前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
熊楠はいう。
「『今昔物語』など読むと、本邦でも低価な魚として蛇を食わせ、知らぬが仏の顧客を欺く事も稀にあったらしい」(南方熊楠「蛇に関する民族と伝説・蛇の効用」『十二支考・上・P.305』岩波文庫)
もっとも、日本近海では、永良部海蛇(エラブウミヘビ)が食用に供されることも述べられている。南西諸島、台湾、フィリピン、インドネシアなど、かつては東南アジアに広く分布した。今は絶滅危惧種指定されている。さらに他の文化圏でも蛇を食したり、その毒成分を加工して薬用に用いたりする地域は色々ある。また蛇皮を用いた種々の高級ブランド品は有名。しかし次に取り上げる説話は日本中世の経済的貧困率と格差とに関わる。
三条天皇が東宮(とうぐう)だった頃、「東宮=皇太子」の警護を務める武士の詰所がありその名を「大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)」といった。或る女性がその大刀帯陣へ毎日のように魚を売りに来ていた。大刀帯陣に詰めている警護の武士たちには大変好評でよく売れた。とりわけ飯の惣菜として実に美味いという。干し魚を適度な大きさに捌いたものだろうと思われた。
「今昔(いまはむかし)、三条ノ院ノ天皇ノ東宮(とうぐう)ニテ御(おはし)マシケル時ニ、大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)ニ常ニ来テ、魚(うを)売ル女有ケリ。大刀帯共(ども)此レヲ買(かは)セテ食フニ、味(あどは)ヒノ美(うま)カリケレバ、此レヲ役(やく)ト持成(もてな)シテ、菜料(さいれう)ニ好ミケリ。干(ほし)タル魚ノ切々(きれぎれ)ナルニテナム有ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.505」岩波書店)
初秋の或る日。大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)所属の武士たちが揃って北野天満宮の辺りへ「小鷹狩(こだかがり)」に出かけた。「小鷹狩(こだかがり)」は小型の鷹を操って獲物を捕る秋の名物。一行が北野周辺に分け入っているといつもの魚売りの女性とばったり遭遇した。何をしているのかと思った武士たちは女性に近づくと大きな「籮(したみ)」=「上部が円形で底部が四角の籠」を抱え、手には一本の木の枝を握っている。武士たちの姿を見るとなぜか逃げ去る機会を窺うようなそぶりがちらりと光った。不審に思った武士が女性を捕まえて籮(したみ)の中を覗き込むと、およそ12センチごとに切り取った蛇が放り込んである。
「馳寄(はせより)テ見レバ、女、大キヤカナル籮(したみ)を持(もち)タリ。亦、楚(すはゑ)一筋ヲ捧(ささげ)テ持タリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.505」岩波書店)
武士たちは「何の素材なのか」と女性に詰め寄ったが女性は一言も言わず黙り込んでしまった。何も答えが返ってこないので大刀帯陣の者らはかえって察したのだろう。「驚くべきことだ。捕まえた蛇を適度な大きさに切り揃え、家で塩漬けにして干したものをおれたちに売り捌いていたのか」と。
「早ウ、此奴(こやつ)ノシケル様(やう)ハ、楚ヲ以テ藪(やぶ)ヲ驚カシツツ、這出(はひいづ)ル蛇ヲ打殺シテ切ツツ、家ニ持行テ、塩ヲ付テ干(ほし)テ売ケル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.506」岩波書店)
しかし不思議なのは、人間が蛇を喰うと体によくないと言われているのに、蛇毒で死ぬどころか反対に美味い美味いと喰っていたのは自分たちだ。なんで?
