白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ17

2023年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年六月一日(木)。

 

早朝(午前五時三十分)。飼い主が散歩から帰宅。タマは一人遊びにふけっている。

 

朝食(午前九時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)四十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)三十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

籠の中ですやすやよく寝る。

 

遅めの昼食(午後二時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)二十粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

午後も籠の中ですやすや。そういえば昨夜は籠の中に入って寝ていた。籠が気に入ったのかもしれない。ちなみのその籠は初代タマの玩具入れに使っていたもの。初代タマは暇になるとその都度遊んでほしい玩具を口にくわえて籠から取り出し飼い主の足元まで運んできてぽとりと落とすのが合図だった。

 

遅めの夕食(午後八時)。ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン・a/d)5グラムにニュートロの室内猫用キトンチキン(生後12ヶ月まで)三十五粒とヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)二十五粒を混ぜたものを餌皿で摂取。

 

朝昼夕といずれもカリカリ主体の食事へ置き換えてみたわけだが、嫌がるかもと考えていたところ思いのほか食べてくれたようにおもう。

 

遊び時間は夕食前の一時間と夕食後の一時間。リビングが狭く感じるほど走り回る。それは構わないのだが、時々ふいに物陰から飛び出すのが危険で、人間の側としては気が気でない。

 

体重測定。770グラム。昨日より30グラム増。

 

それはそうと、いつ水分摂取しているのだろう。あまり見かけない。しかし小便はよくする。色も特に問題なく健康そうに見える。今日は初代タマのお供えのお水をぺろぺろ飲んでいるのを見たが。

 

“Prophet!”said I,“thing of evil!—prophet still,if bird or devil!—

Whether Tempter sent,or whether tempest tossed thee here ashore,

Desolate yet all undaunted,on this desert land enchanted—

On this home by Horror haunted—tell me truly,I implore—

Is there—is there balm in Gilead?—tell me—tell me,I implore!”

Quoth the Raven,“Nevermore.“

 

「『予言者め!』私は言った、『悪なる者!ーーー鳥か魔神か、ともかくも予言者よ!ーーー大魔王に送られたか、嵐によってここな岸辺に吹き寄せられたか、

ひとり空しく、しかも臆する色なく、この荒涼の呪縛の国にーーー

<恐怖>によって魅入られたこの家にーーー心から願う、どうか私に教えてくれーーー

果してーーー果してギレアデに痛手をいやす乳香が《ある》かどうかをーーーこの私に教えてくれ!』

鴉は答えた、『最早ない』」(ポオ「鴉」『詩と詩論・P.159』創元推理文庫 一九七九年)


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて434

2023年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。日の出時刻頃の大津市の気象予報は曇り、湿度は85パーセントのようです。湖東方向も曇り。鈴鹿峠も曇りのようです。

 

午前四時十分頃浜辺へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.6.1)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.6.1)

 

二〇二三年六月一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。


Blog21・アルベルチーヌの<固有の死>からその<固有性>を奪い去る<習慣の作用>

2023年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

死にもかかわらずいやらしくのしかかる<習慣の作用>について。「ものごとを単純化してすべてを解決してくれる結末の便利さと楽天主義」。それは<私>をますます怠惰にするばかりかアルベルチーヌの<固有の死>からその<固有性>を奪い去って<一般化>してしまう。

 

「とはいえ快楽を奪うのは死だけではない。死が介在しなくても快楽はしまいには鈍くなるだろうし、以前からの習慣や新たな好奇心によってすでに鈍くなりはじめていたからである。それにアルベルチーヌは、かりに生きていたとしても肉体的にもすこしずつ変化しただろうし、私は日ごとにその変化に対処しただろう。しかし私の回想はアルベルチーヌのそのときどきのすがたしか想起しないから、その回想が求めたのは、生きていたらもはやそうならなかったはずのアルベルチーヌと再会することだった。つまり私の回想が望んだのは、過去から抜け出せない記憶が当然のことながらもつ恣意的な限界にも対処できるような奇跡だったのである。とはいえこの生きた女性を、大昔の神学者たちのように無邪気に想像するばかりの私が自分に与えた解釈というのは、アルベルチーヌ自身が私に与えることのできたはずの解釈ではなく、最悪の矛盾ではあるが、アルベルチーヌが生前つねに私に拒んでいた解釈であった。ことほどさようにアルベルチーヌの死は一種の夢であるから、私の愛はアルベルチーヌにとって想いも寄らぬ幸福に見えるだろう。というわけで私がこの死から得たものは、ものごとを単純化してすべてを解決してくれる結末の便利さと楽天主義だけであった」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.213~214」岩波文庫 二〇一七年)

