白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・プルーストのいう因果関係の<諸断片>性

2022年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム
社交界がいかに空虚なものかを語りながらプルーストは不意にこんなフレーズを挟み込んでいる。

「真の作家は、多くの文士につきもののばかげた自尊心など持たないから、つねに自分をことのほか褒めたたえてくれていた批評家の文章を読んでいて、ほかの凡庸な作家たちの名は引き合いに出されているのに自分の名が出ていないことに気づいても、そんなことに驚いて拘泥している暇はない。書くべき本が自分を待っているからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.119」岩波文庫 二〇一五年)

プルーストにとって「書くべき本」とは何か。書きたいことがあるならすぐにでも書けばいいと読者は思うだろう。しかしそれはプルーストを「待っている」という。デリダ流にいえば「書くべき本」がプルーストに<到来する>する時を待つということになる。ただ、その時が到来したとして、その内容がそっくりそのまま言語化されているかといえば決してそうではない。プルーストは翻訳の必要性を強調する。「作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである」と。

「あることがらがなんらかの印象を与えるとき、そのとき実際に生じていることを私が把握しようと努めていたならば、本質的な書物、唯一の真正な書物はすでにわれわれひとりひとりのうちに存在しているのだから、それを大作家はふつうの意味でなんら発明する必要がなく、ただそれを翻訳すればいいのだということに、私は気づいたはずである。作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.480」岩波文庫 二〇一八年)

この立場は芸術家の立場である。画家や音楽家が絵画や音楽で明らかにするように、プルーストは文学でそれを可視化しようと目論んでいる。途方もない作業だ。画家エルスチールや音楽家ヴァントゥイユがやって見せたように人々が見ているし聴いてもいるはずのものにまるで別の立場から新しい光を照射し芸術として見えるものにし聴こえるようにする。そのためには人々が慣れきってしまった習慣・因襲が支配する場所から移動しなくてはならない。自ら率先して孤独を選ぶのである。これまで世間で流通してきた習慣・因襲をかなぐり捨てて、「他人(ひと)の身になるという習慣から背かなければならない」ような立場へ、身を置かなければならない。

「これから何年にもわたり、あらゆる深い洞察を排除する社交上のつき合いという不毛の楽しみのために、その人たちの口にすることばの残響が消えるか消えないかのうちに、その残響に私のことばというこれまた空しい響きを重ねて、幾多の夜を無駄にすごしたところで、なんの役に立つのだろう?それよりもむしろ私は、その人たちの仕草はや発言、その人たちの人生や本性、それらのつくる曲線を描きだし、そこから法則をひき出そうと試みるほうが、ずっと有益ではないか?そうなると残念ながら私は、他人(ひと)の身になるという習慣から背かなければならないだろう。その習慣は、作品の着想には役立つものの、作品の実現を遅らせるからである」(プルースト「失われた時を求めて14・第七篇・二・P.169~170」岩波文庫 二〇一九年)

例えばエルスチールはバルベックに住んでいたがその中心地ではなく郊外の森の中でひっそり暮らしておりバルベックの住人たちから「変人」扱いされていた。だがエルスチールは他の人々が普段から見ているのに実は見えていなかったバルベックの断崖を絵画という方法で可視化することに成功した。プルーストは新しい作品創造のために必要なのは習慣・因襲の<外>に出ることだと知っていた。

一方、紹介者を探し回って焦る<私>のことなどどこ吹く風とばかりのシャルリュス。シャルリュスはいつも憎悪・罵倒してやまない新興ブルジョワ階級に大人気のワーグナーのオペラ「タンホイザー」に出てくる「入場行進曲」が鳴り響く豪華絢爛な場面を妄想し、シャルリュスこそヴァルトブルク城の入口で「招待客のひとりひとりに親切な優しいことばをかけている気になっていた」。節操がないといえばいえるが、シャルリュスの誇大妄想は、シャルリュスをワーグナー「タンホイザー」中の登場人物に変身させてしまうほど強靭な力を持つと考えられる。社交界のほかの人々にはそれができないわけだが。

「シャルリュス氏は、このパーティーで自分が卓越した地位を占めるゲルマントの一員であることを自覚していた。しかし氏の態度には高慢なところがあったのみならず、このパーティーという語自体が、氏のような美的才能に恵まれた人間にとっては、それが社交人士の館で開催されるのではなくカルパッチョやヴェロネーゼの画のなかに描かれた場合のように、好奇心をそそる、豪華絢爛な意味を想起させたのである。いや、それよりもむしろ、ドイツの王族でもあったシャルリュス氏は『タンホイザー』でくり広げられる祝宴を想いうかべ、自分が辺境伯になったつもりで、ヴァルブルク城の入口で招待客のひとりひとりに親切な優しいことばをかけている気になっていたようで、そうなると城や庭園へはいってゆく招待客たちの流れを迎えるのは、有名な『入場行進曲』の何度も何度もくり返される長いフレーズなのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.121~122」岩波文庫 二〇一五年)