「此レヲ思フニ、『蛇ハ、食ツル人悪(あし)』ト云フニ、何ド蛇ノ不毒(どくせ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.506」岩波書店)
女性に絶妙な知恵と工夫とを与えたのは死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い詰められていた、当時の階級格差から来る貧困苦にほかならない。ここで、その込み入った諸事情について、一九七〇年代のフランスでフーコーが語った「十三歳の少年」=「被告ベアス」について振り返ってみることはできないだろうか。随分以前に述べた箇所だが。
「居所も定まらず家族もなく、放浪罪の嫌疑をかけられたのち、二年間の懲治矯正を宣告されたため多分長らく非行性の回路に身をおくはめになった十三歳の少年」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
おそらくパリの中でも最底辺に位置する社会階層の出身なのだが、階級意識というものには縁もなければ関心もない。フーコーはいう。
「もしもこの少年が自分を(刑法との関連によってより以上に規律・訓練の名目によって)非行者にしたてていた法律の言説に対抗して、こうした強制権に従順でない或る違法行為の言説を申し立てなかったとすれば、彼は何の名残をもとどめずに終わったにちがいない」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
学問もなければ労働運動に拾われることもなく、かといって警察が目くじら立てて取り締まる対象の中にさえ入っていなかった。しかしこの十三歳の少年が裁判所で自分の立場を証言できる程度には言葉を扱えるようになっていたのは教育機関の成果ではなく、少年時代からあちこちでずっと様々な、だがほとんど金儲けにはならない仕事をあてにして食いつないできた過程で身についたものだ。もし教育機関を通していたとすれば、貧民階級の《道徳化》と結びついていた教育制度のために、この少年もまた知-権力の網目によって一斉に捕獲され調教され家畜化されていたに違いない。だが少年は早いうちに社会の網目から別のところで生きてきた。そのことがヴィドックやラスネールとはまったく別種の非行性を出現させることになった。少年にかけられた嫌疑は「放浪罪」である。
「放浪のかたちとしては住居の欠如、自立のかたちとしては主人(親方、教師の意をふくむ)の欠如、自由のかたちとしては労働の欠如、昼と夜の充足のかたちとしては時間割の欠如」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
司法=警察=監獄が前に出てはいるものの、刑罰は規律・訓練を通して行われる。それは個々別々の、一人一人の人間の身体に狙いをつけて実行される非行性の加工過程である。人間を個別単位で極めて微細な点で観察し、その線に沿って限りなく社会化するわけだ。少年の名はベアス。彼が法廷で述べ立てる言説は新聞記者によって記録された。それは被告と裁判長とのやりとりにおいて顕著な不均衡をあらわにしただけではない。刑法だけでは裁くことも裁かないこともできそうにない「喜劇的効果」という側面を出現させ、むしろそれを主題化させるに至る。
「規律・訓練=刑罰=非行性をつなぐ制度への違法行為のこうした対決は同時代人が、というよりむしろその法廷にいた新聞記者が、反規律・訓練の些細な所業と取っ組みあいのけんかをする刑法の喜劇的効果として知覚したものであった」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
要するに被告と裁判長とのあいだには埋めても埋めても埋めようのない深淵がすでにあったという事態が可視化されたわけである。しかし司法権力はそれを裁かないわけにはいかない。だから「放浪罪」なのだ。しかし判決として言い渡された「放浪罪」とはそもそもなんなのか。そしてなぜ「放浪」=「罪」なのか。
「しかも全くそのとおりの事態だったが、そのわけはこの事件ならびにそれにともなう判決が、十九世紀における法律上の懲罰問題の核心に存在するからである」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
司法の代表者たる裁判官は被告に対して被告の態度を「法の尊厳でつつみこもうと試みる」。つつみこんで司法が取り扱える範疇の中へ捕獲しようとするわけだが、被告の態度は始めから「反規律・訓練(だらしなさ)」に満ちている。資本と労働、上級階級と下層階級、ブルジョワジーとプロレタリアート、といった対立的カテゴリーで区別することのできない「反規律・訓練」という非行性。そしてそこに出現する「反規律・訓練(だらしなさ)」というつかみどころのない態度。しかし少年の言葉はけっしてたどたどしいものではなく、マスコミが社会面を用いて掲載し分析するにたる言説として語られる。
「裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規律・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長は言う。人間は自分の家で眠らなければなりません、と。ベアスは答える。
