Kが気づくともう役人たちは仕事を始めていた。朝のようだ。細かな職務をずいぶんせっかちそうにこなしている様子が見て取れる。
「廊下そのものには、まだだれの姿も見えなかったが、各部屋のドアは、すでに動きはじめていて、何度もすこしあけられたかとおもうと、すぐまた急いでしめられるのだった。こうしてドアを開閉する音が、廊下じゅうにかまびすしかった。天井(てんじょう)にまで達していない壁の切れ目のところに、ときどき寝起きするらしく髪を乱した顔があらわれてはすぐ消えるのが見えた。遠くのほうからひとりの従僕が、書類を積んだ小さな車をゆっくりと押してきた。もうひとりの従僕が、そばについていて、手に一枚の表をもっていた。あきらかにドアの番号と書類の番号とを突き合わせているらしかった。書類車は、たいていのドアのまえでとまった。すると、たいていのドアがひとりでに開かれて、しかるべき書類が室内に手渡されるのだった。書類は、紙きれ一枚のこともあったが、こういうときは、室内と廊下とのあいだにちょっとしたやりとりがあった。それは、従僕のほうが文句をつけられているのであるらしかった。こういう場合、近所の部屋は、すでに書類が配達されているのに、ドアの動きがすくなくなるどころか、かえってはげしくなるようにおもわれた」(カフカ「城・P.447」新潮文庫 一九七一年)
役人たちの動きは急速に<強度>を増していく。それとともに行き交う書類の量も増大する。グローバル資本主義的ネット社会の職場で行き交う電子情報の量が増大するのと少しも違わない。書類の減少につれて逆に顔認証などの簡略化された管理装置へ置き換えられる。だが基本的に本人の自筆認証がベースになっている点はまるで違っていない。民間でも同じ傾向が加速する。カード認証は便利だがその一方で本人の資産状況は丸見えであってプライバシーなどあってないに等しくなる。カードから機械が読み取る情報は多岐に渡る。貧困世帯なら間もなく「家を売りませんか」という案内が届く。逆に富裕層なら間もなく「投資」に関するバラエティー豊かな案内がどんどん送られてくる。ともあれ、朝の役所のせわしなさを「鶏小屋」と書き換えたカフカは紛れもなく「万里の長城」を書いたカフカだったに違いない。
「部屋のなかでざわめくこれらの声は、非常にたのしげなものであった。それは、遠足の用意をしている子供たちの歓声のようにきこえるところもあれば、鶏小屋の朝の目ざめのように、これからはじまる一日と完全に一致していることを喜んでいるようにきこえることもあった。それどころか、どこかの部屋で鶏の鳴き声をまねてみせる役人もあった」(カフカ「城・P.446~447」新潮文庫 一九七一年)
第一次世界大戦が終結し、民間の官僚化と官僚の民間化が加速していた頃、役人たちの動きは「これからはじまる一日と完全に一致している」ばかりか、それを「喜んでいる」ことを隠そうともしない。さらに「どこかの部屋で鶏の鳴き声をまねてみせる役人もあった」。逃げ場を失いもはや鶏になることが避けられない場合、拒否するよりむしろ喜んで鶏になるという<動物への意志>は荘子がすでに述べており、若くから中国の古典に親しんでいたカフカにすれば一つも不思議な話ではない。
「子祀・子輿・子犁・子來、四人相與語曰、孰能以无爲首、以生爲脊、以死爲尻、孰知死生存亡之一體者、吾與之友矣、四人相視而笑、莫逆於心、遂相與爲友、俄而子輿有病、子祀往問之、曰、偉哉、夫造物者、將以予爲此拘拘也、曲僂發背、上有五管、頣隠於齊、肩高於頂、句贅指天、陰陽之気有乱、其心間而无事、偏遷而鑑于井曰、嗟乎、夫造物者、又將以予爲此拘拘也、子祀曰、女惡之乎、亡、予何惡、浸假而化予之左臂以爲雞、予因以求時夜、浸假而化予之右臂以爲彈、予因以求鴞炙、浸假而化予之尻以爲輪、以神爲馬、予因而乗之、豈更駕哉、且夫得者時也、失者順也、安時而處順、哀樂不能入也、此古之所謂縣解也、而不能自解者、物有結之、且夫物不勝天久矣、吾又何惡焉