天上天下唯我独尊ぶりを発揮して悦に入るシャルリュスを横目に<私>はもっとほかの紹介者はいないかと周囲を見渡す。目についたのはアルパジョン夫人の姿。夫人の側から近づいてきた。ところが<私>はとっさに夫人の名前を思い出すことができない。しばらくして「ようやく一挙に、その名前の全体がやって来た、『アルパジョン夫人』だ」。

「私の精神は、たしかにどんなに難しい名前でもつくり出すことができる。だが残念ながら、つくり出すのではなく、再現しなければならないのだ。精神のいかなる活動も、現実に従わなくていいのであれば、いずれもたやすいものであろう。この場合、私はなんとしても現実に従わざるをえない。ようやく一挙に、その名前の全体がやって来た、『アルパジョン夫人』だ。やって来た、というのは正確ではない。その名前が、自分自身の推進力によって私の前にすがたをあらわしたとは思えないからである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.124~125」岩波文庫 二〇一五年)

次の文章でプルーストは試行錯誤しながらも大変重要な事態に気づいている。「忘却と想起とのあいだに多くの移行段階が存在するとしても、その移行段階は意識されない。というのも本当の名前を見つけるまでに通過したさまざまな途中の名前は、どれもこれも間違っていて、われわれをなんら本当の名前に近づけてくれないからである」と。

「人がある名前を見つけ出そうとする際の記憶のなかで演じられるこの大がかりな『かくれんぼ』では、一連の諸段階を経て相手へと近づくわけではない。なにも見えない状態がつづいたあと、不意に正確な名前があらわれるが、それは見当をつけていた名前とはまるで違っているのだ。名前がわれわれのほうにやって来たのではない。そうではなく、われわれは暮らしてゆくにつれ、名前のはっきり見える地帯から時間をかけて遠ざかってゆくものらしく、それにもかかわらずいきなり薄暗がりを突き抜けたように明確に見えるようになったのは、意志と注意力を鍛えたおかげで私の内なる眼力がひときわ鋭くなったからだと思われる。いずれにせよ忘却と想起とのあいだに多くの移行段階が存在するとしても、その移行段階は意識されない。というのも本当の名前を見つけるまでに通過したさまざまな途中の名前は、どれもこれも間違っていて、われわれをなんら本当の名前に近づけてくれないからである。それらは厳密に言えば名前とも呼べないしろもので、たいていは正しい名前には出てこない子音などの集合体にすぎない」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・一・P.125~126」岩波文庫 二〇一五年)

事物の因果関係はア・プリオリに成立しているものではまるでないということにプルーストは気づいている。それとともに逆に、因果関係は成立しているのではなく分裂しており、いつもは<諸断片>へと解体されているとプルーストは言っているわけだ。ゆえにどんな因果関係でも簡単にでっち上げることができるし切り離したりまた繋ぎ合わせたりすることもできるのである。カントはヒュームから受けた多大な影響をこう述べる。

「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫 一九七七年)

ニーチェは因果系列がなぜ突然出現するかについてこう述べている。

「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫 一九九四年)

またベルクソンの提示する逆円錐を用いれば説明はもっと容易になるだろう。人間の思考は点Sと平面ABとの間を無数に反復しているわけだが、それが最も表層の平面ABで繋ぎ合わされた瞬間、「現在の行動に有効なかたち」を取る。

「すなわち、点Sであらわされる感覚-運動メカニズムと、ABに配置される記憶の全体とのあいだにはーーー私たちの心理学的な生における無数の反復の余地があり、そのいずれもが、同一の円錐のA’B’、A”B”などの断面で描きだされる、ということである。私たちがABのうちに拡散する傾向をもつことになるのは、じぶんの感覚的で運動的な状態からはなれてゆき、夢の生を生きるようになる、その程度に応じている。たほう私たちがSに集中する傾向を有するのは、現在のレアリテにより緊密にむすびつけられて、運動性の反応をつうじて感覚性の刺戟に応答する、そのかぎりにおいてのことである。じっさいには正常な自我であれば、この極端な〔ふたつの〕位置のいずれかに固定されることはけっしてない。そうした自我は、両者のあいだを動きながら、中間的な断面があらわす位置をかわるがわる取ってゆくのだ。あるいは、ことばをかえれば、みずからの表象群に対して、ちょうど充分なだけのイマージュと、おなじだけの観念を与えて、それらが現在の行動に有効なかたちで協力しうるようにするのである」(ベルクソン「物質と記憶・P.321図5~322」岩波文庫 二〇一五年)

だから一度は解体されてばらばらになっていた<諸断片>が再び組み立て直され、「名前のはっきり見える地帯」が再出現するのに要した時間について、プルーストは「ようやく」と書かねばならない必然性に迫られることが誰にでもあると<暴露>している。記憶の因果関係は或る種のでっち上げに過ぎず、決してア・プリオリではないと。

BGM1

BGM2

BGM3