「自分の家なんかない」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長は言う。いつまで放浪生活をつづけるのかね、と。ベアスは答える。
「生活を立てるために働いてるんだよ」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長はたずねる。職業は?、と。ここに至ってベアスは大いに語る。
「仕事ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
ベアス少年のこの言葉は皮肉にも二〇二〇年の日本の若年層が置かれている現状に急接近している。両者の違いといえば、ベアス少年の場合はただ、高度テクノロジーを、スマートフォンを、持っていないに過ぎない。そしてまたベアスの姿は、かつてディドロが語っていたラモーの甥の日常にあまりにも似ている。
「気の触れた人のように叫んだり歌ったり暴れたり、自分一人で男や女の踊り手にもなれば歌い手にもなり、オーケストラや歌劇の一座も全部一人でやってのけ、一つのからだを二十もの別々の役に使い分け、悪魔に憑かれた人のように、走ったかと思うと、立ち停り、きらきらと眼を輝かしたり、口から泡を吹いたりした。息もとまりそうなほどの暑さだった。そして、彼の額の皺や長い頬に沿って流れる汗は、髪粉とまじって、川のように、着物の上のほうにいくすじもの線をつけていた。彼が表わさないものが一つだってあっただろうか。彼は泣いた。笑った。溜息をついた。ある時は愛情をこめて、ある時は静かに、ある時は荒々しく、眺めた。悲しさに悶える一人の女になることもあれば、失望の淵に沈む一人の不幸な男にもなった。そそり立つ寺院であることも、落日に声なき鳥どもになることもあった。あるいはうら淋しくすがすがしいほとりにせせらぐ流れとも、また山々の頂から急湍となって走せ下る流れともなった。暴風雨でもあり、海荒れでもあり、風の唸り、雷の轟にまじる死にゆく人々のうめき声でもあった。それは暗々たる闇夜でもあったし、物影と沈黙でもあった。というのは、沈黙さえも音で描写されるのだから。彼の頭はまったく正気を失っていた。深い眠りからか、また長い放心状態から醒めた人のように、疲れきって、彼は茫然と、気がぬけたように、じっとしていた」(ディドロ「ラモーの甥・P.122」岩波文庫)
絶え間ない仮面の取り換えばかりが忙しい。しかし仮面の取り換えを辞めた途端、ラモーの甥に明日の生活保障はないという現実。ディドロは啓蒙主義時代の中でこの事情に触れたのであり、啓蒙したからといってこの事情が劇的に改善するわけではないということもわかっている。わかっていて述べている。だから当時はヨーロッパ最高レベルの知性として君臨した百科全書派の代表者ディドロは、代表的であるがゆえに啓蒙思想の限界をも理解していた。ディドロはラモーの甥を終始一貫して道化=非理性=狂気として取り扱っている。その限りでラモーの甥は統合を失調している。統合しようと追いかけてくる社会制度に対するピエロの機能を果たす。ヘーゲルはその点に大いに着目した。
「自己復帰の第一の面においては、あらゆる《事物の空しさ》は、自己《自身の空しさ》である、つまり自己は空しい《のである》。すべてを評価し、喋りまくるだけでなく、現実の固定した実在〔国家権力と財富〕や、判断の立てる固定した規定〔善悪、高貴下劣〕やが、《矛盾》していることを、精神(エスプリ)のある態度で語るすべを心得ているのは、自独存在〔対自存在、自立存在〕する自己である。この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理なのである。ーーー形式上から考えれば、自己は、すべてのものが、自分自身と疎外関係にあることを、知っている。つまり、《対自存在》〔自独存在、自立存在〕は《自体存在》から、思いこんだことと目的は真実から、さらに《対他存在》が両者から、示されたものは本来の思いこみや真の事柄や意図から、離れているのである。ーーーかくて自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている。ーーーそのさい、この空しさは、すべての事物の外に出て、自己の意識を自分でもつために、すべての事物の空しさを必要とする、それゆえ、この空しさを自分で生み出すとともに、この空しさを支える眼目である」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.108~109」平凡社ライブラリー)
ところがラモーの甥に見られる道化=非理性=狂気はずっと後の十九世紀末から二十世紀初頭になって、ゴッホ、ニーチェ、アルトーといった一群の人々によってやおら復活することになる。しかし今はまだ被告ベアスの証言について慎重に耳を傾けなくてはならない。裁判長は言う。ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになる、と。ベアスは答える。