(書き下し)子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しり)・子来(しらい)、四人相(あ)い与(とも)に語りて曰わく、孰(たれ)か能く無(む)を以て首(こうべ)と為し、生を以て脊(せ)と為し、死を以て尻(しり)と為すや。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾れこれと友たらんと。四人相い視(み)て笑い、心に逆らう莫(な)く、遂(つい)に相い与に友と為(な)る。俄(にわ)かにして子輿に病あり、子祀往(ゆ)きてこれを問う。曰わく、偉なるかな、夫(か)の造物者(ぞうぶつしゃ)。将(まさ)に予れを以て此の拘拘(こうこう)を為さんとすと。曲僂(きょくる)背に発し、上に五管あり、頣(あご)は斉(へそ=臍)に隠れ、肩は頂(あたま)より高く、句贅(こうぜい)は天を指(さ)す。陰陽の気に乱(みだ)るることあるも、其の心間(しずか=閑)にして無事(むじ)なり。偏遷(へんせん)して井(せい)に鑑(かがみ)して曰わく、嗟手(ああ)、夫の造物者、又た将に予れを以て此の拘拘を為さんとするなりと。子祀曰わく、女(なんじ)これを悪(にく)むかと。曰わく、亡(いな)、予れ何ぞ悪まん。浸(ようや)くに仮(いた)りて予れの左臂(さひ)を化して雞(けい)と為(な)さば、予れは因(よ)りて時夜(じや)を求めん。浸くに仮りて予れの右臂を化して弾(だん)と為さば、予れは因りて鴞炙(きょうしゃ)を求めん。浸くに仮りて予れの尻を化して輪と為し、神(しん)を以て馬と為さば、予れは因りてこれに乗らん。豈(あ)に更(さら)に駕(が)せんや。且(か)つ夫れ得る者は時なり、失う者は順なり。時に安んじて順に処(お)れば、哀楽も入(い)ること能(あた)わず、此れ古(いにし)えの謂わゆる県解(けんかい)なり。而も自ら解くこと能わざる者は、物これを結ぶあればなり。且つ夫れ物の天に勝たざるや久し。吾れ又た何ぞ悪(にく)まんと。
(現代語訳)子祀(しし)と子輿(しよ)と子犁(しり)と子来(しらい)とが、四人でいっしょに語りあった。『無を頭とし、生を背(せなか)とし、死を尻とすることのできる者が、、だれかいるだろうか。死と生と。存と亡とが一体であることをわきまえた者が、だれかいるだろうか。われわれはそういう者と友だちになりたい』。四人はこういうと、顔を見あわせてにっこり笑い、心からうちとけて、そのまま互いに友だちとなった。〔その後〕、突然、子輿が病気になった。子祀が見舞いに訪ねていくと、子輿はこういった、『偉大だね、あの造物者(ぞうぶつしゃ)は。わしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』。背中はひどい背むしでもりあがり、内臓は頭の上にきて頣(あご)は臍(へそ)のあたりにかくれ、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりは天をさしている。体内の陰陽の気が乱れているのだが、その心は平静で格別の事もない。よろめきながら井戸の〔そばに行くと〕、水に姿をうつして、『ああ、あの造物者はまたわしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』といった子祀はいう、『君はそれがいやかね』。『いや、わしがどうしていやがろう。〔造化のはたらきが〕だんだん進んでわしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う。だんだん進んでわしの右の臂(かいな)をはじき弓に変えるというなら、ついでにわしは射(い)落した鳥の焼き肉をほしいと思う。だんだん進んでわしの尻(しり)を車の輪に変え、わしの心を馬にするというなら、ついでにわしはそれに乗るだろう。別の馬車を用意しなくてすむよ。