怨み、つらみ、憎しみ、怒り、悲しみ、呪い、怨念、呪詛、憤怒、憎悪、失望、絶望
05,5.27
むなしい人生と死ぬことを天秤にかければ50対50でどっちつかず、生きるのもわずらわしいが、死ぬのも苦痛そうだし道義的にごちゃごちゃとうっとうしい。どちらも積極的に選びたいわけじゃないが、第三の選択肢があるじゃなし、どうにもならずただ生きながらえるわが人生かな。といって哲学的絶望感なんて深いものがあるじゃなく、たかが数億円の資産があり道楽気晴らしばかりして生きていられれば80パーセントの虚しさはやりくりつくかと思われる。いやいや働いて生きて、気晴らし道楽の時間と予算を必死で生み出している、今のぎちぎちの生活。家族を愛してるわけじゃなく、自分さえもよりよく愛してるのか分からない。ただ死ぬこともできず、快楽を求めてうろついているだけ。働いていなければ責任もなく無責任にちゃらんぽらんに生きていける。ただ快楽の享受と相手方の責任だけを問うていられる。金が全てとは云わないが金があればある程度の自由と権利が手に入る。資本主義の原則か。持てる者と持たざる者、勝ち組、負け組なんて虚しい分け方、でもある程度持てる者になれば楽なのは確かなこと。勝ち組なんてこと夢見てもありえないこと、せめてそんなことでも空想してあほらしい人生の慰めにするしかない。
06,4,8
なんでこんな虚しいというか、虚しいと何度も思うこと自体があほらしいはずなのに、どうにもこうにもできず、やっぱり虚しさにため息もれる。
スポーツのトレーニングなんてやったって、ただの消費ばかり、一円の銭にもなりゃしない。でも他に何ができる、結局嫌々でも何でも今それしかできないことを怨みつつ、やって行くしかない。でもやったって取り立てて強くなるわけじゃない。自分程度の練習量で自分より強い奴はごちゃまんといるはずだし、だからといってとてもこれ以上練習量増やせる絶対的時間量があるわけじゃない。そして増やしたところでそれが何、ちょっと順位や記録が上がったからと言って、それが何なのさ、表彰されるわけじゃなし、ましてやヒーローになぞ縁はなく、賞金賞品なんて別世界の話、さいならーの、その他大勢の二束三文にすぎない。ドラマでいうなら通行人か死体の役、いやそれ以下で編集カットされて映らない部分に過ぎない。それでも増やすっていうなら、もうそうするには銭をもらえる仕事とやらにおさらばするしかない。いっちもさっちもいかない、ただあくせくと地べたを這いつくばってみっともない生き恥晒し、ゴキブリみたいに生きてくしかない、泥まみれの阿呆な人生かな。
「復讐するは我にあり」まさに自分で自分の人生に復讐するしかない。こんな虚しい人生とやらの重荷を背負わせやがって、てめえ、なめてんじゃねえ、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。もうちょっと甘い汁の吸えるお気楽人生とやらの選択肢はねえのかよ。怨みます人生を、この世を、摂理を。
「釣りバカ日誌」でも見てわざと笑うしかない虚しさよ。♪どさきゃいいのかこの私、夢は夜ひらく♪
なんで生きてくのか、なぜ生まれて来なけりゃいけなかったのか、ついでになんで死ななきゃいけないのか、納得も了承もないが、そうなっちまう、不条理というかそれが摂理というか、ついでにこの世そのものすべてが不条理なんだ、なんでもかんでも不条理、だから不条理に悩んだとて、何も得られぬ、しかし悩まずにはいられぬ、それもまた不条理、不条理が不条理を呼び、さらに訳の分からぬ不条理が上塗り、横塗り、すべり塗り、ついでになんでもかんでも塗りたくり、何から何まで不条理だらけの摂理、そんな中でうろたえつつ生きてのたれ死んでいくのさ、あほくさ、
自分の切ない思いをひたすら押し殺して生きていくしかない。自分を常にだましだましして嫌な思いで、言いたいことも言えず、うろたえて頭を垂れ意気消沈し、それでも我慢して生きていくしかないのか。
人生なんて我慢我慢の我慢だらけのつまらない我慢比べの拷問、牢獄か99%の我慢の嫌な思いと、たった1%の拷問の休み時間があるだけか、ほっとするのはつかの間、また人生という名のリングに突き出され、いやいや格闘技をやらされ続けるのだ、死ぬまで、なんでやねん、誰がそんなこと了承したねん、
恋歌
髪は悠久のカーブを描き とこしなえ 永遠に流れ行く その醸し出す 雰囲気
海の泡から 産まれゆく ヴィーナスが如き 夢の世界の 天使よ 永遠に続くものの真理よ 今この瞬間に 会得する 絶頂の彼岸 永遠は 今この瞬間 ここにあれり
といえり
大型客船をレイプ
太陽まぶしき港 波止場に停泊せし 大型客船 優美なるその姿は 才識兼美
容姿端麗 麗しき マドンナの似姿よ
彼女を 抱きしめ 征服せずにはいられぬ 暴走の野望よ 後ろから羽交い絞めし
「いやよいやよ」と艶かしげに振る腰に 下半身を押し当て 彼女の 処女地に
自らの欲望を突き立てるのだ
ひーひー泣き喚く 大型客船 太陽に見せつけ 嫉妬の焔(ほむら)を
ギンギンに燃え上がらせるのだ 嫉妬に荒れ狂うオセロさながら 目を血走らせ
犯される 大型客船の彼女から 目が離せないのだ
見せつけ よけい燃え上がった 猟奇の欲望 さらに激しく 腰を突きたて 彼女を
いかせちまうのだ 大型船舶の極める絶頂は ど迫力そのもの
嫉妬に狂い 目を血走らせる 太陽に向かって 精液をぶちまけ
彼女の犯された股間を 見せびらかしてやるがよい
太陽が頭を抱える姿の 哀れさは ぞくぞくするほど 気持ちいい
いっそ太陽の野郎の おかまを掘って 犯してやりたいぐらいだ どうせなら
二人並べて うぐいすの谷渡りと 洒落込むのが おつってものさ
太陽は 涙でぐしょぐしょ 絶望と呪いの言葉を 吐き散らし 黒く燃え尽き
没してしまう
優美なる姿の 大型客船は 単なる 性欲処理の セックス奴隷として
飼い殺しにする やりたくなったら 有無を言わさず 後ろから羽交い絞めにしては
やりたい放題 犯し抜き 快楽の限りを むさぼる 飽きたら ポイ
犯されることの 快楽しか 生きがいの なくなった 彼女は 命の限り
すがりつくが 恥辱の限りを与え ぼろ雑巾のように 捨てる そのあとが
ぞくぞくする 絶望のあまり 自殺するのを 舌なめずりし 口の中に
よだれをいっぱい ためながら 眺めるのが 最高 彼女の 哀れな 死に顔は
純情な 官能美に 満ちている いっそその遺体と 一発やるのが 悦楽の境地
死に化粧は 艶かしいエロティシズム ホルマリン漬けにして 保管し
コレクションの ひとつとして 展示する
死してなお 欲望処理の 道具として 取り扱われる運命
おんぼろ沈没船として 海底深くで 朽ち果てて行く 漁礁としての役割を与えられてそのじつ みっともない姿だから わざと人目につかぬ 海の底深く
くさいものにふたをした に過ぎない このまま朽ち果てて 一切合財消滅すればよい
あの豪華な大型客船が こんなにも 惨めな姿で 朽ち果てて行く 変わりよう
ぞくぞくする
なりたい商売、職業、仕事、労働
小説を書かない小説家 文を書かない作家 絵を描かない画家 研究しない学者
スポーツをしないプロスポーツ選手 詩を書かない詩人 歌わない歌手 演奏しない音楽 演奏家 撮影しないカメラマン 芝居に出ない役者 料理を作らないシェフ 働かなくても稼げる商売 働かなくても食える商売 働かなくても左うちわでいられる商売
商売しないのに金だけ貰える仕事 仕事しなくても金と名誉が入る仕事人
無責任に好きなことしてれば金と名誉が入る商売 仕事しない仕事人
働かなくても儲かる仕事 一切責任を負わないのに金と名誉の入る仕事
ただ無責任に人の責任ばかり追及していれば儲かる商売
ただ自分の権利ばかり主張し他人の義務を要求すればよい仕事
いやなことは全くしないで全て他人任せ世間任せでよいお気楽ご気楽ちゃらんぽらんで金と名誉はざっくざっく儲かる商売
なまけていればただ金と名誉が手に入るお気楽商売 好き勝手放題したい放題やりたい放題怠けたい放題無責任放題金と名誉が有り余り放題の仕事 何もしないのに金と名誉が有り余るほど儲かる仕事 暇が有り余る儲かる商売
そんな仕事ないかなあ そんな仕事に就きたいなあ
ヒモに成りたいなあ、でもヒモは大変だとのこと、よっぽど女にまめでなきゃなれない、そりゃ無理だ、やっぱりヒモにもなれない さもしい人生
別に労働もせずお気楽ご気楽に生きられたらいいのに、なんでなの、うらみます。逆恨みするしかない、ままならぬ、くそ人生、わびしさ。
何でこうなるの
何がどうでもいいのだろうが、こんなふうにしか身を処していけない。ほんとは嫌だけど、嫌とも言えず、苦笑いと、「まっ、しょうがないか」で、結局いってしまう自分がいる。そして一人のときもんもんと人を怨み ののしり、悶絶する卑小な自分がいる。悔しさいっぱいで歯噛みしていたはずなのに、また世間に出ると、愛想笑いで世間を取り繕い、言いたいことも言えず、悶々としている情けない自分がいる。ほんとは世間嫌い、人間嫌いだ。嫌だ、嫌だ、こんな世間から離れたい。たまには一人で山の中に入って、バランスを取り戻したい。うんざりする。
自分をだましていくしかない 06.8.16
よく テレビドラマなどでは 「自分をだましはいけない 自分に正直に生きるべきだ」などと 言っている でもね 自分に正直になんていかない 自分をだまし続けて生きているのがおちさ だいたい 僕が 自分に正直に 自分をだまさずに あるいは 死ぬ気でやるつもりなら かみさんに離婚届けにはんこついたものを出し 家を出る 勤め先にも 一身上の都合とやらの書面を出して 今日限りでやめますって言うしかないのだ 僕は自分で自分をごまかして 社会生活を営んでいるのだ 僕は嫌々 社会や家族とつながっていくしかないのだ 僕は僕をもてあます 僕はきっと死ぬまで自分をだまし 世間もだまし くたばっていくしかないのだろう
なぜなの
なぜ走るの? じつは何が答えか分からない でも自分にとってうそではないらしい答えとなるといくつかある 自分の人生 自分の生活が嫌でたまらない うさんくさくて いやみばかり どうせ人生も生活も嫌なことばっかりするしかない こんな人生も生活も 憎悪してやる 嫌悪してやる 復讐してやる 結局 走って 泳いで 漕いで 本を書いて とするしかない どん詰まり
嫌になると ふと 山に登りたくなる こうすることでしか 自分の所在無さを たたきつけられない 06.9.5
教育なんて
その昔 アフリカ大陸にキリスト教の伝道のため 入植していった宣教師達がいる 彼等はキリスト教の宣教のため アフリカの人々に 教育を施していった 敬虔なクリスチャンになることを期待して 教育を施された者達は どうなったか 彼等は 共産主義ゲリラになっていった 期待される人間像なんて 押し付けられて 教育されても 結局は 期待されない人間像にこそ なることが 教育の一面の真実 百人教育して 百人が百人とも 期待される人間像になりました なんてなったら うえー 気持ち悪い うそだ いんちきだ 何かある 教育は期待されない人間像、悪い人間になること、悪知恵を働かせることを知らしめることなのかも 人間存在の矛盾と認識のあいまいさを知らせてしまうこと
キリン
キリンをかっさばいて食べるという詩に触発されて一詩ものにせん
日本平動物園にキリンがいる キリンの園舎前から見ると キリンの全体像の遠景
それはイラストのように可愛い長首に黄色とぶち模様のぬいぐるみ
キリン園舎の裏手に上る坂を上がっていくと 坂道に生える樹木の葉を