「とんでもない、ちゃんとして店や徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
フーコーはこのやりとりにおいて出現している事態についていったん簡略的かつ形式的にまとめる。形式的にまとめる手法はフーコーがいっとき「構造主義者」として語られたこととは何の関係もない。フーコーが形式化するのは裁判長(というより司法権力)と被告とのやりとりにおいて明確に形式化可能な事態が生じているからである。
「一方にあるのは裁判長によって表わされる『文明』の力であり、『生ける合法性、法の精神と文言』の力である。その力は自ら強制権の体系をそなえていて、その体系は一見したところ刑法典だが実際は規律・訓練である」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長の言説は「文明」を代表している。ラ・ファランジェ紙は法廷での両者のやりとりを細かく取り上げながらこう分析する。
「まず人間は或る住所、或る場所決定、なんらかの強制的な組込みの事態をもたねばならず『この裁判長のことばを以てすれば、人は自分の家で寝るものである、なぜならすべての人は自分になんらかの住居をもつべきだからであり、豪華な屋敷であれ最下等の家であれ、それはかまわない。そこで何を供給しようがその点では責任がないが、そこへ誰であれ無理に住まわねばならぬ責任がある』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
さらに。
「つぎに人間は、なんらかの職業、判別のきく身元、最終的には決まった個人性をもたねばならない。つまり『きみの職業は何か。この質問こそは社会のなかで確立される秩序の最も単純な表現であって、例の放浪生活は社会に反し、社会を混乱させる。安定した、中断のない、長期にわたる職業、未来への、将来の安定への思索を手に入れて、社会をあらゆる攻撃から守らねばならない』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長は「放浪生活は社会に反し、社会を混乱させる」と断じる。この点では一連のジェネ文学が今なお頂点に位置する。そしてジュネ文学はもう二度と新しく現われることはないだろう。古典となったという意味だけでそう言うのでは必ずしもなく、ジュネ文学を可能にした社会構造自体、もはやすっかり地上から消滅してしまったからである。
「最後に人間は主人をもたねばならず、ある階層秩序のなかに組込まれてそこに位置づけられねばならず、人は所定の支配関係のなかに置かれた場合にのみ実在するわけである。たとえば『きみは誰のところで働いているか。つまり主人ではない以上、きみはどんな条件のもとにであれ支える者でなければならぬという意味である。きみ個人の満足が重要なのではなく、秩序の維持が肝要なのである』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長が主張している社会的倫理は「きみ個人の満足が重要なのではなく、秩序の維持が肝要なのである」という点に集約されるだろう。そして実際、社会はその方向へ加速する。ところがその先に出現したのは極端に秩序化された二つの全体主義国家であった。一方にナチスのドイツ、もう一方にスターリンのロシアが、出現した。それはさておき、フーコーは法について、法という制度は始めから「規律・訓練」がまとう一つの《仮面》に過ぎないと位置づける。だから裁判長と被告とのあいだで生じている断層は、裁く司法と裁かれる違法行為との対立というよりもむしろ、固定しようとする規律・訓練と相入れない諸力の運動としての反規律・訓練との差異から生じてきたというべきものだ。
「法の相貌をもった規律・訓練に対して、相手(つまり被告)は違法行為を盾に逆にそれを権利として強調する。〔裁判長に対して〕断絶が生じるのは法律違反の点でよりも反規律・訓練の点でである」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
被告ベアスが十三歳という若年者であるにもかかわらず司法権力にたてついたというわけではなく、十三歳という多感な若年者であるがゆえに司法権力が一方的に与え押しつける規律・訓練という法的措置あるいは知-権力装置は、生きていく上でかえって足かせになるという事情である。被告ベアスにとってこの切迫した事情は「文明」とは何かという問いを全面的にあぶり出す。そして「文明」に対する懐疑的態度はこの裁判を通して、近代社会成立以降長いあいだ忘れ去られていた「野生」という領域を明るみに出す。
「こうしたすべての些細な反規律・訓練(だらしなさ)を介して忌避されているのは要するに『文明』全体であり、それを介して明るみに出るのは『野生』である」(フーコー「監獄の誕生・P.289」新潮社)
とはいえ、今や逆に、日に日に野生を喪失しつつある人間特有の「反規律・訓練(だらしなさ)」は、ともすれば資本主義を危機に陥れるほどますます増大してきた。ニーチェはいう。