それに、いったいこの世に生を受けたのは生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでゆくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自然の道理に従っていくということなら、〔生死のために感情を動かすこともなく〕、喜びや悲しみの感情が入りこむ余地はない。こういう境地が、むかしの人のいう県解(けんかい)ーーーすなわち束縛からの解放ということだ。しかもなお自分で解放することができない〔で生死のためにくよくよする〕というのは、外界の事物がその心の中で固まっているからだ。それに、そもそも外界の事物が自然の道理に勝てないのは、むかしからのことだ。わしは〔ただ自然の道理に従うばかり〕、またどうしてこの病をいやがったりしようか』」(「荘子(第一冊)・内篇・大宗師篇・第六・五・P.194~197」岩波文庫 一九七一年)
この論理はそれだけで終わりだろうか。そんなことはあり得ない。では、鶏になれるのなら機械にでもなれるはずだというべきだろうか。しかし二十世紀のうちに進行したのは人間の機械化と機械の人間化の側である。ただし鶏になって「縣解」〔束縛からの解放〕を実現するにはまだまだ幾つもの過程が必要だというわけではない。すでに「縣解」〔束縛からの解放〕は可能である。いつでも開かれている。にもかかわらず自らの機械化を選択した人間はなぜ機械化を選択したのだろうか。機械化にともない徐々に職場を失うのがわかっていながら。カフカが描いたのは<動物への意志>としての役人の姿だった。けれどもしかし戦後実現されたのは人間の<動物への転化>ではなく<ロボットへの加工>だった。カフカが全力を上げて正確に逃走線のありかを示していたにもかかわらず。また同時に進行していた世界的実験がある。人間身体はどこまで変容可能かという命題。スピノザが提出したテーマなのだが。
「人間身体はきわめて多くのことに有能である。ーーー人生において、我々は特に、幼児期の身体を、その本性の許す限りまたその本性に役立つ限り、他の身体に変化させるように努める。すなわちきわめて多くのことに有能な身体、そして自己・神および物について最も多くを意識するような精神に関係する身体、に変化させるよう努める」(スピノザ「エチカ・第五部・定理三九・備考・P.133」岩波文庫 一九五一年)
世界的ネット社会の中で溢れ返り氾濫し押し寄せる様々な情報に来る日も来る日も翻弄される人間。「城」のKもそんなふうに振り回される人間の一人だ。しかしKはなぜこうも現代人と似ているのか。まるで瓜二つなのか。「城」が途方もない長編であることと関係している。「城」の作中で起きている<事件>はどのようなものか。というよりそもそも<事件>とはどんなことを指しているのか。ドゥルーズはいう。
「一般にメディアが最初と最後を見せるのにたいして、<事件>のほうは、たとえ短時間のものでも、あるいは瞬間的なものでも、かならず持続を示すという違いがあります。そしてメディアが派手なスペクタクルをもとめるのにたいして、<事件>のほうは動きのない時間と不可分の関係にある。しかもそれは<事件>の前後に動きのない時間があるということではなくて、動きのない時間は<事件>そのものに含まれているのです。たとえば不意の事故がおこる瞬間は、いまだ現実には存在しない何かを見る目撃者の目に、あまりにも長い宙づりの状態でその事故がせまってくるときの、がらんとした無辺の時間と一体になっているのです。どんなありふれた<事件>でも、それが<事件>であるかぎり、かならず私たちを見者にしてくれるのにたいして、メディアのほうは私たちを受動的なただの見物人に、そして、最悪の場合は覗き魔に変えてしまいます」(ドゥルーズ「記号と事件・4・政治・P.323~324」河出文庫 二〇〇七年)