一心に食べるキリン ちょうど目線の高さに どでかい頭 不気味な蛇みたいな 灰色の長い舌で 枝をべろべろなめまわして 葉を次々 食べていく
死体みたいに無表情そうな 目をして こっちには 無関心そう キリンにしてみれば 無表情ではないのだろうがついそんな風に見えてしまう ついでに 生臭い生物の臭いをプンプン 撒き散らしながら これが 生物が 生きてるって ことだと 無言で
主張するかのように
恨んでやる何もかも
何をどうすりゃいいってのか 何が何やら さっぱりピーマン で 今できることといったら 恨んでやる 怨んでやる ひたすらうらんでやる こんな人生 こんな現実
こんな社会 何もかも恨んでやる 恨むことぐらいでしか自分の思いがあらわせない
ああ どうにも なりゃしない
なにをどうすりゃいいってんだか やたらなんでも どうでもいいや 恨んでやる なにもかも 存在も認識も 絶対も相対も 無限も有限も 条理も不条理も 神も仏も
人生も死も 快楽も苦痛も どうでもなりやがれ
ただセックスのためだけ
ただセックスしたいだけのために かみさんと結婚した ただ性欲のため その性欲が満たされなきゃ 何のための人生か 何も愛してなんかいない ただやりたいだけ 自ら不幸を作り出し 好きでもない女と寝ても面白くもない のは 当たり前 よけい 不満が 募るだけ 不幸の上塗り 女はただ性欲のおもちゃ ひたすら やりたいのに 満たされない
身も心も 満たされ マダム・チャタレイの優しい性欲に 満たされてみたい
女に愛されたい 二人で めくるめく 愛欲に おぼれ 達したい いきまくりたい 女と愛し合いたい 身も心も 忘我となるまで
かみさんを 愛していない 嫌い
セックスしたいのは肉欲のせいでもあるが、飲む、打つをしない私にとって、唯一の自己解放であり、淋しさへの反動、愛情渇望なのだろう。肉を重ねることで心の開放、愛情確認をしたいのだ。ミスターグッドバーを探しているのだ。身も心も満たされたい。満たし合いたいのだ。
ただ女は性欲の対象か 性欲と一方的愛情渇望の産物 肉欲の奴隷
「性的人間」ばかりじゃないだろうけど 私にとって 「性的人間」は大問題 性欲に憤懣やるかたなし状態 満たされない これが満たされないといらいらしっぱなし しかも愛情も満たされない
みっともない
父や祖母は、飲食店での宴会後、残り物を折に入れてもらい持ち帰ることを嫌った。「持ち帰るなんて、おこんじき(乞食)のまねはみっともない。」といって怒りだすのだ。店の人も宴会の参列者も困惑してしまうのだ。その様子を見ているともっとみっともなく、貧乏人が虚勢を張っているようにしか見えないのだ。
大藪春彦の小説の中に、高級スーツを仕立てに行く主人公が、仕立て屋に対し、「金なら持っている、人を見くびるな。」式のせりふがあるが、これなんかも現実にあるとみっともない。いかにも貧乏人がたまに金が入って下卑た成金趣味で横柄にしているみたいに思える。
とあるリゾートパーク遊園地で、年配の落ち着いた女性から園地内の道を尋ねられた。すかさず後ろにいた着飾った若い女が「お母さん、みっともないこんなところで人に道を尋ねないでよ。田舎者みたいじゃない。」と怒りだした。母親は娘に「まあ道ぐらい尋ねたっていいじゃない。」と上品に答えていた。娘の剣幕がひどくて、尋ねられたこちらも退散した。母親は上品そうで聡明でよいが、この着飾った娘、いかにも田舎者まるだしで、スマートじゃない。たかが遊園地で道ぐらい尋ねたっていいじゃないの、尋ねられずうろうろしている方がよっぽど間抜けに見えるのに。
生きていたくない願望
別にどうってことないが、車が近づいてくると、ふーと引き込まれていけば人生ともおさらばだ やれやれという 気持ちがふあーとわいてくる 何の気なしに 何気ないときに ふとこれで嫌な人生ともおさらばできるのにと思うことがある がまんばかりの人生に嫌気がさす
職員室にて
夏から秋にかけて勤務時間終了になると残業を後回しにしてプールへ、経済性利便性時間節約体力増強練習時間短縮確保公共プールへの移動時間節約等いろいろ合理的意味はあるが、精神的意味、人間疎外と搾取からの開放、感情の再生、リラックスもある。今はバランスボールに象徴している。腰痛予防、身体バランス感覚向上以外にも分かる人は分かるだろう。この精神のSOSが。少しは周囲の潤滑油、安堵感になれば。
縫い物
穴のあいた靴下やパンツを縫い直してわざと着用する あるいは穴が開いたままのシャツを着用する これが日本へのレジスタンス 合理的経済的にも確かに金がないからだし、
もったいないからだけど いつから日本人はそんなに金持ちになったんでしょうか 下卑た成金趣味みたいに 貧乏くさいこと もったいないことを あえてばかにするようになったのは 以前未使用のタイ米を捨てたり その他あれやこれや アジアをこばかにしたみたいな その態度 ブランド物に追いすがり それを持つことで 自分の価値も上がると幻想を抱く んなあほくさ 金さえ出せば 誰だって 持てるがな それを見せびらかす さもしい根性 それを毛嫌いするという自分も同じ穴のむじなのさもしい根性者同士
同類相憐れみつつ反発するそのねじくれた根性やいかに 単純なようで複雑 複雑なようで単純 馬鹿は死ななきゃ直らない されど死ぬわけにいかず 立ち尽くすわけにいかず ただえへらえへらにやにやと こたえていないみたいな表情で本音を言わず ひょうひょうと生き延びていくしかないこのやーな人生 うざったい
ギルバート・オサリバン「クレア」が頭の中で響く この歌 可愛いはずの歌だけど
どっか黄泉の国の歌みたい ショパン「幻想即興曲」は暗い情熱の爆発だけど どっかで同じように死の国の香りがする 寒い凍える あとチューリップ「約束」が似てるかな
マスクを洗ってはまた使うせこい生活や
恥
本人は自分が偉いつもりでいるけど、周囲からは疎まれ無用の長物と化しているにもかかわらず、本人はどこ吹く風といった態度なのだ。
時代は変わった
その昔、商品の欠陥でメーカーが責任を取るなんてありえなかったということを、みんな思い出せるかな。今になって、パロマのガス器具やシュレッダーでの事故が、かなり昔からあったのにという、ニュースの口調は、そこんところまったく忘れてる。10年も前なら警察も行政もまったく被害者の要求に応えなかったろうし、メーカーもまったく無視で終わったろう。だから今、メーカーは商品の安全責任を問われて、後手後手に回る対策しか取れないのだ。だってもともとメーカーの安全責任なんて日本には存在しなかったのだから。警察や行政だって昔そんな苦情を聞いたことはあっても取り合ってこなかったから、メーカーに安全対策を促したなんてことはありえず、苦情は門前払いで、民事訴訟は被害者やその遺族が個人的に民事訴訟を起こすしかなく、警察も行政も民事にはまったく不介入なのだ。一素人の消費者がメーカーを相手取って商品の専門知識が必要な欠陥の証明なんて不可能で、裁判に持ち込むこと自体ありえないのだ。そしてマスコミもこの件に関してはまったく無視して取り上げてこなかったのだ。しかし日本も遅ればせながら製造物安全法(PL法)を制定した効果がやっと出てきたということか。しかも行政や警察も指導力を発揮するし、マスコミまでメーカーをたたくのだ。昔なら考えられない。その昔、ライオン油脂のママレモンを誤って飲み死者が出たとき、それを取り上げたのは赤旗と、多分ゆすりのねたにしたいいかがわしい総会屋などの、経済冊子ぐらいのものだったのだろう。自動車から発火し死んだ。テレビから発火し人が死んだ。等々商品の欠陥による被害は、噂や左翼系マスコミしか伝えてこなかった。そう考えると、今になってメーカー責任を声高に叫ぶマスコミって何。あんたら虫が良すぎやしない。
そういえば、テレビや新聞で同和問題という字が出た。といってそれが本題ではなく、奈良市の清掃局で長期欠席しているにもかかわらず、ほぼ満額給料をもらっていることが問題になり、表面化した。それが同和問題と絡んでいたので、積極的指導もなく放置されてきたということのようだ。同和が絡むと行政は手が出しにくい。そして今までなら大手マスコミは決して「同和」という文字すら使いたがらなかった。やっとニュースも変わってきたようだ。マスコミは行政をたたくが、それならやっぱり触れてこなかったあんたらマスコミは何様なの。これも触れてきたのは赤旗といかがわしい極右翼や極左翼ぐらいのものかいな。
猫は家に居つく
私はネコ型かな。というのは、人に居つくというか人に忠実な犬型と、家に居つくネコ型がある。猫は引っ越すと住人は一緒でも借りてきた猫状態になるが、家が一緒で住人が変わっても落ち着いたままでいる。これって住人は誰でもよくて、家というテリトリーが同一なら心理的に安定しているのだ。家の住人というのは猫にとって便利な同居者に過ぎない。私も家族は便利な同居者に過ぎない。愛してなんていない。私が家に帰ってくるのは、最低限落ち着けるコストの掛からないねぐらがここだということに過ぎない。猫と一緒、人に対しては忠実心というものがない。
キス
もう20年以上もキスしたことがない。愛のない証拠だけど、あっちはタバコ吸うし、酒飲むし、嗜好品好きだし、口腔が弱そうだしで、結局口臭がひどいのだ。もう近づきたくもないのだ。くさい。自分だってくさいのだろうが、タバコ吸わないし、めちゃ嗜好品とらないし、もう少しましだろう。聞いた話だと、タバコとコーヒーが好きだと、うんこくさくなるそうな。
人生目標なし
中里介山『大菩薩峠』の机龍之介のような異色のヒーローは日本独自の庶民感情から生まれたヒーロー像だとの批評がある。日本の庶民は遠大なビジョンなどもたず、その日暮らし、今目の前にある物事をひとつずつ取り組んで生活し、気が付くとずいぶん進んだことに気付き、手近な目標を変更していくのだ。自分には将来構想がないことに後ろめたさがあったが、なんだ、そういう人生の送り方している庶民が多いことを知った。私にも漠然とした楽したい、経済的余裕がほしい、いい女がほしいという目標にもならぬ願望はあるが、さりとて前へ進まず、ただその日暮らし、でも経済的名誉的願望があるから、こんな雑文を書いているのだが、こんなもの書いて出版しようとすれば、なけなしの自己資金をふんだくられ、ますます苦境になるだけなのだ。資本主義社会において持たざる庶民はあがけばあがくほど、あり地獄に落ち込むばかりなのだ。
傷つく
傷ついてトラウマになっているのに、傷ついてない振りする人、せめて平気な振りを周囲に示して倒れそうな自分を保つのだ。一種の虚勢だ。傷ついた自分をさらけ出してしまえば、社会から葬り去られる、自分が再起不能になるという不安感があるのだ。
せこい
マスクを洗って使うなんてせこい性格。
リモコンの発明家
リモコンの発明家のアメリカ人がつい先日亡くなったそうだ。この人便利なものを作ったはずなのに、生前、人類を怠け者にするの、不健康にするのと言われたそうだ。まあテレビやビデオデッキには必ずリモコンが付いているから随分儲けて富豪になったのだろうから、そのぐらいの不評はいいかと思うが、リモコンでごちゃごちゃ言われるぐらいなら、原爆やミサイルを発明したらもっと言われていいはずだ。車だって発明されてから、いったいどれだけの人が交通事故で死んだのやら。電車だって飛行機だってそうだ。ちなみに原爆を発明したとき、「これで人類はおしまいだ。」と感じた科学者がいるように、この人も便利なものをやっと発明できたと思った反面、虚しさも感じたかも。文明の進歩は人類の怠惰と滅亡に近づくのはやむをえないのかも。
