子供のままの24歳の碇シンジって、「気持ち悪い」のあのころと同じことを言っているように思えてくるのは被害妄想だろうか。そして『Q』のシンジは自称シンジなぼくですらイライラするほどにガキであり、感情移入がまったく出来ない。

そして碇ゲンドウとネルフの目的を知り、袂を分かったミサトたちはシンジじゃなくても観客すら置いてけぼりなほどに変化しているのに比べ、ネルフの施設や人々(とは言っても、ゲンドウと冬月、綾波クローンしか出てこないが)はホッとするほどほとんど変わっていない。ゲンドウが『X-Men』のサイクロップスのようにはなっているが基本は変わっていない。ゼーレもモノリスのまま。綾波の家は『三丁目の夕日』の如く、奇妙な形でネルフの中に再現されている。とっても不自然。物語上で善とされる人々は変わっていき、悪とされる人々は変わることを拒んでいる。そしてシンジもまた変化を拒んでいる。劇中何度かカヲル君はシンジに対して、変わること、新しいことにチャレンジすることを促す。

お決まりのDATプレイヤーは序盤には壊れていて物語が進まないことを暗示する。中盤、カヲルに修理を依頼したところから、物語が動き出すかのように思えたが、結局シンジが駄々をこねた挙句にまたしても壊してしまう。それにしても、それにしてもだ。なんだろうか、この脚本は。結局終盤の展開はすべてカヲルくんの思い違いだったという落ち。罠に嵌められたと好意的に言っても良いが、シンジに行動を促したカヲルは結局のところ無駄足に終わり、それを無効化するために自刃するという何とも報われない落ちになる。

それにリアリティーラインの変更が個人的にはとっても痛い。これまで絶妙なリアリティラインがあったからこそ『ヱヴァ』の世界観が現実と地続きに感じられたのに(ましてや『破』以降は現実の昭和歌謡などを取り入れますます現実を取り込んでいるというのに。)突然の時間経過と共に『ヱヴァ』のリアリティラインは大きく踏み越えられてしまった。現実との地続きであったからこそリアリティがあり、おそらくはテーマであったろう自己承認欲求が描けていたのに、唐突に他のアニメと同じようなSFを超えたファンタジー的な描写に心底がっかりさせられた。


本当にがっかり。予告編も微妙すぎるし。まったくサービス、サービスじゃない。何あのヱヴァ。何というか『グレンラガン』に悪い方向に引っ張られたみたいな感じ。特撮展で上映していた『巨神兵東京に現わる』って一見関係ないけれど、『破』と『Q』をつなぐ映像にも見える。『Q』で語られる「サードインパクト」の描写が『巨神兵』に酷似していたし。でもそれってどうなの?特撮映像は確かにすごかったけど、短編映画としてみるとあの一人称の気持ち悪い語りはなんなのと(しかもあの語りは本編のカヲルの語りと呼応している。)。

もう『ヱヴァ』作るのやめて、『ウルトラマン』のリブートを作ればいいと思うよ。リブート流行っているし。『ダークナイト』、『Man of the steal』みたいな。『Gaiant of the light』とかどうだろう。