長編「城」が長編なのはなぜか。その理由は「<事件>の前後に動きのない時間があるということではなくて、動きのない時間は<事件>そのものに含まれている」からに違いない。
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「廊下そのものには、まだだれの姿も見えなかったが、各部屋のドアは、すでに動きはじめていて、何度もすこしあけられたかとおもうと、すぐまた急いでしめられるのだった。こうしてドアを開閉する音が、廊下じゅうにかまびすしかった。天井(てんじょう)にまで達していない壁の切れ目のところに、ときどき寝起きするらしく髪を乱した顔があらわれてはすぐ消えるのが見えた。遠くのほうからひとりの従僕が、書類を積んだ小さな車をゆっくりと押してきた。もうひとりの従僕が、そばについていて、手に一枚の表をもっていた。あきらかにドアの番号と書類の番号とを突き合わせているらしかった。書類車は、たいていのドアのまえでとまった。すると、たいていのドアがひとりでに開かれて、しかるべき書類が室内に手渡されるのだった。書類は、紙きれ一枚のこともあったが、こういうときは、室内と廊下とのあいだにちょっとしたやりとりがあった。それは、従僕のほうが文句をつけられているのであるらしかった。こういう場合、近所の部屋は、すでに書類が配達されているのに、ドアの動きがすくなくなるどころか、かえってはげしくなるようにおもわれた」(カフカ「城・P.447」新潮文庫 一九七一年)
役人たちの動きは急速に<強度>を増していく。それとともに行き交う書類の量も増大する。グローバル資本主義的ネット社会の職場で行き交う電子情報の量が増大するのと少しも違わない。書類の減少につれて逆に顔認証などの簡略化された管理装置へ置き換えられる。だが基本的に本人の自筆認証がベースになっている点はまるで違っていない。民間でも同じ傾向が加速する。カード認証は便利だがその一方で本人の資産状況は丸見えであってプライバシーなどあってないに等しくなる。カードから機械が読み取る情報は多岐に渡る。貧困世帯なら間もなく「家を売りませんか」という案内が届く。逆に富裕層なら間もなく「投資」に関するバラエティー豊かな案内がどんどん送られてくる。ともあれ、朝の役所のせわしなさを「鶏小屋」と書き換えたカフカは紛れもなく「万里の長城」を書いたカフカだったに違いない。
「部屋のなかでざわめくこれらの声は、非常にたのしげなものであった。それは、遠足の用意をしている子供たちの歓声のようにきこえるところもあれば、鶏小屋の朝の目ざめのように、これからはじまる一日と完全に一致していることを喜んでいるようにきこえることもあった。それどころか、どこかの部屋で鶏の鳴き声をまねてみせる役人もあった」(カフカ「城・P.446~447」新潮文庫 一九七一年)
第一次世界大戦が終結し、民間の官僚化と官僚の民間化が加速していた頃、役人たちの動きは「これからはじまる一日と完全に一致している」ばかりか、それを「喜んでいる」ことを隠そうともしない。さらに「どこかの部屋で鶏の鳴き声をまねてみせる役人もあった」。逃げ場を失いもはや鶏になることが避けられない場合、拒否するよりむしろ喜んで鶏になるという<動物への意志>は荘子がすでに述べており、若くから中国の古典に親しんでいたカフカにすれば一つも不思議な話ではない。
「子祀・子輿・子犁・子來、四人相與語曰、孰能以无爲首、以生爲脊、以死爲尻、孰知死生存亡之一體者、吾與之友矣、四人相視而笑、莫逆於心、遂相與爲友、俄而子輿有病、子祀往問之、曰、偉哉、夫造物者、將以予爲此拘拘也、曲僂發背、上有五管、頣隠於齊、肩高於頂、句贅指天、陰陽之気有乱、其心間而无事、偏遷而鑑于井曰、嗟乎、夫造物者、又將以予爲此拘拘也、子祀曰、女惡之乎、亡、予何惡、浸假而化予之左臂以爲雞、予因以求時夜、浸假而化予之右臂以爲彈、予因以求鴞炙、浸假而化予之尻以爲輪、以神爲馬、予因而乗之、豈更駕哉、且夫得者時也、失者順也、安時而處順、哀樂不能入也、此古之所謂縣解也、而不能自解者、物有結之、且夫物不勝天久矣、吾又何惡焉