「《機械文化への反作用》。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫)
この逆説的現象は一体何を物語っているのだろうか。
BGM1
BGM2
BGM3
熊楠はいう。
「『今昔物語』など読むと、本邦でも低価な魚として蛇を食わせ、知らぬが仏の顧客を欺く事も稀にあったらしい」(南方熊楠「蛇に関する民族と伝説・蛇の効用」『十二支考・上・P.305』岩波文庫)
もっとも、日本近海では、永良部海蛇(エラブウミヘビ)が食用に供されることも述べられている。南西諸島、台湾、フィリピン、インドネシアなど、かつては東南アジアに広く分布した。今は絶滅危惧種指定されている。さらに他の文化圏でも蛇を食したり、その毒成分を加工して薬用に用いたりする地域は色々ある。また蛇皮を用いた種々の高級ブランド品は有名。しかし次に取り上げる説話は日本中世の経済的貧困率と格差とに関わる。
三条天皇が東宮(とうぐう)だった頃、「東宮=皇太子」の警護を務める武士の詰所がありその名を「大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)」といった。或る女性がその大刀帯陣へ毎日のように魚を売りに来ていた。大刀帯陣に詰めている警護の武士たちには大変好評でよく売れた。とりわけ飯の惣菜として実に美味いという。干し魚を適度な大きさに捌いたものだろうと思われた。
「今昔(いまはむかし)、三条ノ院ノ天皇ノ東宮(とうぐう)ニテ御(おはし)マシケル時ニ、大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)ニ常ニ来テ、魚(うを)売ル女有ケリ。大刀帯共(ども)此レヲ買(かは)セテ食フニ、味(あどは)ヒノ美(うま)カリケレバ、此レヲ役(やく)ト持成(もてな)シテ、菜料(さいれう)ニ好ミケリ。干(ほし)タル魚ノ切々(きれぎれ)ナルニテナム有ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.505」岩波書店)
初秋の或る日。大刀帯(たちはき)ノ陣(ぢん)所属の武士たちが揃って北野天満宮の辺りへ「小鷹狩(こだかがり)」に出かけた。「小鷹狩(こだかがり)」は小型の鷹を操って獲物を捕る秋の名物。一行が北野周辺に分け入っているといつもの魚売りの女性とばったり遭遇した。何をしているのかと思った武士たちは女性に近づくと大きな「籮(したみ)」=「上部が円形で底部が四角の籠」を抱え、手には一本の木の枝を握っている。武士たちの姿を見るとなぜか逃げ去る機会を窺うようなそぶりがちらりと光った。不審に思った武士が女性を捕まえて籮(したみ)の中を覗き込むと、およそ12センチごとに切り取った蛇が放り込んである。
「馳寄(はせより)テ見レバ、女、大キヤカナル籮(したみ)を持(もち)タリ。亦、楚(すはゑ)一筋ヲ捧(ささげ)テ持タリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.505」岩波書店)
武士たちは「何の素材なのか」と女性に詰め寄ったが女性は一言も言わず黙り込んでしまった。何も答えが返ってこないので大刀帯陣の者らはかえって察したのだろう。「驚くべきことだ。捕まえた蛇を適度な大きさに切り揃え、家で塩漬けにして干したものをおれたちに売り捌いていたのか」と。
「早ウ、此奴(こやつ)ノシケル様(やう)ハ、楚ヲ以テ藪(やぶ)ヲ驚カシツツ、這出(はひいづ)ル蛇ヲ打殺シテ切ツツ、家ニ持行テ、塩ヲ付テ干(ほし)テ売ケル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.506」岩波書店)
しかし不思議なのは、人間が蛇を喰うと体によくないと言われているのに、蛇毒で死ぬどころか反対に美味い美味いと喰っていたのは自分たちだ。なんで?
「此レヲ思フニ、『蛇ハ、食ツル人悪(あし)』ト云フニ、何ド蛇ノ不毒(どくせ)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第三十一・第三十一・P.506」岩波書店)
女性に絶妙な知恵と工夫とを与えたのは死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い詰められていた、当時の階級格差から来る貧困苦にほかならない。ここで、その込み入った諸事情について、一九七〇年代のフランスでフーコーが語った「十三歳の少年」=「被告ベアス」について振り返ってみることはできないだろうか。随分以前に述べた箇所だが。
「居所も定まらず家族もなく、放浪罪の嫌疑をかけられたのち、二年間の懲治矯正を宣告されたため多分長らく非行性の回路に身をおくはめになった十三歳の少年」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
おそらくパリの中でも最底辺に位置する社会階層の出身なのだが、階級意識というものには縁もなければ関心もない。フーコーはいう。