ポルノ画像
男は写真集やビデオのポルノグラフィを見ながら一発やる。女はいやいや義理でつきあう。まさに義理マン、女は事が済めば、いやそうに舌打ちしてさっさっと服を着て家事へ、男は後朝の別れどころか、終わったあとの満足感を打ち砕かれ、不機嫌になる。男は女のことを愛してなんかいない。男の願望は、一度でいいから愛する女と思いっきり一発やりたい、いや阿部定と吉のようにとことん性愛にまみれたいのだが、かなえられることなく人生が摩滅していくだろうことは感じている。あーあくそったれ人生。
偏食とわがまま
個人的な推察だが、どうも偏食のひどい人と、わがままで頑固な性格の人には相関関係があるような気がする。会社の人事部の人は人事考査のときに、当該者の偏食具合を参考資料にするとよいのかなと思う。偏食の人は柔軟性が乏しくわがまま、頑固な面が目立つかもしれない。
家電販売店にて
家電販売店にて、店員に値切り交渉を持ちかけたら、ぷいと横を向いて二度と相手をしてくれなくなった。さびしいね。切り返してきてほしいのにね。
たとえばこんな風にね。「お客さん、さすがお目が高いね。この製品に目を付けて、価格を聞いてくるなんてたいしたもんだね。こちらとしてもこの製品ぜひ勉強させていただきたいのですが、今売れ筋で、しかも内容が濃い品物でメーカーでも値引きさせないんですよ、こちらとしてはなんとかしたいんだけど、この価格が限度なんですよ、お客さん勘弁してくださいよ。それにしてもこの価格でこの内容は、この値段で十分安過ぎるぐらいなもんですよ。内容はばっちり、最高じゃないですか、ですからお客さんもお目を付けたんですよね、間違いなくいい製品ですよ。この内容でこの価格は他にないですよ。絶対お買い得間違いなしです。今ならこういうサービスをお付けしときましょうかね。またこの製品の内容のいいところは一つ目には○○○ですし、二つ目には△△△で、三つ目には□□□ですから、また………という点もあり、素晴らしい製品なんですよ。ですからこのお値段になっちゃうんですよね。」という具合にだ。客を持ち上げながら、値切り交渉をやんわりとかわすなり、引き受けるなりして、製品PRをしっかり行い、客の買いたいという気持ちを高めていくのだ。こうしてほしいのに、家電量販店や静岡の電気店では、値切り交渉は絶対嫌悪らしい。風情がないね。だめだこりゃ。
人類滅亡
人類なんて滅亡しちゃえばいいんだ。どうせいたっていなくたって、人類にしてみれば一大事でも、宇宙全体から見ればどうでもいいことじゃない。恐竜だって滅亡して迷惑だろうか、恐竜が滅亡したことで哺乳類が、人類が栄えたのだから、恐竜が滅亡して人類にとっては万々歳じゃないですか。えいどうせなら人類なんて皆殺し、絶滅しろ。そうすりゃ、自殺がいいやら悪いやら、他殺がいいやら悪いやら、暴力がいいやら悪いやら、犯罪がいいやら悪いやら、存在も認識も、そんなこと全てどうでもよくなるというか、全てなくなっちまうのさ。ざまあみろ。
世の中どうしてこうも腹立たしいことが多いのか、あっちもこっちも憤懣やるかたない、いらいら、うざったい、こんちくしょう、
収集
変な物をコレクションしている、それは爪と耳垢、どのくらい経つとどの程度たまるのか楽しみ、アナログ写真フィルムの空ケースにためている。爪は5~6年かかってケースの半分に満たない。これを満タンにしたら水酸化ナトリウムを入れてカルシュウムとしてどのくらい溶けるか見てみたい。耳垢はどのくらいの期間でどの程度たまるのやら、私のような耳穴がだれる遺伝体質の人の量を概算してみたい。ふふん、所詮こんなことでも楽しみのひとつにでもしなけりゃ、人生への不平不満をやわらげられない。
ストレス解消
あー好き勝手なことをしているはずなのに、どうしてもいらいらがつのる。いやでいやでたまらない。どうしても心落ち着く平安が得られぬ。それは人生そのものに不満たらたらなので、人生の小手先をごまかしても納得できないのは、分かっているが、だからといって、どさきゃいいのか、離婚して、仕事もやめて、じゃどうするんだ、結局死ぬより他ない、くそばか人生。どこまでいってもくそばか。
愛国心
このところ学校教育では「愛国心」とやらの論議がかまびすしい、というより政治面からごちゃごちゃ言われとるというべきか。教育側から客観的広い視野での論議は低調そうで、教育というより政治からの圧力でそうなっただけのことか。
まあそのことは置いといて、愛国心といきなり言われても何のことやら、この字のイメージからはカーキ色の装甲車みたいな街宣車で日の丸や菊の紋章のデザインの車体で、演歌がんがんかけて、頭ぶっとびそうな大音量で通り過ぎてくのを浮かばせる。つまりこの字のイメージははなはだもって迷惑千万な極右翼が浮かぶに過ぎない。愛国心ではいかつく固いイメージなので、地域のイメージ、まあ愛郷心というか、ふるさと思いというか、そんなんイメージすると、いつも道路をきれいにしてるおばちゃん、ごみ拾いしてる爺さん、あるいは郷土研究好きなおじさん、そういった地域の何でもないおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが浮かぶんや。
また02年日韓ワールド・カップ・サッカーのとき、旧中津江村に合宿したカメルーンを応援したおばちゃんたちが浮かぶ。当方、清水ではロシアが合宿し、日本とも対戦したが、合宿先の清水ナショナル・トレーニング・センター関係者はロシアを応援したのだ。中津江も清水トレセンも本当は日本を応援したいけど、日本に来た彼らの心細さを思いやったり、彼らへのおもてなし意識、彼らの人がらへの共感などで、彼らに真心込めて応援したのだ。一種の「義を見てせざるは勇なきなり。」だ。こういった人たちの思いが愛国心じゃなかろうか。変てこな矛盾した話ではあるが、人を思う心あってこその愛国心、そしてその愛国心は状況によって他国を応援することもありうる。グローバルなものなのだろう。あの街宣車、サッカーのフーリガンなどは、少なくとも愛国心とは違うものだろう。
それにしても右翼の街宣車に愛国心なんてないのだろう。あんな大音響で一般市民を威圧、迷惑を掛け、自分たちが裏の社会の圧力者であることを表社会に知らしめるための恣意行動、街宣車の名の通り宣伝道具で商売上の営業活動の一環なのだろう。だからあえて迷惑を掛けるのだろう。「愛国心」を説く前に、全国の街宣車から愛国を消した方がよい。ついでにあの菊の紋章や「皇」の字も皇族のマイナス・イメージだと思うから、宮内庁が民事訴訟を起こして全国中の右翼に菊の紋章と「皇」の字の使用差し止めを請求したらいいとちゃう。
人生どんづまり
落選した。別に自信があったわけじゃないけど、数十点もが入賞や佳作になるなら、一番下の賞ぐらいにはなるかな、なんて思っていたら、単なる落選、数十点もの中に入らなかった。どうってことないわけね。
ついでに出版元の「新風社」が民事訴訟で訴えられた。全国の書店に並べるといわれたが、実際は十数店舗だったからなそうな。私の見積もりのときは、全国直営の十数店舗に並ぶとのことで、共同出版で私の負担額は百二十七万でどうかなとのことだった。その額からいって、全額自己負担の完全自費出版と変わらないというか、共同出版というのが単なる建前だろうと判断した。
体の硬さと心の柔軟性
以前「偏食とわがまま」の相関性について書いたが、今回気になるのは、体の硬さと精神的柔軟性である。ある自力整体の活動家から、そのようなことを言われ、自分なりに自分の知っている狭い世間を観察するに、どうもこれも相関性があるような気がする。体の硬い人は心も硬いことが多いようだ。柔軟性をもつにはまず股関節を柔らかくするに限る。例えば座禅は股関節をやわらげ脳波の中のα波だかβ波だかを出し、気持ちをリラックスさせるのだそうだ。体が硬いと心もカチカチに固まり気持ちが楽に広がらないようだ。
どさきゃいいのさ この私
爆走してくる車の前に身を投げれば、そのときは痛くても、あとは楽になれる、そんな気がする。あー、ここから飛び降りれば、あの上の物が落下してくれば、といった具合に、人生とおさらばすれば楽になれる、そう思える。何でこういやいや生きなきゃならないのか、しんどいね。人生に満足できず、不平不満ばかり。無責任にのう天気にやりたいことだけやって生きていけたらいいのに。
愛のない男
愛のない男は 愛していない家族のもとに帰るが 別にどうってことはない ただタダで泊まれるから帰っていくだけで 別の愛する女ができたら そっちへ行きたいが 金はなく 度胸もなく ということは女なんて 逆立ちしたって 清水の舞台から飛び降りたって できるあてもない たんなる幻想 淡い夢 おじさんにもなってこんな調子じゃ 浮気ひとつもできない でくのぼう ただうつうつと日常を やり過ごす彼には 何も変えられない そして愛していない家族には 問題だらけ うつ病 強迫神経症 引きこもり 家庭内暴力 愛のなさが 片っ端から 問題を吹き上げさせるのか 無責任な彼としては 辛気臭くなるばかりなので なるべく家庭から離れたい 目をそむけたい 愛していない他人のような家庭に口を挟む気にはなれない 自分の所在無さ 家族観の無さの所在無さ 別に生まれてきたかったわけじゃない などと言い訳したって 責任逃れはできないだろうに 家族の問題は なぜこうも 重苦しく 逃れたくなるのか むなしくなるのか 義務感ばかりで あーどこかに 愛の巣ってのがあって そこに帰れるという まぼろしにすがりたい 彼の心情(真情)は 無責任に ノーてんきに お気楽 極楽 にこにこと ただ愉快に その場しのぎに 生きて 人生の問題何もかもすべて 先延ばしに ひたすら先の先の先延ばしにして 死んでしまえば あとは野となれ山となれ 被告人不在につき 打ち切りにあいなることが一縷の望み どうぞご勝手に 彼の遺体にでも つばを吐きかけようが蹴飛ばそうが生ごみとして捨てようが けっこう毛だらけ 猫灰だらけ けつの周りは くそだらけ 粋な姉ちゃん 立ちしょんべん 人生なんてくそくらえ
家に居つく猫みたいな男
別に家にいる女が好きなわけじゃない。ただ飯を炊いてくれる飯炊き女という便利な同居人に過ぎない。猫にとって家人が単なる便利な同居人に過ぎないのと一緒。猫同様、家族が一切別人になったとて、何も困らない。家がそのままなら、それで安定しているのだ。
すてごま
どうせ自分はすてごま、使われるだけ消耗され、利用価値がなくなれば、ポイ。いいときだけ持ち上げられ、都合が悪くなれば切り捨てられるだけ、だからご用心遊ばせ。あんたの希望なんてどうでもいいのさ。利用できるときだけ聞く振りして、あとは一切合財お任せコース。だめになったらあんたのスペアに代えるだけ。
格差社会のテロ
日本は1970年代から90年代初めまで9割中流社会といわれた。そんなのうそでたらめだと思った。それで正しかったのだろうが、今90年代末から00年代は、もっとひどい。格差社会といわれ、一部の裕福層と生活保護世帯並みの収入層がどんどん増えている。社会はさらに不安定化するだろう。社会の富の再分配が何かおかしくなっている。富をすべて公平にしろというのではない。ある程度の格差はやむをえない。富をすべて公平にしようとして一部の権力者が甘い汁を吸っただけで、大多数は意欲喪失と不便を強いられた共産主義の失敗がある。でも人がまじめに働いて得た収入が生活保護を下回る、家族を養っていけないではあまりにも間違っている。持つ者はさらに肥え太り、持たざる者は生き血まで搾り取られ消耗される世の中だ。
