あそびーち石狩の北方海岸に停車している石狩消防署の作業工作車を発見。
ライフジャケットを着た隊員が双眼鏡で海を見つめていた。
札幌市から出向いているので、石狩市の人と接触を控えなければならなく、話を聞けなかったが、おそらく、先月31日(日)から行方不明になっている大学生の捜索を今も続けているのだろう。
海岸の様子
今日も高い波が押し寄せる。
「海岸ならばどこでも泳げる。」・・・映画やドラマではそんなイメージがつくられる。
しかし、そのシーンを撮影する際に画面の裏側ではどんな安全対策が施されているのか想像してほしい。
ロケにはライフセーバーやダイバー、救命用ボート、AED、緊急時の搬送先の選定など綿密な準備しているはずだ。
「海岸ならばどこでも泳げる。」のだが「海岸ならばどこでも安全に泳げる。」とは限らない。
開設期間中の「青旗」(遊泳可)が掲げられている海水浴場について考えると、
【海水浴場の安全性】
・潮流や水深などを調査し安全な遊泳区域を選定、変化がないことが確認されている。
・波浪や潮流が遊泳に危険を及ぼさない。
・遊泳者を監視する体制が整っている。
・ライフセーバー等の救助体制が準備できている。
・もしもの際の救命体制も準備できている。
・トイレ等の衛生環境を整い、正常に機能している。
・定期的に水質検査も実施している。
などの条件が担保されて、はじめて「青旗」が揚がる。
自然海岸で安全に遊泳しようとすると、これらの項目を自前で用意しなければならなく、前述の映画などの撮影のように大掛かりな体制になる。
海岸の傍らにあるこの注意書きは、平成28年8月11日に海水浴場外の近くの海岸で4名の若者が亡くなった時に建てられたものだろう。今回と同様に海岸で飲食、その後に海に入ったと思われるが、誰にも見られることなく4名全員が亡くなった。
さらに平成29年8月27日に小樽市銭函の海水浴場手前の海岸で高校生が3名、亡くなった。この日、波が高く、海水浴場では赤旗が揚がっていた。しかし、駅から海水浴場に向かった彼らは、海水浴場に着く前に海に入ってしまった。
メディアの情報番組等では、海のレジャーの魅力だけが強調される。
夏になると内陸地域居住の若者たちは、海への憧れが膨らむ。
しかし、いつも泳いでいる環境が管理されているプールとは異なり、海では波や潮流(危険な離岸流)、急な深み、水温の変化、風などがあり、海水浴は山登りと同じように大自然の一部を切取って、楽しませて貰っていることを忘れならない。
泳ぐ場合、疲れたからといって、背の立たない海の中では休むことのできない。さらに離岸流に乗ってしまえば、再び海岸近くまで押し戻されたり、離脱するまでの数十分間は泳ぎつ続けることを覚悟しなければならない。
お酒を飲んで登山する人は見かけないが、海水浴では飲んで水に入る人をよく見かける。お酒で判断力が低下したうえ、さらに水温で体が急激に冷やされ血流が低下した状態で過激な運動をして、筋肉に負荷を与える。しかも休む事は許されない。・・・・・けれども、
また、同じ悲劇が再び繰り返される。
自分と同じ悲劇を繰り返さないために、命を捧げた多くの若者たちは天国でどう思うのか。
彼らを犬死にさせないためにも、悲劇は繰り返してはならない。
若年層のさらなる安全教育の推進に期待しよう。
海に入らなければ、こんな風景が待っていたはずだ。
ライフジャケットを着た隊員が双眼鏡で海を見つめていた。
札幌市から出向いているので、石狩市の人と接触を控えなければならなく、話を聞けなかったが、おそらく、先月31日(日)から行方不明になっている大学生の捜索を今も続けているのだろう。
海岸の様子
今日も高い波が押し寄せる。
「海岸ならばどこでも泳げる。」・・・映画やドラマではそんなイメージがつくられる。
しかし、そのシーンを撮影する際に画面の裏側ではどんな安全対策が施されているのか想像してほしい。
ロケにはライフセーバーやダイバー、救命用ボート、AED、緊急時の搬送先の選定など綿密な準備しているはずだ。
「海岸ならばどこでも泳げる。」のだが「海岸ならばどこでも安全に泳げる。」とは限らない。
開設期間中の「青旗」(遊泳可)が掲げられている海水浴場について考えると、
【海水浴場の安全性】
・潮流や水深などを調査し安全な遊泳区域を選定、変化がないことが確認されている。
・波浪や潮流が遊泳に危険を及ぼさない。
・遊泳者を監視する体制が整っている。
・ライフセーバー等の救助体制が準備できている。
・もしもの際の救命体制も準備できている。
・トイレ等の衛生環境を整い、正常に機能している。
・定期的に水質検査も実施している。
などの条件が担保されて、はじめて「青旗」が揚がる。
自然海岸で安全に遊泳しようとすると、これらの項目を自前で用意しなければならなく、前述の映画などの撮影のように大掛かりな体制になる。
海岸の傍らにあるこの注意書きは、平成28年8月11日に海水浴場外の近くの海岸で4名の若者が亡くなった時に建てられたものだろう。今回と同様に海岸で飲食、その後に海に入ったと思われるが、誰にも見られることなく4名全員が亡くなった。
さらに平成29年8月27日に小樽市銭函の海水浴場手前の海岸で高校生が3名、亡くなった。この日、波が高く、海水浴場では赤旗が揚がっていた。しかし、駅から海水浴場に向かった彼らは、海水浴場に着く前に海に入ってしまった。
メディアの情報番組等では、海のレジャーの魅力だけが強調される。
夏になると内陸地域居住の若者たちは、海への憧れが膨らむ。
しかし、いつも泳いでいる環境が管理されているプールとは異なり、海では波や潮流(危険な離岸流)、急な深み、水温の変化、風などがあり、海水浴は山登りと同じように大自然の一部を切取って、楽しませて貰っていることを忘れならない。
泳ぐ場合、疲れたからといって、背の立たない海の中では休むことのできない。さらに離岸流に乗ってしまえば、再び海岸近くまで押し戻されたり、離脱するまでの数十分間は泳ぎつ続けることを覚悟しなければならない。
お酒を飲んで登山する人は見かけないが、海水浴では飲んで水に入る人をよく見かける。お酒で判断力が低下したうえ、さらに水温で体が急激に冷やされ血流が低下した状態で過激な運動をして、筋肉に負荷を与える。しかも休む事は許されない。・・・・・けれども、
また、同じ悲劇が再び繰り返される。
自分と同じ悲劇を繰り返さないために、命を捧げた多くの若者たちは天国でどう思うのか。
彼らを犬死にさせないためにも、悲劇は繰り返してはならない。
若年層のさらなる安全教育の推進に期待しよう。
海に入らなければ、こんな風景が待っていたはずだ。