(書き下し)子祀(しし)・子輿(しよ)・子犁(しり)・子来(しらい)、四人相(あ)い与(とも)に語りて曰わく、孰(たれ)か能く無(む)を以て首(こうべ)と為し、生を以て脊(せ)と為し、死を以て尻(しり)と為すや。孰か死生存亡の一体なるを知る者ぞ。吾れこれと友たらんと。四人相い視(み)て笑い、心に逆らう莫(な)く、遂(つい)に相い与に友と為(な)る。俄(にわ)かにして子輿に病あり、子祀往(ゆ)きてこれを問う。曰わく、偉なるかな、夫(か)の造物者(ぞうぶつしゃ)。将(まさ)に予れを以て此の拘拘(こうこう)を為さんとすと。曲僂(きょくる)背に発し、上に五管あり、頣(あご)は斉(へそ=臍)に隠れ、肩は頂(あたま)より高く、句贅(こうぜい)は天を指(さ)す。陰陽の気に乱(みだ)るることあるも、其の心間(しずか=閑)にして無事(むじ)なり。偏遷(へんせん)して井(せい)に鑑(かがみ)して曰わく、嗟手(ああ)、夫の造物者、又た将に予れを以て此の拘拘を為さんとするなりと。子祀曰わく、女(なんじ)これを悪(にく)むかと。曰わく、亡(いな)、予れ何ぞ悪まん。浸(ようや)くに仮(いた)りて予れの左臂(さひ)を化して雞(けい)と為(な)さば、予れは因(よ)りて時夜(じや)を求めん。浸くに仮りて予れの右臂を化して弾(だん)と為さば、予れは因りて鴞炙(きょうしゃ)を求めん。浸くに仮りて予れの尻を化して輪と為し、神(しん)を以て馬と為さば、予れは因りてこれに乗らん。豈(あ)に更(さら)に駕(が)せんや。且(か)つ夫れ得る者は時なり、失う者は順なり。時に安んじて順に処(お)れば、哀楽も入(い)ること能(あた)わず、此れ古(いにし)えの謂わゆる県解(けんかい)なり。而も自ら解くこと能わざる者は、物これを結ぶあればなり。且つ夫れ物の天に勝たざるや久し。吾れ又た何ぞ悪(にく)まんと。
(現代語訳)子祀(しし)と子輿(しよ)と子犁(しり)と子来(しらい)とが、四人でいっしょに語りあった。『無を頭とし、生を背(せなか)とし、死を尻とすることのできる者が、、だれかいるだろうか。死と生と。存と亡とが一体であることをわきまえた者が、だれかいるだろうか。われわれはそういう者と友だちになりたい』。四人はこういうと、顔を見あわせてにっこり笑い、心からうちとけて、そのまま互いに友だちとなった。〔その後〕、突然、子輿が病気になった。子祀が見舞いに訪ねていくと、子輿はこういった、『偉大だね、あの造物者(ぞうぶつしゃ)は。わしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』。背中はひどい背むしでもりあがり、内臓は頭の上にきて頣(あご)は臍(へそ)のあたりにかくれ、両肩は頭のてっぺんよりも高く、頭髪のもとどりは天をさしている。体内の陰陽の気が乱れているのだが、その心は平静で格別の事もない。よろめきながら井戸の〔そばに行くと〕、水に姿をうつして、『ああ、あの造物者はまたわしの体をこんな曲がりくねったものにしようとしているのだ』といった子祀はいう、『君はそれがいやかね』。『いや、わしがどうしていやがろう。〔造化のはたらきが〕だんだん進んでわしの左の臂(かいな)を鶏に変えるというなら、ついでにわしはその鶏が時を告げるのを聞こうと思う。だんだん進んでわしの右の臂(かいな)をはじき弓に変えるというなら、ついでにわしは射(い)落した鳥の焼き肉をほしいと思う。だんだん進んでわしの尻(しり)を車の輪に変え、わしの心を馬にするというなら、ついでにわしはそれに乗るだろう。別の馬車を用意しなくてすむよ。それに、いったいこの世に生を受けたのは生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでゆくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自然の道理に従っていくということなら、〔生死のために感情を動かすこともなく〕、喜びや悲しみの感情が入りこむ余地はない。