そんな世の中でふと不安になるのが、アルカイダ等の中東イスラム教テロ組織だ。今彼らはがちがちのイスラム原理主義で、アメリカを白人社会を工業先進国を、その文化を敵としている。アメリカ、西ヨーロッパ、日本等はイデオロギーの敵なのだが、これらの国々は移民問題、失業問題、格差社会問題を多かれ少なかれ持っていて、そこが国内のアキレス腱だ。イスラムテロにしてみれば格好の攻撃材料で、国内の最下層にしてみればテロは一発逆転のための頼もしい味方である。今は問題が別でクロスしないが、さらに問題が深刻化すると最下層とイスラムテロが結託しかねない。
確かに格差社会を努力したから報われる、報われないのは、すべて自業自得のごとき主張し格差社会の是認をする経済人たちは、いっそテロの餌食になってもらうのもやむおえなしと思えることがある。日本に革命はなかったが、戦国、江戸期に「百姓土一揆」があり、大正期には「米騒動」があり金持ちや権力者が狙われ血祭りにあげられたのだ。日本人もかようにただ自業自得で我慢しないのだ。
・欲求不満
ボクはきっと死ぬまで欲求不満だろう ブスブスいぶったモヤモヤイライラを ただ抱え込んで くたばっていくのだろう どないもこないもありゃしない ただ悶々と ジリジリと その日その日を 気を摩滅させながら解消し得ない いらだちを さらに抱え込んで 人生は重き荷を背負うて歩むが如しである このくそったれ
・不幸の連鎖
児童虐待など家族、親子で連鎖していきやすい。絶対的に連鎖するわけではないが、そうなりやすいというのが、関係者の感想だろう。アルコール依存症の親を持つ子が、結局またあれほど嫌がった依存症の伴侶や家族を持ってしまうのだ。同じど壷にはまっていくのだ。自己満足度が低い同士、類は友を呼ぶ如くくっついちゃうんだ。病人持ちの家族が、また同じような病人持ちの家族とくっついちゃうんだ。どこまでも暗い者同士互いの傷をなめ合うためくっついて、さらなる不幸の種を撒き散らすのだ。不幸はどこまでもころがる雪だるまのように肥え太り、家族皆を蝕んでいくのだ。浜の真砂は尽きるとも、この世の不幸の種は尽きまじ、である。どこまでも呪われたらええねん。すべて食いつぶすまでやったらええねん。でも一部をうまく生き残らせ、見えぬアメーバのように陰からこっそり触手を伸ばし気付かぬうちに獲物を侵していくのだ。まるで癌のように。未来永劫少しずつ生き血を吸われていくのだ。神は人類を呪うために生み出したのか。神は悪魔なのか。
精液
人生は精液を出すためにあるのか 欲望の処理でヒーコラヒーコラ 心から愛情から肉欲を満たされ安堵してみたい 愛情なく 肉欲は満たされず イヤイヤお付き合いの 義理マン 何とか終われば それでよしとするしかない 他に愛情と肉欲を満たすものを探すしかない
人生の目的
そうさ人生は精液を出すためにあると割り切ってしまえば早い 女におぼれる快感
肉欲の悦楽
人間の生きる意味
幼児が一心不乱に泥団子を作ることに夢中になる。大人がきれいにうまく作った泥団子を与えても、すぐそれには興味を失ってしまう。自分で試行錯誤して作らねば納得しない。またある幼児は、高い遊具に上りたがる。泣いても躊躇しても、いつかは上ろうと意欲を見せる。何度も何度も試行錯誤し少しずつよじ登っていく。そして上りきったときなんとも満足した笑顔を見せる。
これこそ人間の生きる意味。人間の存在証明。人間の感動。
でもそうは思うけど、それだけじゃ、生きていきづらい。どさきゃいいのか、この私、夢は夜開くのか、開けるもんなら開いてみろ、
どこぞの誰かが言っていた お前を守るためとか これからお前たちを守ることが人生の目的だとか 自分にはそんなものない いや家族はあるが 守る気にならないというべきか ただ欲望のはけ口がほしかっただけ *マルキ・ド・サドにとって他人は欲望の対象に過ぎない 深沢七郎「別に生まれたくて生まれたわけじゃなし、人生なんてひまつぶしさ」 その欲望さえ果たせず いつも……
・なんで生きるのか
性欲と愛情を満たしたいが、それはまったくかなわず、ちびちびあれやこれやで性欲を処理する処世術、しかもこれには貧しい私にとって多額の金がかかる。しかも愛情なんてないから満足するはずもなく、かといって義理マンでは失望するばかり。小人閑居して悪事をなすの例えどうり、何事もなせぬでくのぼうは、やることなすことみな悪事となりて、生きれば生きるほど、もがけばもがくほど、けがれるばかり、不満を募らせはけ口を求め、求めたはずのはけ口でさらなる不満を募らせ、ただひたすらド壷にはまってシャンシャンシャンである。どうせ墓穴掘ってくたばってきゃいいんだ。
このところトレーニングを強化すると途端に体が故障する、もうちょっと強化したくても、体が老化していく、記録は地滑りのように雪崩落ち、とどまることがない、それでもやっていることで、この程度の落ち込みで済んでいると思うしかない、しかも落ちた体力で無理するとさらなる怪我を背負い込む。泣きっ面に蜂というやつだ。やればやるほど、もがけばもがくほど、ド壷にはまるばかり、一向に日差しは見えない、いっそやめろということか、でもやめたとてなんになるというのか、生きる迷宮に閉じ込められ出口なく右往左往させられる、まことに善き日である、とほほ、なんでまたこんな糞みたいな人生歩むのか。
・人生の目標
人生の目的は何? 精液を出すこと、
モットーは? いかに無責任に のう天気に いい加減に テキトーに 享楽的に その場しのぎに 生きればよい クレージーキャッツ植木等の「日本一の無責任男」こそ理想 本当の彼は 真面目な男で 随分この役に悩んだようだが 私には理想 自堕落に どうでもよく ラクすることばかり 考えて あがいてあがいて 地べた這いずり回って くたばっていくのさ ちょうど虫けらが 歩く人の足元に出てきて アッと思うまもなく
一瞬で踏み潰され 地面のシミとなり 何の思い入れも ストップモーションもなく 西部戦線異状なしより あっさり場面転換 歩き過ぎる人 何事もない 場面の連鎖 画面に足元なんて 映ってなくて 虫がいたことも踏まれたことも 誰も彼も、歩く当人も分かってない 死なんて地面のシミよりアパシーだ
・今年の目標
「飯炊き女 死ね!」と1日百回は言ってやる なにかにつけてアラ探しては叱責してやる つねにサディズムを
・人生後悔
後悔ばかりが人生さ、そんな声は聞こえないけれど、私の中ではこだまする、あれやこれやで、後悔ばかり、蒸れたちんちんの周りがかゆくてぽりぽり、なせばなるなさねばならぬなにごとも、そんならこといわれてもどさきゃいいのさこのわたし、ゆめはよるしぼみ、せいえきのはてにゆめはちる、サイナラーとアニメのふざけたやつがハンカチふって、はなみずたらしてどっかいっちまいやがる、酔いたくても酒を飲む気にならず、精液を出そうとしてもあそこはしぼみ、「死ね」と部屋でわめいても聞く者なく、打ち込んだ文書はファイルアクセス権エラーで消滅、ふざけんじゃねえと、机をたたきパソコンに向かって喧嘩売ってなんになる、どうせこんなのが人生さ、後悔ばっかり、やり直せるものならやり直したい、愛する人と結ばれたい、あんなくそばばあはもうけっこう毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりはクソだらけ、こうもこう後悔ばっかりでこうかいこうかい改悛俊会邂逅後悔で航海にはならない、こうかいそうかいああかい、木魚たたいて何無妙法蓮華経ぽくぽく、体の周りを爪でかいてこうかいこうかい、精液を出すところをミスって、人生こんな始末、他にもあれやこれやの不始末の数々、取り返しのつかないことばかり、自分の人生自分でつぶしてきたともいえるこのあほらしさ、精液はどこへ飛ぶ飛ぶたれ落ちる、あせるこたあないって、そのうちおむかえがやってきていやでもなんでもこの世とオサラバさせてくれるってさ、一度生まれてきた以上いつかは必ず死ぬんだから、どんなくだらない人生にも強制終了させてくれるんだ、あせることなくおむかえはくる、ああせめて可愛いあのこの中に精液出して、身も心も優しい性欲に満ち足りたい、はかない夢か、居眠りよだれ、
・理想の父親像
娘のところにひねこびたうすら寒い姿で現れ、「悪いなあ、今度だけでいいから、ちーっと小遣いくれないかなあ。」と卑しい顔して、物乞いする。「いったい何度せびれに来れば気が済むというの、今度こそこれでおしまいにして、あんたなんか家族を捨てて好き放題勝手放題な生きかたしといて、何で今さら金だけを欲しがるって言うの、あんたなんか父親じゃない、もうとっくに赤に他人よ!」と言われ、「すまねえなあ、今度だけだよ、今度こそこれでおしまいにするから。」と答え、「いつもそうじゃない。その無責任さ、口先だけの言葉ばかり、何一つ本当のことなんてありゃしない。あるのは卑しい根性だけ、あんたなんか死んでしまえばいい。」とさんざんののしられ、それでもうつむいてうすらばかな表情して、金をくれるのをぼんやり待つ。娘は結局、金を渡し、すぐに背を向け泣きじゃくりながら行ってしまう。父親もそそくさとその場を去る。おー、これこそ理想の父親像、ダンテもソクラテスもヒポクラテスもアルキメデスもミルトンも凌駕しない最低最悪極悪非道外道なる理想の父親像。人類なんてくたばっちまえ。
・とある国のとある法令
不景気で働き口はなく、その国は国民全体をとても養っていけないことが分かった。このままでは国は転覆だ。そこでその国はどうしたっかって、法令を作ったのさ。
その名も「自殺奨励法」「殺人奨励法」。自殺したらばあとの葬式費用出します。人を殺したら賞金上げます。ついでに3食昼寝つきの快適な刑務所暮らしがあなたを待っている。殺されても香典たくさんあげます。葬式費用肩代わりします。さああなたも一刻も早く天国へ夢のパラダイスへ、憧れの地、愛と勇気と正義と平和のすてきなすてきな極楽浄土へ、あなたのおこしを首を長―くして、お待ち申しあげております。さあさいらっしゃい。覗き放題見たい放題今ならジャンジャン特出し丸見え、鼻血ドバッーの出血大サービス、本番中出し3連発、あなたを極楽に連れてっちゃう。いくいくアヘアヘ、もっと突いてー。
その結果、養えない余り物の国民はいなくなったが、エリートもいらなくなった、派遣もパートもいないが、正社員もいらなくなり、会社も無用の長物、エリート自ら動かなきゃ、何もかも誰も彼もいらなくなった社会とやらは動くこともなく社会もいらなくなった、だからエリートもいらない。みんな生きてる必要もない。さあさ先を争って一刻も早い成仏をお待ち申し上げております。さあ今すぐ夢のパラダイスへ飛び立とう。ヘド吐き、モゲ吐き、コーマンタレブー、スカピー、国滅んで墓石はあるやらないやら、墓穴掘れ掘れ、ココホレワンワン、オカマホレホレ、野グソ、タレタレ、昔なつかしウンコのにおい。
・理想の職業? 将来の夢
そりゃ子供の頃あこがれていたのはパイロットやプロスポーツ選手、芸能人などだったけど もっとも身近であこがれたのは
「ご隠居さん」 学校に行かなくていい、勉強しなくていい、働かなくていい、でもネンキンとやらの小遣いがもらえるらしい、こんなうまい話身近ではこれくらいしかない。
何もしなくていい代わり、文句を言われるのは我慢我慢、今のような核家族世帯より二世代家族が多かったから、その家にはたいてい息子の嫁さんがいた。その嫁たちは、「あのくそじじい、孫の世話をするじゃなし、何もしないで、昼真っからぷらぷらして、パチンコに行っちまいやがる、ネンキンもらったってこっちには1銭もよこすわけじゃなし、まったくしょうがないじじいだ。はやくくたばっちまえ。」と陰口をたたかれる。でも当の本人は平気な面して好き放題。