「もしもこの少年が自分を(刑法との関連によってより以上に規律・訓練の名目によって)非行者にしたてていた法律の言説に対抗して、こうした強制権に従順でない或る違法行為の言説を申し立てなかったとすれば、彼は何の名残をもとどめずに終わったにちがいない」(フーコー「監獄の誕生・P.286」新潮社)
学問もなければ労働運動に拾われることもなく、かといって警察が目くじら立てて取り締まる対象の中にさえ入っていなかった。しかしこの十三歳の少年が裁判所で自分の立場を証言できる程度には言葉を扱えるようになっていたのは教育機関の成果ではなく、少年時代からあちこちでずっと様々な、だがほとんど金儲けにはならない仕事をあてにして食いつないできた過程で身についたものだ。もし教育機関を通していたとすれば、貧民階級の《道徳化》と結びついていた教育制度のために、この少年もまた知-権力の網目によって一斉に捕獲され調教され家畜化されていたに違いない。だが少年は早いうちに社会の網目から別のところで生きてきた。そのことがヴィドックやラスネールとはまったく別種の非行性を出現させることになった。少年にかけられた嫌疑は「放浪罪」である。
「放浪のかたちとしては住居の欠如、自立のかたちとしては主人(親方、教師の意をふくむ)の欠如、自由のかたちとしては労働の欠如、昼と夜の充足のかたちとしては時間割の欠如」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
司法=警察=監獄が前に出てはいるものの、刑罰は規律・訓練を通して行われる。それは個々別々の、一人一人の人間の身体に狙いをつけて実行される非行性の加工過程である。人間を個別単位で極めて微細な点で観察し、その線に沿って限りなく社会化するわけだ。少年の名はベアス。彼が法廷で述べ立てる言説は新聞記者によって記録された。それは被告と裁判長とのやりとりにおいて顕著な不均衡をあらわにしただけではない。刑法だけでは裁くことも裁かないこともできそうにない「喜劇的効果」という側面を出現させ、むしろそれを主題化させるに至る。
「規律・訓練=刑罰=非行性をつなぐ制度への違法行為のこうした対決は同時代人が、というよりむしろその法廷にいた新聞記者が、反規律・訓練の些細な所業と取っ組みあいのけんかをする刑法の喜劇的効果として知覚したものであった」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
要するに被告と裁判長とのあいだには埋めても埋めても埋めようのない深淵がすでにあったという事態が可視化されたわけである。しかし司法権力はそれを裁かないわけにはいかない。だから「放浪罪」なのだ。しかし判決として言い渡された「放浪罪」とはそもそもなんなのか。そしてなぜ「放浪」=「罪」なのか。
「しかも全くそのとおりの事態だったが、そのわけはこの事件ならびにそれにともなう判決が、十九世紀における法律上の懲罰問題の核心に存在するからである」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
司法の代表者たる裁判官は被告に対して被告の態度を「法の尊厳でつつみこもうと試みる」。つつみこんで司法が取り扱える範疇の中へ捕獲しようとするわけだが、被告の態度は始めから「反規律・訓練(だらしなさ)」に満ちている。資本と労働、上級階級と下層階級、ブルジョワジーとプロレタリアート、といった対立的カテゴリーで区別することのできない「反規律・訓練」という非行性。そしてそこに出現する「反規律・訓練(だらしなさ)」というつかみどころのない態度。しかし少年の言葉はけっしてたどたどしいものではなく、マスコミが社会面を用いて掲載し分析するにたる言説として語られる。
「裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規律・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長は言う。人間は自分の家で眠らなければなりません、と。ベアスは答える。
「自分の家なんかない」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長は言う。いつまで放浪生活をつづけるのかね、と。ベアスは答える。
「生活を立てるために働いてるんだよ」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
裁判長はたずねる。職業は?、と。ここに至ってベアスは大いに語る。
「仕事ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
ベアス少年のこの言葉は皮肉にも二〇二〇年の日本の若年層が置かれている現状に急接近している。両者の違いといえば、ベアス少年の場合はただ、高度テクノロジーを、スマートフォンを、持っていないに過ぎない。そしてまたベアスの姿は、かつてディドロが語っていたラモーの甥の日常にあまりにも似ている。
