我、神を思いでて、うち悩む。
我、思い嘆きて、わが霊魂は衰える。
我、昔の、いにしえの年を思えり。
我、夜、わが歌を思いいず。
我、わが心にて深く想い、
わが霊魂は、ねもころに尋ね求む。
(ねもころ=こころを込めて、熱心に……万葉集)
主は、とこしえに棄てたもうや。
その憐憫(あわれみ)は残りなく永遠に去り、
その誓いは代々に永く廃れたるや。
神は、恩をほどこす事を忘れたもうや。
怒りをもて、その哀れみを閉じたもうや。
我、汝の奇しき、み業を思い出ださん。
汝の、全てのみ業を思いいで、汝の成したまえる
事を深く思わん。
神よ、汝の途は、いときよし。神の如く大いなる
神はだれぞや。
汝の大路は海の中に有り、汝の径は大水の中にも
有り。汝の足跡は尋ね難かりき。
ここから、「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)です。
本編は、非常に困難な中にあった聖徒の述懐と
それを、切り抜けた勝利が歌われている。
私たちにも、大小に関わらず、このような経験
があるのではないか。自分の過失のゆえの不快
さ、不可解な暗黒、神が突然、視野を閉ざされ
る事がある。
そんな時は、じっと神の御手に落ち込む事が大切
である。
困難な時に切り抜ける秘訣は、過去の恵みを思い
出す事である。過去において、神に助けられた事
があるならば、それと同様に、切り抜けて見なさ
い、と仰せられるのである。
神には超自然的な所作がある。
「あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は
大水の中にありました。」
ヨナは、魚の腹の中に助けられた。
イスラエルの民はヨルダン渡河の際にも、乾いた
道を歩いた。
又、主は、水の上をも歩かれた。
神には、いつでも、この様な仕組みがある。
私達は、その様な事を知り始めているだろうか。
神だけを信頼する事に努力、我慢がいるだろうか
それとも自然となっているだろうか。
どの様に、助けられるかは神のなさる事で、
私達の側で、するべき事は、信頼だけである。
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詩編63編も似たような詩編です。
「われ床にありて、汝を思い出でて、夜のふくる
ままに、汝を深く思わん時、わが、たましいは
髄と脂とにて饗(もてな)さるる如く、飽く事を得、
……」