また別の隣のじいさん、陶器作りが趣味で自宅庭に窯を作ってしまった。それで我が家で壊れた陶器でもあろうものなら、うきうき頼まれてつなぎ合わせて再生してしまう。壊れた陶器を接着剤でつなぎ合わせたとて、熱や衝撃に弱いことは幼い僕にも分かること。多分焼き締め直すのだろうか、ガッチリつなぎ合わせてあり、欠けたところは粘土を入れ直して補修してある。僕にはそれが魔法のように思えてすばらしかった。
でもその家の嫁さん曰く。「じじいめ、みすぼらしい茶碗直しなんかしやがって、隣近所の茶碗直しまでして、まるで乞食のような物乞いじゃないか、私ゃ恥ずかしくって世間にでられない」と大激怒。壊れた茶碗がピッタリつなぎ合わされ直るなんて今ならさしずめエコだ、もったいない精神だともてはやされるのだろうが、当時は高度成長期、貧乏くささから脱却することが当たり前。つぎはぎだらけの茶碗なんて貧乏くさく見えたし、それで何がしかの謝礼をもらうじいさんを物乞いに感じたのだ。しかもそのじいさんの再生したどこぞの茶碗がすぐ壊れたとかで、クレームが嫁さんの耳に届いたので、なおさら大激怒になったようだ。嫁さんは我が家へも来て、「茶碗直しなんか頼まないでくれ。」とか何とか言って行ったはずだ。
我が家のひび割れているのにがっちりしているその茶碗が好きだった。でもみっともないとか縁起がよくないとか言われ結局捨てることになった。
てなわけで、嫁さんに大不評のデメリットはあるが、ご隠居さんこそ最も身近な将来の夢。
・神よ人はなぜに不幸を背負うのか
うつろな少年の瞳、彼の前には台所の包丁で刺され、血まみれでこときれた父の姿が、その横にはあざだらけの母の姿が、アルコール依存症で暴力ばかり振るう父に止めをさした、少年の茫然自失、母を救う一心でこんなことに………
三歳の坊やが狭い部屋で倒れている、彼の前にはすっかりなめきってきれいになっている釜が転がっている、母はとうに家を出、父も育児を放棄し数日前に家を空けた、残された坊やは、残りご飯のあった釜をなめてしのいだが、とうとう昨日息を引き取った、飢え死に………
アンナ・カレーニナの冒頭、レフ・トルストイは、幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭の表情はそれぞれに違うというようなことを書いているが、幸福な家庭が似ているかどうかなんてことを知らない、だいたい幸福な家庭なんてあるのか、私はそのモデルを知らない、家庭イコール不幸、地獄なのだ、トルストイにしてからが、晩年貴族の生活を捨てようとして家族とすったもんだの不幸だったことは、リルケの訪問記に頼るまでもなく知られたことだ、
世間によくある三面記事スキャンダル悲劇、トリュフォーの「隣の女」は隣家に越して来た夫婦の一方が、かつての恋人だった、焼けぼっくいに火がついた、互いに夫や妻、子供がいながら、密会を重ね、離れられなくなった、臨界点に達した時、女は抱かれながら男の後頭部にピストルをかざし、男の頭と自分の頭を同時に撃ちぬいた、道徳ではなく、理知でもなく、でもなんだかあるどうしようもない感情の発露、トリュフォーは見つめるよ、人間のどうにもならぬ感情を、人間らしさを、
・くそばばあ ぶっ殺したき 夏の終わりの熱帯夜
・義理マン妻の背中 AV見つつ一人イキ もうはずす体勢の 冷めた股間にそれでもしがみつき わが愚息
・事終われり あと汁染み出し愚息を前に 呆けるクーラーの夜
・愚息は果てれど 何かもの足りぬ 夜露に虫の声
・愚息にゴムバンドはめ やっといきし 秋の夜長
・くそばばあ ぶっ殺したき 陽春の生暖かき宵
05,5.27
むなしい人生と死ぬことを天秤にかければ50対50でどっちつかず、生きるのもわずらわしいが、死ぬのも苦痛そうだし道義的にごちゃごちゃとうっとうしい。どちらも積極的に選びたいわけじゃないが、第三の選択肢があるじゃなし、どうにもならずただ生きながらえるわが人生かな。といって哲学的絶望感なんて深いものがあるじゃなく、たかが数億円の資産があり道楽気晴らしばかりして生きていられれば80パーセントの虚しさはやりくりつくかと思われる。いやいや働いて生きて、気晴らし道楽の時間と予算を必死で生み出している、今のぎちぎちの生活。家族を愛してるわけじゃなく、自分さえもよりよく愛してるのか分からない。ただ死ぬこともできず、快楽を求めてうろついているだけ。働いていなければ責任もなく無責任にちゃらんぽらんに生きていける。ただ快楽の享受と相手方の責任だけを問うていられる。金が全てとは云わないが金があればある程度の自由と権利が手に入る。資本主義の原則か。持てる者と持たざる者、勝ち組、負け組なんて虚しい分け方、でもある程度持てる者になれば楽なのは確かなこと。勝ち組なんてこと夢見てもありえないこと、せめてそんなことでも空想してあほらしい人生の慰めにするしかない。
06,4,8
なんでこんな虚しいというか、虚しいと何度も思うこと自体があほらしいはずなのに、どうにもこうにもできず、やっぱり虚しさにため息もれる。
スポーツのトレーニングなんてやったって、ただの消費ばかり、一円の銭にもなりゃしない。でも他に何ができる、結局嫌々でも何でも今それしかできないことを怨みつつ、やって行くしかない。でもやったって取り立てて強くなるわけじゃない。自分程度の練習量で自分より強い奴はごちゃまんといるはずだし、だからといってとてもこれ以上練習量増やせる絶対的時間量があるわけじゃない。そして増やしたところでそれが何、ちょっと順位や記録が上がったからと言って、それが何なのさ、表彰されるわけじゃなし、ましてやヒーローになぞ縁はなく、賞金賞品なんて別世界の話、さいならーの、その他大勢の二束三文にすぎない。ドラマでいうなら通行人か死体の役、いやそれ以下で編集カットされて映らない部分に過ぎない。それでも増やすっていうなら、もうそうするには銭をもらえる仕事とやらにおさらばするしかない。いっちもさっちもいかない、ただあくせくと地べたを這いつくばってみっともない生き恥晒し、ゴキブリみたいに生きてくしかない、泥まみれの阿呆な人生かな。
「復讐するは我にあり」まさに自分で自分の人生に復讐するしかない。こんな虚しい人生とやらの重荷を背負わせやがって、てめえ、なめてんじゃねえ、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ。もうちょっと甘い汁の吸えるお気楽人生とやらの選択肢はねえのかよ。怨みます人生を、この世を、摂理を。
「釣りバカ日誌」でも見てわざと笑うしかない虚しさよ。♪どさきゃいいのかこの私、夢は夜ひらく♪
なんで生きてくのか、なぜ生まれて来なけりゃいけなかったのか、ついでになんで死ななきゃいけないのか、納得も了承もないが、そうなっちまう、不条理というかそれが摂理というか、ついでにこの世そのものすべてが不条理なんだ、なんでもかんでも不条理、だから不条理に悩んだとて、何も得られぬ、しかし悩まずにはいられぬ、それもまた不条理、不条理が不条理を呼び、さらに訳の分からぬ不条理が上塗り、横塗り、すべり塗り、ついでになんでもかんでも塗りたくり、何から何まで不条理だらけの摂理、そんな中でうろたえつつ生きてのたれ死んでいくのさ、あほくさ、
自分の切ない思いをひたすら押し殺して生きていくしかない。自分を常にだましだましして嫌な思いで、言いたいことも言えず、うろたえて頭を垂れ意気消沈し、それでも我慢して生きていくしかないのか。
人生なんて我慢我慢の我慢だらけのつまらない我慢比べの拷問、牢獄か99%の我慢の嫌な思いと、たった1%の拷問の休み時間があるだけか、ほっとするのはつかの間、また人生という名のリングに突き出され、いやいや格闘技をやらされ続けるのだ、死ぬまで、なんでやねん、誰がそんなこと了承したねん、
恋歌
髪は悠久のカーブを描き とこしなえ 永遠に流れ行く その醸し出す 雰囲気
海の泡から 産まれゆく ヴィーナスが如き 夢の世界の 天使よ 永遠に続くものの真理よ 今この瞬間に 会得する 絶頂の彼岸 永遠は 今この瞬間 ここにあれり
といえり
大型客船をレイプ
太陽まぶしき港 波止場に停泊せし 大型客船 優美なるその姿は 才識兼美
容姿端麗 麗しき マドンナの似姿よ
彼女を 抱きしめ 征服せずにはいられぬ 暴走の野望よ 後ろから羽交い絞めし
「いやよいやよ」と艶かしげに振る腰に 下半身を押し当て 彼女の 処女地に
自らの欲望を突き立てるのだ
ひーひー泣き喚く 大型客船 太陽に見せつけ 嫉妬の焔(ほむら)を
ギンギンに燃え上がらせるのだ 嫉妬に荒れ狂うオセロさながら 目を血走らせ
犯される 大型客船の彼女から 目が離せないのだ
見せつけ よけい燃え上がった 猟奇の欲望 さらに激しく 腰を突きたて 彼女を
いかせちまうのだ 大型船舶の極める絶頂は ど迫力そのもの
嫉妬に狂い 目を血走らせる 太陽に向かって 精液をぶちまけ
彼女の犯された股間を 見せびらかしてやるがよい
太陽が頭を抱える姿の 哀れさは ぞくぞくするほど 気持ちいい
いっそ太陽の野郎の おかまを掘って 犯してやりたいぐらいだ どうせなら
二人並べて うぐいすの谷渡りと 洒落込むのが おつってものさ
太陽は 涙でぐしょぐしょ 絶望と呪いの言葉を 吐き散らし 黒く燃え尽き
没してしまう
優美なる姿の 大型客船は 単なる 性欲処理の セックス奴隷として
飼い殺しにする やりたくなったら 有無を言わさず 後ろから羽交い絞めにしては
やりたい放題 犯し抜き 快楽の限りを むさぼる 飽きたら ポイ
犯されることの 快楽しか 生きがいの なくなった 彼女は 命の限り
すがりつくが 恥辱の限りを与え ぼろ雑巾のように 捨てる そのあとが
ぞくぞくする 絶望のあまり 自殺するのを 舌なめずりし 口の中に
よだれをいっぱい ためながら 眺めるのが 最高 彼女の 哀れな 死に顔は
純情な 官能美に 満ちている いっそその遺体と 一発やるのが 悦楽の境地
死に化粧は 艶かしいエロティシズム ホルマリン漬けにして 保管し
コレクションの ひとつとして 展示する
死してなお 欲望処理の 道具として 取り扱われる運命
おんぼろ沈没船として 海底深くで 朽ち果てて行く 漁礁としての役割を与えられてそのじつ みっともない姿だから わざと人目につかぬ 海の底深く
くさいものにふたをした に過ぎない このまま朽ち果てて 一切合財消滅すればよい
あの豪華な大型客船が こんなにも 惨めな姿で 朽ち果てて行く 変わりよう
ぞくぞくする
なりたい商売、職業、仕事、労働
小説を書かない小説家 文を書かない作家 絵を描かない画家 研究しない学者
スポーツをしないプロスポーツ選手 詩を書かない詩人 歌わない歌手 演奏しない音楽 演奏家 撮影しないカメラマン 芝居に出ない役者 料理を作らないシェフ 働かなくても稼げる商売 働かなくても食える商売 働かなくても左うちわでいられる商売
商売しないのに金だけ貰える仕事 仕事しなくても金と名誉が入る仕事人
無責任に好きなことしてれば金と名誉が入る商売 仕事しない仕事人
働かなくても儲かる仕事 一切責任を負わないのに金と名誉の入る仕事
ただ無責任に人の責任ばかり追及していれば儲かる商売
ただ自分の権利ばかり主張し他人の義務を要求すればよい仕事