「気の触れた人のように叫んだり歌ったり暴れたり、自分一人で男や女の踊り手にもなれば歌い手にもなり、オーケストラや歌劇の一座も全部一人でやってのけ、一つのからだを二十もの別々の役に使い分け、悪魔に憑かれた人のように、走ったかと思うと、立ち停り、きらきらと眼を輝かしたり、口から泡を吹いたりした。息もとまりそうなほどの暑さだった。そして、彼の額の皺や長い頬に沿って流れる汗は、髪粉とまじって、川のように、着物の上のほうにいくすじもの線をつけていた。彼が表わさないものが一つだってあっただろうか。彼は泣いた。笑った。溜息をついた。ある時は愛情をこめて、ある時は静かに、ある時は荒々しく、眺めた。悲しさに悶える一人の女になることもあれば、失望の淵に沈む一人の不幸な男にもなった。そそり立つ寺院であることも、落日に声なき鳥どもになることもあった。あるいはうら淋しくすがすがしいほとりにせせらぐ流れとも、また山々の頂から急湍となって走せ下る流れともなった。暴風雨でもあり、海荒れでもあり、風の唸り、雷の轟にまじる死にゆく人々のうめき声でもあった。それは暗々たる闇夜でもあったし、物影と沈黙でもあった。というのは、沈黙さえも音で描写されるのだから。彼の頭はまったく正気を失っていた。深い眠りからか、また長い放心状態から醒めた人のように、疲れきって、彼は茫然と、気がぬけたように、じっとしていた」(ディドロ「ラモーの甥・P.122」岩波文庫)
絶え間ない仮面の取り換えばかりが忙しい。しかし仮面の取り換えを辞めた途端、ラモーの甥に明日の生活保障はないという現実。ディドロは啓蒙主義時代の中でこの事情に触れたのであり、啓蒙したからといってこの事情が劇的に改善するわけではないということもわかっている。わかっていて述べている。だから当時はヨーロッパ最高レベルの知性として君臨した百科全書派の代表者ディドロは、代表的であるがゆえに啓蒙思想の限界をも理解していた。ディドロはラモーの甥を終始一貫して道化=非理性=狂気として取り扱っている。その限りでラモーの甥は統合を失調している。統合しようと追いかけてくる社会制度に対するピエロの機能を果たす。ヘーゲルはその点に大いに着目した。
「自己復帰の第一の面においては、あらゆる《事物の空しさ》は、自己《自身の空しさ》である、つまり自己は空しい《のである》。すべてを評価し、喋りまくるだけでなく、現実の固定した実在〔国家権力と財富〕や、判断の立てる固定した規定〔善悪、高貴下劣〕やが、《矛盾》していることを、精神(エスプリ)のある態度で語るすべを心得ているのは、自独存在〔対自存在、自立存在〕する自己である。この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理なのである。ーーー形式上から考えれば、自己は、すべてのものが、自分自身と疎外関係にあることを、知っている。つまり、《対自存在》〔自独存在、自立存在〕は《自体存在》から、思いこんだことと目的は真実から、さらに《対他存在》が両者から、示されたものは本来の思いこみや真の事柄や意図から、離れているのである。ーーーかくて自己は、すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが転倒していることを、正しく言い表わすすべを知っている。自己は、各々のものが何であるかを、それがどのように規定されていようと、そのものが在る以上によく知っている。自己が実体的なものを知っているのは、実体的なものが自分で統一している《不統一》と、《対抗》との面からであって、一つであるという面からではないから、自己は、実体的なものを、非常にうまく《評価する》ことを理解してはいるが、それを《把握する》能力は失っている。ーーーそのさい、この空しさは、すべての事物の外に出て、自己の意識を自分でもつために、すべての事物の空しさを必要とする、それゆえ、この空しさを自分で生み出すとともに、この空しさを支える眼目である」(ヘーゲル「精神現象学・下・P.108~109」平凡社ライブラリー)
ところがラモーの甥に見られる道化=非理性=狂気はずっと後の十九世紀末から二十世紀初頭になって、ゴッホ、ニーチェ、アルトーといった一群の人々によってやおら復活することになる。しかし今はまだ被告ベアスの証言について慎重に耳を傾けなくてはならない。裁判長は言う。ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになる、と。ベアスは答える。
「とんでもない、ちゃんとして店や徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない」(フーコー「監獄の誕生・P.287」新潮社)
フーコーはこのやりとりにおいて出現している事態についていったん簡略的かつ形式的にまとめる。形式的にまとめる手法はフーコーがいっとき「構造主義者」として語られたこととは何の関係もない。フーコーが形式化するのは裁判長(というより司法権力)と被告とのやりとりにおいて明確に形式化可能な事態が生じているからである。
「一方にあるのは裁判長によって表わされる『文明』の力であり、『生ける合法性、法の精神と文言』の力である。その力は自ら強制権の体系をそなえていて、その体系は一見したところ刑法典だが実際は規律・訓練である」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長の言説は「文明」を代表している。ラ・ファランジェ紙は法廷での両者のやりとりを細かく取り上げながらこう分析する。