こういう境地が、むかしの人のいう県解(けんかい)ーーーすなわち束縛からの解放ということだ。しかもなお自分で解放することができない〔で生死のためにくよくよする〕というのは、外界の事物がその心の中で固まっているからだ。それに、そもそも外界の事物が自然の道理に勝てないのは、むかしからのことだ。わしは〔ただ自然の道理に従うばかり〕、またどうしてこの病をいやがったりしようか』」(「荘子(第一冊)・内篇・大宗師篇・第六・五・P.194~197」岩波文庫 一九七一年)
この論理はそれだけで終わりだろうか。そんなことはあり得ない。では、鶏になれるのなら機械にでもなれるはずだというべきだろうか。しかし二十世紀のうちに進行したのは人間の機械化と機械の人間化の側である。ただし鶏になって「縣解」〔束縛からの解放〕を実現するにはまだまだ幾つもの過程が必要だというわけではない。すでに「縣解」〔束縛からの解放〕は可能である。いつでも開かれている。にもかかわらず自らの機械化を選択した人間はなぜ機械化を選択したのだろうか。機械化にともない徐々に職場を失うのがわかっていながら。カフカが描いたのは<動物への意志>としての役人の姿だった。けれどもしかし戦後実現されたのは人間の<動物への転化>ではなく<ロボットへの加工>だった。カフカが全力を上げて正確に逃走線のありかを示していたにもかかわらず。また同時に進行していた世界的実験がある。人間身体はどこまで変容可能かという命題。スピノザが提出したテーマなのだが。
「人間身体はきわめて多くのことに有能である。ーーー人生において、我々は特に、幼児期の身体を、その本性の許す限りまたその本性に役立つ限り、他の身体に変化させるように努める。すなわちきわめて多くのことに有能な身体、そして自己・神および物について最も多くを意識するような精神に関係する身体、に変化させるよう努める」(スピノザ「エチカ・第五部・定理三九・備考・P.133」岩波文庫 一九五一年)
世界的ネット社会の中で溢れ返り氾濫し押し寄せる様々な情報に来る日も来る日も翻弄される人間。「城」のKもそんなふうに振り回される人間の一人だ。しかしKはなぜこうも現代人と似ているのか。まるで瓜二つなのか。「城」が途方もない長編であることと関係している。「城」の作中で起きている<事件>はどのようなものか。というよりそもそも<事件>とはどんなことを指しているのか。ドゥルーズはいう。
「一般にメディアが最初と最後を見せるのにたいして、<事件>のほうは、たとえ短時間のものでも、あるいは瞬間的なものでも、かならず持続を示すという違いがあります。そしてメディアが派手なスペクタクルをもとめるのにたいして、<事件>のほうは動きのない時間と不可分の関係にある。しかもそれは<事件>の前後に動きのない時間があるということではなくて、動きのない時間は<事件>そのものに含まれているのです。たとえば不意の事故がおこる瞬間は、いまだ現実には存在しない何かを見る目撃者の目に、あまりにも長い宙づりの状態でその事故がせまってくるときの、がらんとした無辺の時間と一体になっているのです。どんなありふれた<事件>でも、それが<事件>であるかぎり、かならず私たちを見者にしてくれるのにたいして、メディアのほうは私たちを受動的なただの見物人に、そして、最悪の場合は覗き魔に変えてしまいます」(ドゥルーズ「記号と事件・4・政治・P.323~324」河出文庫 二〇〇七年)
長編「城」が長編なのはなぜか。その理由は「<事件>の前後に動きのない時間があるということではなくて、動きのない時間は<事件>そのものに含まれている」からに違いない。
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