いやなことは全くしないで全て他人任せ世間任せでよいお気楽ご気楽ちゃらんぽらんで金と名誉はざっくざっく儲かる商売
なまけていればただ金と名誉が手に入るお気楽商売 好き勝手放題したい放題やりたい放題怠けたい放題無責任放題金と名誉が有り余り放題の仕事 何もしないのに金と名誉が有り余るほど儲かる仕事 暇が有り余る儲かる商売
そんな仕事ないかなあ そんな仕事に就きたいなあ
ヒモに成りたいなあ、でもヒモは大変だとのこと、よっぽど女にまめでなきゃなれない、そりゃ無理だ、やっぱりヒモにもなれない さもしい人生
別に労働もせずお気楽ご気楽に生きられたらいいのに、なんでなの、うらみます。逆恨みするしかない、ままならぬ、くそ人生、わびしさ。
何でこうなるの
何がどうでもいいのだろうが、こんなふうにしか身を処していけない。ほんとは嫌だけど、嫌とも言えず、苦笑いと、「まっ、しょうがないか」で、結局いってしまう自分がいる。そして一人のときもんもんと人を怨み ののしり、悶絶する卑小な自分がいる。悔しさいっぱいで歯噛みしていたはずなのに、また世間に出ると、愛想笑いで世間を取り繕い、言いたいことも言えず、悶々としている情けない自分がいる。ほんとは世間嫌い、人間嫌いだ。嫌だ、嫌だ、こんな世間から離れたい。たまには一人で山の中に入って、バランスを取り戻したい。うんざりする。
自分をだましていくしかない 06.8.16
よく テレビドラマなどでは 「自分をだましはいけない 自分に正直に生きるべきだ」などと 言っている でもね 自分に正直になんていかない 自分をだまし続けて生きているのがおちさ だいたい 僕が 自分に正直に 自分をだまさずに あるいは 死ぬ気でやるつもりなら かみさんに離婚届けにはんこついたものを出し 家を出る 勤め先にも 一身上の都合とやらの書面を出して 今日限りでやめますって言うしかないのだ 僕は自分で自分をごまかして 社会生活を営んでいるのだ 僕は嫌々 社会や家族とつながっていくしかないのだ 僕は僕をもてあます 僕はきっと死ぬまで自分をだまし 世間もだまし くたばっていくしかないのだろう
なぜなの
なぜ走るの? じつは何が答えか分からない でも自分にとってうそではないらしい答えとなるといくつかある 自分の人生 自分の生活が嫌でたまらない うさんくさくて いやみばかり どうせ人生も生活も嫌なことばっかりするしかない こんな人生も生活も 憎悪してやる 嫌悪してやる 復讐してやる 結局 走って 泳いで 漕いで 本を書いて とするしかない どん詰まり
嫌になると ふと 山に登りたくなる こうすることでしか 自分の所在無さを たたきつけられない 06.9.5
教育なんて
その昔 アフリカ大陸にキリスト教の伝道のため 入植していった宣教師達がいる 彼等はキリスト教の宣教のため アフリカの人々に 教育を施していった 敬虔なクリスチャンになることを期待して 教育を施された者達は どうなったか 彼等は 共産主義ゲリラになっていった 期待される人間像なんて 押し付けられて 教育されても 結局は 期待されない人間像にこそ なることが 教育の一面の真実 百人教育して 百人が百人とも 期待される人間像になりました なんてなったら うえー 気持ち悪い うそだ いんちきだ 何かある 教育は期待されない人間像、悪い人間になること、悪知恵を働かせることを知らしめることなのかも 人間存在の矛盾と認識のあいまいさを知らせてしまうこと
キリン
キリンをかっさばいて食べるという詩に触発されて一詩ものにせん
日本平動物園にキリンがいる キリンの園舎前から見ると キリンの全体像の遠景
それはイラストのように可愛い長首に黄色とぶち模様のぬいぐるみ
キリン園舎の裏手に上る坂を上がっていくと 坂道に生える樹木の葉を
一心に食べるキリン ちょうど目線の高さに どでかい頭 不気味な蛇みたいな 灰色の長い舌で 枝をべろべろなめまわして 葉を次々 食べていく
死体みたいに無表情そうな 目をして こっちには 無関心そう キリンにしてみれば 無表情ではないのだろうがついそんな風に見えてしまう ついでに 生臭い生物の臭いをプンプン 撒き散らしながら これが 生物が 生きてるって ことだと 無言で
主張するかのように
恨んでやる何もかも
何をどうすりゃいいってのか 何が何やら さっぱりピーマン で 今できることといったら 恨んでやる 怨んでやる ひたすらうらんでやる こんな人生 こんな現実
こんな社会 何もかも恨んでやる 恨むことぐらいでしか自分の思いがあらわせない
ああ どうにも なりゃしない
なにをどうすりゃいいってんだか やたらなんでも どうでもいいや 恨んでやる なにもかも 存在も認識も 絶対も相対も 無限も有限も 条理も不条理も 神も仏も
人生も死も 快楽も苦痛も どうでもなりやがれ
ただセックスのためだけ
ただセックスしたいだけのために かみさんと結婚した ただ性欲のため その性欲が満たされなきゃ 何のための人生か 何も愛してなんかいない ただやりたいだけ 自ら不幸を作り出し 好きでもない女と寝ても面白くもない のは 当たり前 よけい 不満が 募るだけ 不幸の上塗り 女はただ性欲のおもちゃ ひたすら やりたいのに 満たされない
身も心も 満たされ マダム・チャタレイの優しい性欲に 満たされてみたい
女に愛されたい 二人で めくるめく 愛欲に おぼれ 達したい いきまくりたい 女と愛し合いたい 身も心も 忘我となるまで
かみさんを 愛していない 嫌い
セックスしたいのは肉欲のせいでもあるが、飲む、打つをしない私にとって、唯一の自己解放であり、淋しさへの反動、愛情渇望なのだろう。肉を重ねることで心の開放、愛情確認をしたいのだ。ミスターグッドバーを探しているのだ。身も心も満たされたい。満たし合いたいのだ。
ただ女は性欲の対象か 性欲と一方的愛情渇望の産物 肉欲の奴隷
「性的人間」ばかりじゃないだろうけど 私にとって 「性的人間」は大問題 性欲に憤懣やるかたなし状態 満たされない これが満たされないといらいらしっぱなし しかも愛情も満たされない
みっともない
父や祖母は、飲食店での宴会後、残り物を折に入れてもらい持ち帰ることを嫌った。「持ち帰るなんて、おこんじき(乞食)のまねはみっともない。」といって怒りだすのだ。店の人も宴会の参列者も困惑してしまうのだ。その様子を見ているともっとみっともなく、貧乏人が虚勢を張っているようにしか見えないのだ。
大藪春彦の小説の中に、高級スーツを仕立てに行く主人公が、仕立て屋に対し、「金なら持っている、人を見くびるな。」式のせりふがあるが、これなんかも現実にあるとみっともない。いかにも貧乏人がたまに金が入って下卑た成金趣味で横柄にしているみたいに思える。
とあるリゾートパーク遊園地で、年配の落ち着いた女性から園地内の道を尋ねられた。すかさず後ろにいた着飾った若い女が「お母さん、みっともないこんなところで人に道を尋ねないでよ。田舎者みたいじゃない。」と怒りだした。母親は娘に「まあ道ぐらい尋ねたっていいじゃない。」と上品に答えていた。娘の剣幕がひどくて、尋ねられたこちらも退散した。母親は上品そうで聡明でよいが、この着飾った娘、いかにも田舎者まるだしで、スマートじゃない。たかが遊園地で道ぐらい尋ねたっていいじゃないの、尋ねられずうろうろしている方がよっぽど間抜けに見えるのに。
生きていたくない願望
別にどうってことないが、車が近づいてくると、ふーと引き込まれていけば人生ともおさらばだ やれやれという 気持ちがふあーとわいてくる 何の気なしに 何気ないときに ふとこれで嫌な人生ともおさらばできるのにと思うことがある がまんばかりの人生に嫌気がさす
職員室にて
夏から秋にかけて勤務時間終了になると残業を後回しにしてプールへ、経済性利便性時間節約体力増強練習時間短縮確保公共プールへの移動時間節約等いろいろ合理的意味はあるが、精神的意味、人間疎外と搾取からの開放、感情の再生、リラックスもある。今はバランスボールに象徴している。腰痛予防、身体バランス感覚向上以外にも分かる人は分かるだろう。この精神のSOSが。少しは周囲の潤滑油、安堵感になれば。
縫い物
穴のあいた靴下やパンツを縫い直してわざと着用する あるいは穴が開いたままのシャツを着用する これが日本へのレジスタンス 合理的経済的にも確かに金がないからだし、
もったいないからだけど いつから日本人はそんなに金持ちになったんでしょうか 下卑た成金趣味みたいに 貧乏くさいこと もったいないことを あえてばかにするようになったのは 以前未使用のタイ米を捨てたり その他あれやこれや アジアをこばかにしたみたいな その態度 ブランド物に追いすがり それを持つことで 自分の価値も上がると幻想を抱く んなあほくさ 金さえ出せば 誰だって 持てるがな それを見せびらかす さもしい根性 それを毛嫌いするという自分も同じ穴のむじなのさもしい根性者同士
同類相憐れみつつ反発するそのねじくれた根性やいかに 単純なようで複雑 複雑なようで単純 馬鹿は死ななきゃ直らない されど死ぬわけにいかず 立ち尽くすわけにいかず ただえへらえへらにやにやと こたえていないみたいな表情で本音を言わず ひょうひょうと生き延びていくしかないこのやーな人生 うざったい
ギルバート・オサリバン「クレア」が頭の中で響く この歌 可愛いはずの歌だけど
どっか黄泉の国の歌みたい ショパン「幻想即興曲」は暗い情熱の爆発だけど どっかで同じように死の国の香りがする 寒い凍える あとチューリップ「約束」が似てるかな
マスクを洗ってはまた使うせこい生活や
恥
本人は自分が偉いつもりでいるけど、周囲からは疎まれ無用の長物と化しているにもかかわらず、本人はどこ吹く風といった態度なのだ。
時代は変わった
その昔、商品の欠陥でメーカーが責任を取るなんてありえなかったということを、みんな思い出せるかな。今になって、パロマのガス器具やシュレッダーでの事故が、かなり昔からあったのにという、ニュースの口調は、そこんところまったく忘れてる。10年も前なら警察も行政もまったく被害者の要求に応えなかったろうし、メーカーもまったく無視で終わったろう。だから今、メーカーは商品の安全責任を問われて、後手後手に回る対策しか取れないのだ。だってもともとメーカーの安全責任なんて日本には存在しなかったのだから。警察や行政だって昔そんな苦情を聞いたことはあっても取り合ってこなかったから、メーカーに安全対策を促したなんてことはありえず、苦情は門前払いで、民事訴訟は被害者やその遺族が個人的に民事訴訟を起こすしかなく、警察も行政も民事にはまったく不介入なのだ。一素人の消費者がメーカーを相手取って商品の専門知識が必要な欠陥の証明なんて不可能で、裁判に持ち込むこと自体ありえないのだ。そしてマスコミもこの件に関してはまったく無視して取り上げてこなかったのだ。しかし日本も遅ればせながら製造物安全法(PL法)を制定した効果がやっと出てきたということか。しかも行政や警察も指導力を発揮するし、マスコミまでメーカーをたたくのだ。昔なら考えられない。その昔、ライオン油脂のママレモンを誤って飲み死者が出たとき、それを取り上げたのは赤旗と、多分ゆすりのねたにしたいいかがわしい総会屋などの、経済冊子ぐらいのものだったのだろう。自動車から発火し死んだ。テレビから発火し人が死んだ。等々商品の欠陥による被害は、噂や左翼系マスコミしか伝えてこなかった。そう考えると、今になってメーカー責任を声高に叫ぶマスコミって何。あんたら虫が良すぎやしない。