「まず人間は或る住所、或る場所決定、なんらかの強制的な組込みの事態をもたねばならず『この裁判長のことばを以てすれば、人は自分の家で寝るものである、なぜならすべての人は自分になんらかの住居をもつべきだからであり、豪華な屋敷であれ最下等の家であれ、それはかまわない。そこで何を供給しようがその点では責任がないが、そこへ誰であれ無理に住まわねばならぬ責任がある』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
さらに。
「つぎに人間は、なんらかの職業、判別のきく身元、最終的には決まった個人性をもたねばならない。つまり『きみの職業は何か。この質問こそは社会のなかで確立される秩序の最も単純な表現であって、例の放浪生活は社会に反し、社会を混乱させる。安定した、中断のない、長期にわたる職業、未来への、将来の安定への思索を手に入れて、社会をあらゆる攻撃から守らねばならない』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長は「放浪生活は社会に反し、社会を混乱させる」と断じる。この点では一連のジェネ文学が今なお頂点に位置する。そしてジュネ文学はもう二度と新しく現われることはないだろう。古典となったという意味だけでそう言うのでは必ずしもなく、ジュネ文学を可能にした社会構造自体、もはやすっかり地上から消滅してしまったからである。
「最後に人間は主人をもたねばならず、ある階層秩序のなかに組込まれてそこに位置づけられねばならず、人は所定の支配関係のなかに置かれた場合にのみ実在するわけである。たとえば『きみは誰のところで働いているか。つまり主人ではない以上、きみはどんな条件のもとにであれ支える者でなければならぬという意味である。きみ個人の満足が重要なのではなく、秩序の維持が肝要なのである』」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
裁判長が主張している社会的倫理は「きみ個人の満足が重要なのではなく、秩序の維持が肝要なのである」という点に集約されるだろう。そして実際、社会はその方向へ加速する。ところがその先に出現したのは極端に秩序化された二つの全体主義国家であった。一方にナチスのドイツ、もう一方にスターリンのロシアが、出現した。それはさておき、フーコーは法について、法という制度は始めから「規律・訓練」がまとう一つの《仮面》に過ぎないと位置づける。だから裁判長と被告とのあいだで生じている断層は、裁く司法と裁かれる違法行為との対立というよりもむしろ、固定しようとする規律・訓練と相入れない諸力の運動としての反規律・訓練との差異から生じてきたというべきものだ。
「法の相貌をもった規律・訓練に対して、相手(つまり被告)は違法行為を盾に逆にそれを権利として強調する。〔裁判長に対して〕断絶が生じるのは法律違反の点でよりも反規律・訓練の点でである」(フーコー「監獄の誕生・P.288」新潮社)
被告ベアスが十三歳という若年者であるにもかかわらず司法権力にたてついたというわけではなく、十三歳という多感な若年者であるがゆえに司法権力が一方的に与え押しつける規律・訓練という法的措置あるいは知-権力装置は、生きていく上でかえって足かせになるという事情である。被告ベアスにとってこの切迫した事情は「文明」とは何かという問いを全面的にあぶり出す。そして「文明」に対する懐疑的態度はこの裁判を通して、近代社会成立以降長いあいだ忘れ去られていた「野生」という領域を明るみに出す。
「こうしたすべての些細な反規律・訓練(だらしなさ)を介して忌避されているのは要するに『文明』全体であり、それを介して明るみに出るのは『野生』である」(フーコー「監獄の誕生・P.289」新潮社)
とはいえ、今や逆に、日に日に野生を喪失しつつある人間特有の「反規律・訓練(だらしなさ)」は、ともすれば資本主義を危機に陥れるほどますます増大してきた。ニーチェはいう。
「《機械文化への反作用》。ーーーそれ自体は最高の思索力の所産であるにもかかわらず、機械は、それを操作する人たちに対しては、ほとんど彼らの低級な、無思想な力しか活動せしめない。その際に機械は、そうでなければ眠ったままであったはずのおよそ大量の力を解放せしめる。そしてこれは確かに真実である。しかし機械は、向上や改善への、また芸術家となることへの刺戟を与えることは《しない》。機械は、《活動的》にし、また《画一的》にする、ーーーしかしこれは長いあいだには、ひとつの反作用を、つまり魂の絶望的な退屈を生む。魂は、機械を通して、変化の多い怠惰を渇望することを学ぶのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第二部・二二〇・P.434」ちくま学芸文庫)
この逆説的現象は一体何を物語っているのだろうか。
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