 

ということなら結局のところ、死んだのがアルベルチーヌでなくてもまったく構わないのと同じことになる。習慣に取り憑かれることによる<単純化><一般化>の危険はこの後も何度か繰り返し指摘されるわけだが、最初のバルベック滞在時、アルベルチーヌを含む娘たちそれぞれに固有の魅力的特徴を削ぎ落とす作用としてすでに指摘されていた。

 

「恋の初めには、その終わりのときと同じで、われわれは恋の対象にのみ執着するのではなく、恋の発端となる愛したいという欲望は(恋の終わりではそれが残してくれる想い出が)、置き換え可能なさまざまな魅力ーーーときには単に自然や食い道楽や住まいの魅力ーーーを宿す地帯を心地よくさまよい、たがいに調和のとれたどの魅力のそばにあっても恋心は違和感を覚えない。そもそも娘たちを前にした私は、習慣のせいで無防備になるせいで無感動になる以前のこととて、娘たちを見る能力を備えていた。つまり、娘たちを前にするたびに心底から驚く能力を備えていたのである。そんなふうに驚く一因は、たしかに出会うたびに相手が新たな面を見せるところにある。しかしひとりひとりがいくら驚くほど多様でその顔や身体の輪郭がいくら豊かであっても、相手のそばを離れたとたん、ものを単純化するわれわれの恣意的な記憶のなかにそんな輪郭はごくわずかしか見出せなくなる」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.582」岩波文庫 二〇一二年)

 

習慣というものはいとも容易に何をやらかしてしまうものなのか。ニーチェから二箇所。

 

(1)「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫 一九九三年)

 

(2)「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏/反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

 

習慣は個々別々の<差異としての人間>をまとめて家畜化する。家畜としてはどれも同じだとなると、どんな個人にもある唯一無二の<固有性>は発覚するや瞬時に削ぎ落とされて消え失せ千人が千人とも一度に同一性のもとに一元化され統一されることが容易になる。ニーチェが最も嫌悪する全体主義が世界中を覆い尽くす。

 

ニーチェはまた資本主義がもたらしたあらゆるものの質的均質性にも露骨な嫌悪を表明しているが、そのような<均質性>はどんな仕方で可能になるのだろう。マルクスはいう。

 

「貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝(るつぼ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、なおさらである。貨幣では商品のいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.232」国民文庫 一九七二年)

 

第一次世界大戦も第二次世界大戦も、いずれも全体主義的帝国主義戦争が目に見える形で全面化したものだった。ところが他の帝国主義列強とは大きく異なりソ連と大日本帝国は極めてアジア的全体主義の色合いを濃く漂わせていた点で異色に思える。戦前戦後にまたがるソ連のスターリニズムと戦前日本の天皇主義的スターリニズムと、一体どこがどう違うのか、今なおよくわからないところがある。

 

戦後日本でソ連批判の合言葉と化した「反スタ」(反スターリニズム)というスローガン。ところがしかしジジェク流の言い方をすれば「反スタ」を連呼した人々(マス-メディア、すべての政治政党)もまた全体主義的「反スタ」イデオロギーで団結した点でもう一方の「スターリニズム」ではないのかと問うことは十分可能だ。戦後日本のマス-レベルで行われた「反スタ」運動で露呈した稀に見る奇妙さは、日本のほぼ全土が<象徴天皇制の信奉者>であるにもかかわらず、なぜ他国の全体主義なら恥ひとつ知らず堂々と批判できたのかという謎めいた問いとして今なお解決されていない。

 

その種のあからさまな自己欺瞞の罠に陥る危険を困難な方法で避けようとした人々は六十年安保や全共闘運動に参加した。しかしなぜか挫折し、あるいは退敗した。さらに昨今の日本は、大国による全体主義的統制を批判する香港民主化運動を全面的に支持しておきながら、少なくともマス-メディアは全体主義的<象徴天皇制の信奉者>であることをやめようとしない。その自覚がない。もはや天皇制の是非以前、天皇制の是非を論じるにせよ論じないにせよ、それ以前の前提として日本の言論はあまりにもアジア的な<家畜への意志>にまみれ果てているように見える。