そういえば、テレビや新聞で同和問題という字が出た。といってそれが本題ではなく、奈良市の清掃局で長期欠席しているにもかかわらず、ほぼ満額給料をもらっていることが問題になり、表面化した。それが同和問題と絡んでいたので、積極的指導もなく放置されてきたということのようだ。同和が絡むと行政は手が出しにくい。そして今までなら大手マスコミは決して「同和」という文字すら使いたがらなかった。やっとニュースも変わってきたようだ。マスコミは行政をたたくが、それならやっぱり触れてこなかったあんたらマスコミは何様なの。これも触れてきたのは赤旗といかがわしい極右翼や極左翼ぐらいのものかいな。
猫は家に居つく
私はネコ型かな。というのは、人に居つくというか人に忠実な犬型と、家に居つくネコ型がある。猫は引っ越すと住人は一緒でも借りてきた猫状態になるが、家が一緒で住人が変わっても落ち着いたままでいる。これって住人は誰でもよくて、家というテリトリーが同一なら心理的に安定しているのだ。家の住人というのは猫にとって便利な同居者に過ぎない。私も家族は便利な同居者に過ぎない。愛してなんていない。私が家に帰ってくるのは、最低限落ち着けるコストの掛からないねぐらがここだということに過ぎない。猫と一緒、人に対しては忠実心というものがない。
キス
もう20年以上もキスしたことがない。愛のない証拠だけど、あっちはタバコ吸うし、酒飲むし、嗜好品好きだし、口腔が弱そうだしで、結局口臭がひどいのだ。もう近づきたくもないのだ。くさい。自分だってくさいのだろうが、タバコ吸わないし、めちゃ嗜好品とらないし、もう少しましだろう。聞いた話だと、タバコとコーヒーが好きだと、うんこくさくなるそうな。
人生目標なし
中里介山『大菩薩峠』の机龍之介のような異色のヒーローは日本独自の庶民感情から生まれたヒーロー像だとの批評がある。日本の庶民は遠大なビジョンなどもたず、その日暮らし、今目の前にある物事をひとつずつ取り組んで生活し、気が付くとずいぶん進んだことに気付き、手近な目標を変更していくのだ。自分には将来構想がないことに後ろめたさがあったが、なんだ、そういう人生の送り方している庶民が多いことを知った。私にも漠然とした楽したい、経済的余裕がほしい、いい女がほしいという目標にもならぬ願望はあるが、さりとて前へ進まず、ただその日暮らし、でも経済的名誉的願望があるから、こんな雑文を書いているのだが、こんなもの書いて出版しようとすれば、なけなしの自己資金をふんだくられ、ますます苦境になるだけなのだ。資本主義社会において持たざる庶民はあがけばあがくほど、あり地獄に落ち込むばかりなのだ。
傷つく
傷ついてトラウマになっているのに、傷ついてない振りする人、せめて平気な振りを周囲に示して倒れそうな自分を保つのだ。一種の虚勢だ。傷ついた自分をさらけ出してしまえば、社会から葬り去られる、自分が再起不能になるという不安感があるのだ。
せこい
マスクを洗って使うなんてせこい性格。
リモコンの発明家
リモコンの発明家のアメリカ人がつい先日亡くなったそうだ。この人便利なものを作ったはずなのに、生前、人類を怠け者にするの、不健康にするのと言われたそうだ。まあテレビやビデオデッキには必ずリモコンが付いているから随分儲けて富豪になったのだろうから、そのぐらいの不評はいいかと思うが、リモコンでごちゃごちゃ言われるぐらいなら、原爆やミサイルを発明したらもっと言われていいはずだ。車だって発明されてから、いったいどれだけの人が交通事故で死んだのやら。電車だって飛行機だってそうだ。ちなみに原爆を発明したとき、「これで人類はおしまいだ。」と感じた科学者がいるように、この人も便利なものをやっと発明できたと思った反面、虚しさも感じたかも。文明の進歩は人類の怠惰と滅亡に近づくのはやむをえないのかも。
ポルノ画像
男は写真集やビデオのポルノグラフィを見ながら一発やる。女はいやいや義理でつきあう。まさに義理マン、女は事が済めば、いやそうに舌打ちしてさっさっと服を着て家事へ、男は後朝の別れどころか、終わったあとの満足感を打ち砕かれ、不機嫌になる。男は女のことを愛してなんかいない。男の願望は、一度でいいから愛する女と思いっきり一発やりたい、いや阿部定と吉のようにとことん性愛にまみれたいのだが、かなえられることなく人生が摩滅していくだろうことは感じている。あーあくそったれ人生。
偏食とわがまま
個人的な推察だが、どうも偏食のひどい人と、わがままで頑固な性格の人には相関関係があるような気がする。会社の人事部の人は人事考査のときに、当該者の偏食具合を参考資料にするとよいのかなと思う。偏食の人は柔軟性が乏しくわがまま、頑固な面が目立つかもしれない。
家電販売店にて
家電販売店にて、店員に値切り交渉を持ちかけたら、ぷいと横を向いて二度と相手をしてくれなくなった。さびしいね。切り返してきてほしいのにね。
たとえばこんな風にね。「お客さん、さすがお目が高いね。この製品に目を付けて、価格を聞いてくるなんてたいしたもんだね。こちらとしてもこの製品ぜひ勉強させていただきたいのですが、今売れ筋で、しかも内容が濃い品物でメーカーでも値引きさせないんですよ、こちらとしてはなんとかしたいんだけど、この価格が限度なんですよ、お客さん勘弁してくださいよ。それにしてもこの価格でこの内容は、この値段で十分安過ぎるぐらいなもんですよ。内容はばっちり、最高じゃないですか、ですからお客さんもお目を付けたんですよね、間違いなくいい製品ですよ。この内容でこの価格は他にないですよ。絶対お買い得間違いなしです。今ならこういうサービスをお付けしときましょうかね。またこの製品の内容のいいところは一つ目には○○○ですし、二つ目には△△△で、三つ目には□□□ですから、また………という点もあり、素晴らしい製品なんですよ。ですからこのお値段になっちゃうんですよね。」という具合にだ。客を持ち上げながら、値切り交渉をやんわりとかわすなり、引き受けるなりして、製品PRをしっかり行い、客の買いたいという気持ちを高めていくのだ。こうしてほしいのに、家電量販店や静岡の電気店では、値切り交渉は絶対嫌悪らしい。風情がないね。だめだこりゃ。
人類滅亡
人類なんて滅亡しちゃえばいいんだ。どうせいたっていなくたって、人類にしてみれば一大事でも、宇宙全体から見ればどうでもいいことじゃない。恐竜だって滅亡して迷惑だろうか、恐竜が滅亡したことで哺乳類が、人類が栄えたのだから、恐竜が滅亡して人類にとっては万々歳じゃないですか。えいどうせなら人類なんて皆殺し、絶滅しろ。そうすりゃ、自殺がいいやら悪いやら、他殺がいいやら悪いやら、暴力がいいやら悪いやら、犯罪がいいやら悪いやら、存在も認識も、そんなこと全てどうでもよくなるというか、全てなくなっちまうのさ。ざまあみろ。
世の中どうしてこうも腹立たしいことが多いのか、あっちもこっちも憤懣やるかたない、いらいら、うざったい、こんちくしょう、
収集
変な物をコレクションしている、それは爪と耳垢、どのくらい経つとどの程度たまるのか楽しみ、アナログ写真フィルムの空ケースにためている。爪は5~6年かかってケースの半分に満たない。これを満タンにしたら水酸化ナトリウムを入れてカルシュウムとしてどのくらい溶けるか見てみたい。耳垢はどのくらいの期間でどの程度たまるのやら、私のような耳穴がだれる遺伝体質の人の量を概算してみたい。ふふん、所詮こんなことでも楽しみのひとつにでもしなけりゃ、人生への不平不満をやわらげられない。
ストレス解消
あー好き勝手なことをしているはずなのに、どうしてもいらいらがつのる。いやでいやでたまらない。どうしても心落ち着く平安が得られぬ。それは人生そのものに不満たらたらなので、人生の小手先をごまかしても納得できないのは、分かっているが、だからといって、どさきゃいいのか、離婚して、仕事もやめて、じゃどうするんだ、結局死ぬより他ない、くそばか人生。どこまでいってもくそばか。
愛国心
このところ学校教育では「愛国心」とやらの論議がかまびすしい、というより政治面からごちゃごちゃ言われとるというべきか。教育側から客観的広い視野での論議は低調そうで、教育というより政治からの圧力でそうなっただけのことか。
まあそのことは置いといて、愛国心といきなり言われても何のことやら、この字のイメージからはカーキ色の装甲車みたいな街宣車で日の丸や菊の紋章のデザインの車体で、演歌がんがんかけて、頭ぶっとびそうな大音量で通り過ぎてくのを浮かばせる。つまりこの字のイメージははなはだもって迷惑千万な極右翼が浮かぶに過ぎない。愛国心ではいかつく固いイメージなので、地域のイメージ、まあ愛郷心というか、ふるさと思いというか、そんなんイメージすると、いつも道路をきれいにしてるおばちゃん、ごみ拾いしてる爺さん、あるいは郷土研究好きなおじさん、そういった地域の何でもないおじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが浮かぶんや。
また02年日韓ワールド・カップ・サッカーのとき、旧中津江村に合宿したカメルーンを応援したおばちゃんたちが浮かぶ。当方、清水ではロシアが合宿し、日本とも対戦したが、合宿先の清水ナショナル・トレーニング・センター関係者はロシアを応援したのだ。中津江も清水トレセンも本当は日本を応援したいけど、日本に来た彼らの心細さを思いやったり、彼らへのおもてなし意識、彼らの人がらへの共感などで、彼らに真心込めて応援したのだ。一種の「義を見てせざるは勇なきなり。」だ。こういった人たちの思いが愛国心じゃなかろうか。変てこな矛盾した話ではあるが、人を思う心あってこその愛国心、そしてその愛国心は状況によって他国を応援することもありうる。グローバルなものなのだろう。あの街宣車、サッカーのフーリガンなどは、少なくとも愛国心とは違うものだろう。
それにしても右翼の街宣車に愛国心なんてないのだろう。あんな大音響で一般市民を威圧、迷惑を掛け、自分たちが裏の社会の圧力者であることを表社会に知らしめるための恣意行動、街宣車の名の通り宣伝道具で商売上の営業活動の一環なのだろう。だからあえて迷惑を掛けるのだろう。「愛国心」を説く前に、全国の街宣車から愛国を消した方がよい。ついでにあの菊の紋章や「皇」の字も皇族のマイナス・イメージだと思うから、宮内庁が民事訴訟を起こして全国中の右翼に菊の紋章と「皇」の字の使用差し止めを請求したらいいとちゃう。
人生どんづまり
落選した。別に自信があったわけじゃないけど、数十点もが入賞や佳作になるなら、一番下の賞ぐらいにはなるかな、なんて思っていたら、単なる落選、数十点もの中に入らなかった。どうってことないわけね。
ついでに出版元の「新風社」が民事訴訟で訴えられた。全国の書店に並べるといわれたが、実際は十数店舗だったからなそうな。私の見積もりのときは、全国直営の十数店舗に並ぶとのことで、共同出版で私の負担額は百二十七万でどうかなとのことだった。その額からいって、全額自己負担の完全自費出版と変わらないというか、共同出版というのが単なる建前だろうと判断した。
体の硬さと心の柔軟性
以前「偏食とわがまま」の相関性について書いたが、今回気になるのは、体の硬さと精神的柔軟性である。ある自力整体の活動家から、そのようなことを言われ、自分なりに自分の知っている狭い世間を観察するに、どうもこれも相関性があるような気がする。体の硬い人は心も硬いことが多いようだ。柔軟性をもつにはまず股関節を柔らかくするに限る。例えば座禅は股関節をやわらげ脳波の中のα波だかβ波だかを出し、気持ちをリラックスさせるのだそうだ。体が硬いと心もカチカチに固まり気持ちが楽に広がらないようだ。
どさきゃいいのさ この私
爆走してくる車の前に身を投げれば、そのときは痛くても、あとは楽になれる、そんな気がする。あー、ここから飛び降りれば、あの上の物が落下してくれば、といった具合に、人生とおさらばすれば楽になれる、そう思える。何でこういやいや生きなきゃならないのか、しんどいね。人生に満足できず、不平不満ばかり。無責任にのう天気にやりたいことだけやって生きていけたらいいのに。
愛のない男
愛のない男は 愛していない家族のもとに帰るが 別にどうってことはない ただタダで泊まれるから帰っていくだけで 別の愛する女ができたら そっちへ行きたいが 金はなく 度胸もなく ということは女なんて 逆立ちしたって 清水の舞台から飛び降りたって できるあてもない たんなる幻想 淡い夢 おじさんにもなってこんな調子じゃ 浮気ひとつもできない でくのぼう ただうつうつと日常を やり過ごす彼には 何も変えられない そして愛していない家族には 問題だらけ うつ病 強迫神経症 引きこもり 家庭内暴力 愛のなさが 片っ端から 問題を吹き上げさせるのか 無責任な彼としては 辛気臭くなるばかりなので なるべく家庭から離れたい 目をそむけたい 愛していない他人のような家庭に口を挟む気にはなれない 自分の所在無さ 家族観の無さの所在無さ 別に生まれてきたかったわけじゃない などと言い訳したって 責任逃れはできないだろうに 家族の問題は なぜこうも 重苦しく 逃れたくなるのか むなしくなるのか 義務感ばかりで あーどこかに 愛の巣ってのがあって そこに帰れるという まぼろしにすがりたい 彼の心情(真情)は 無責任に ノーてんきに お気楽 極楽 にこにこと ただ愉快に その場しのぎに 生きて 人生の問題何もかもすべて 先延ばしに ひたすら先の先の先延ばしにして 死んでしまえば あとは野となれ山となれ 被告人不在につき 打ち切りにあいなることが一縷の望み どうぞご勝手に 彼の遺体にでも つばを吐きかけようが蹴飛ばそうが生ごみとして捨てようが けっこう毛だらけ 猫灰だらけ けつの周りは くそだらけ 粋な姉ちゃん 立ちしょんべん 人生なんてくそくらえ
家に居つく猫みたいな男
別に家にいる女が好きなわけじゃない。ただ飯を炊いてくれる飯炊き女という便利な同居人に過ぎない。猫にとって家人が単なる便利な同居人に過ぎないのと一緒。猫同様、家族が一切別人になったとて、何も困らない。家がそのままなら、それで安定しているのだ。
すてごま
どうせ自分はすてごま、使われるだけ消耗され、利用価値がなくなれば、ポイ。いいときだけ持ち上げられ、都合が悪くなれば切り捨てられるだけ、だからご用心遊ばせ。あんたの希望なんてどうでもいいのさ。利用できるときだけ聞く振りして、あとは一切合財お任せコース。だめになったらあんたのスペアに代えるだけ。
格差社会のテロ
日本は1970年代から90年代初めまで9割中流社会といわれた。そんなのうそでたらめだと思った。それで正しかったのだろうが、今90年代末から00年代は、もっとひどい。格差社会といわれ、一部の裕福層と生活保護世帯並みの収入層がどんどん増えている。社会はさらに不安定化するだろう。社会の富の再分配が何かおかしくなっている。富をすべて公平にしろというのではない。ある程度の格差はやむをえない。富をすべて公平にしようとして一部の権力者が甘い汁を吸っただけで、大多数は意欲喪失と不便を強いられた共産主義の失敗がある。でも人がまじめに働いて得た収入が生活保護を下回る、家族を養っていけないではあまりにも間違っている。持つ者はさらに肥え太り、持たざる者は生き血まで搾り取られ消耗される世の中だ。
そんな世の中でふと不安になるのが、アルカイダ等の中東イスラム教テロ組織だ。今彼らはがちがちのイスラム原理主義で、アメリカを白人社会を工業先進国を、その文化を敵としている。アメリカ、西ヨーロッパ、日本等はイデオロギーの敵なのだが、これらの国々は移民問題、失業問題、格差社会問題を多かれ少なかれ持っていて、そこが国内のアキレス腱だ。イスラムテロにしてみれば格好の攻撃材料で、国内の最下層にしてみればテロは一発逆転のための頼もしい味方である。今は問題が別でクロスしないが、さらに問題が深刻化すると最下層とイスラムテロが結託しかねない。
確かに格差社会を努力したから報われる、報われないのは、すべて自業自得のごとき主張し格差社会の是認をする経済人たちは、いっそテロの餌食になってもらうのもやむおえなしと思えることがある。日本に革命はなかったが、戦国、江戸期に「百姓土一揆」があり、大正期には「米騒動」があり金持ちや権力者が狙われ血祭りにあげられたのだ。日本人もかようにただ自業自得で我慢しないのだ。
・欲求不満
ボクはきっと死ぬまで欲求不満だろう ブスブスいぶったモヤモヤイライラを ただ抱え込んで くたばっていくのだろう どないもこないもありゃしない ただ悶々と ジリジリと その日その日を 気を摩滅させながら解消し得ない いらだちを さらに抱え込んで 人生は重き荷を背負うて歩むが如しである このくそったれ
・不幸の連鎖
児童虐待など家族、親子で連鎖していきやすい。絶対的に連鎖するわけではないが、そうなりやすいというのが、関係者の感想だろう。アルコール依存症の親を持つ子が、結局またあれほど嫌がった依存症の伴侶や家族を持ってしまうのだ。同じど壷にはまっていくのだ。自己満足度が低い同士、類は友を呼ぶ如くくっついちゃうんだ。病人持ちの家族が、また同じような病人持ちの家族とくっついちゃうんだ。どこまでも暗い者同士互いの傷をなめ合うためくっついて、さらなる不幸の種を撒き散らすのだ。不幸はどこまでもころがる雪だるまのように肥え太り、家族皆を蝕んでいくのだ。浜の真砂は尽きるとも、この世の不幸の種は尽きまじ、である。どこまでも呪われたらええねん。すべて食いつぶすまでやったらええねん。でも一部をうまく生き残らせ、見えぬアメーバのように陰からこっそり触手を伸ばし気付かぬうちに獲物を侵していくのだ。まるで癌のように。未来永劫少しずつ生き血を吸われていくのだ。神は人類を呪うために生み出したのか。神は悪魔なのか。
精液
人生は精液を出すためにあるのか 欲望の処理でヒーコラヒーコラ 心から愛情から肉欲を満たされ安堵してみたい 愛情なく 肉欲は満たされず イヤイヤお付き合いの 義理マン 何とか終われば それでよしとするしかない 他に愛情と肉欲を満たすものを探すしかない
人生の目的
そうさ人生は精液を出すためにあると割り切ってしまえば早い 女におぼれる快感
肉欲の悦楽
人間の生きる意味
幼児が一心不乱に泥団子を作ることに夢中になる。大人がきれいにうまく作った泥団子を与えても、すぐそれには興味を失ってしまう。自分で試行錯誤して作らねば納得しない。またある幼児は、高い遊具に上りたがる。泣いても躊躇しても、いつかは上ろうと意欲を見せる。何度も何度も試行錯誤し少しずつよじ登っていく。そして上りきったときなんとも満足した笑顔を見せる。
これこそ人間の生きる意味。人間の存在証明。人間の感動。
でもそうは思うけど、それだけじゃ、生きていきづらい。どさきゃいいのか、この私、夢は夜開くのか、開けるもんなら開いてみろ、
どこぞの誰かが言っていた お前を守るためとか これからお前たちを守ることが人生の目的だとか 自分にはそんなものない いや家族はあるが 守る気にならないというべきか ただ欲望のはけ口がほしかっただけ *マルキ・ド・サドにとって他人は欲望の対象に過ぎない 深沢七郎「別に生まれたくて生まれたわけじゃなし、人生なんてひまつぶしさ」 その欲望さえ果たせず いつも……
・なんで生きるのか
性欲と愛情を満たしたいが、それはまったくかなわず、ちびちびあれやこれやで性欲を処理する処世術、しかもこれには貧しい私にとって多額の金がかかる。しかも愛情なんてないから満足するはずもなく、かといって義理マンでは失望するばかり。小人閑居して悪事をなすの例えどうり、何事もなせぬでくのぼうは、やることなすことみな悪事となりて、生きれば生きるほど、もがけばもがくほど、けがれるばかり、不満を募らせはけ口を求め、求めたはずのはけ口でさらなる不満を募らせ、ただひたすらド壷にはまってシャンシャンシャンである。どうせ墓穴掘ってくたばってきゃいいんだ。
このところトレーニングを強化すると途端に体が故障する、もうちょっと強化したくても、体が老化していく、記録は地滑りのように雪崩落ち、とどまることがない、それでもやっていることで、この程度の落ち込みで済んでいると思うしかない、しかも落ちた体力で無理するとさらなる怪我を背負い込む。泣きっ面に蜂というやつだ。やればやるほど、もがけばもがくほど、ド壷にはまるばかり、一向に日差しは見えない、いっそやめろということか、でもやめたとてなんになるというのか、生きる迷宮に閉じ込められ出口なく右往左往させられる、まことに善き日である、とほほ、なんでまたこんな糞みたいな人生歩むのか。
・人生の目標
人生の目的は何? 精液を出すこと、
モットーは? いかに無責任に のう天気に いい加減に テキトーに 享楽的に その場しのぎに 生きればよい クレージーキャッツ植木等の「日本一の無責任男」こそ理想 本当の彼は 真面目な男で 随分この役に悩んだようだが 私には理想 自堕落に どうでもよく ラクすることばかり 考えて あがいてあがいて 地べた這いずり回って くたばっていくのさ ちょうど虫けらが 歩く人の足元に出てきて アッと思うまもなく
一瞬で踏み潰され 地面のシミとなり 何の思い入れも ストップモーションもなく 西部戦線異状なしより あっさり場面転換 歩き過ぎる人 何事もない 場面の連鎖 画面に足元なんて 映ってなくて 虫がいたことも踏まれたことも 誰も彼も、歩く当人も分かってない 死なんて地面のシミよりアパシーだ
・今年の目標
「飯炊き女 死ね!」と1日百回は言ってやる なにかにつけてアラ探しては叱責してやる つねにサディズムを
・人生後悔
後悔ばかりが人生さ、そんな声は聞こえないけれど、私の中ではこだまする、あれやこれやで、後悔ばかり、蒸れたちんちんの周りがかゆくてぽりぽり、なせばなるなさねばならぬなにごとも、そんならこといわれてもどさきゃいいのさこのわたし、ゆめはよるしぼみ、せいえきのはてにゆめはちる、サイナラーとアニメのふざけたやつがハンカチふって、はなみずたらしてどっかいっちまいやがる、酔いたくても酒を飲む気にならず、精液を出そうとしてもあそこはしぼみ、「死ね」と部屋でわめいても聞く者なく、打ち込んだ文書はファイルアクセス権エラーで消滅、ふざけんじゃねえと、机をたたきパソコンに向かって喧嘩売ってなんになる、どうせこんなのが人生さ、後悔ばっかり、やり直せるものならやり直したい、愛する人と結ばれたい、あんなくそばばあはもうけっこう毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりはクソだらけ、こうもこう後悔ばっかりでこうかいこうかい改悛俊会邂逅後悔で航海にはならない、こうかいそうかいああかい、木魚たたいて何無妙法蓮華経ぽくぽく、体の周りを爪でかいてこうかいこうかい、精液を出すところをミスって、人生こんな始末、他にもあれやこれやの不始末の数々、取り返しのつかないことばかり、自分の人生自分でつぶしてきたともいえるこのあほらしさ、精液はどこへ飛ぶ飛ぶたれ落ちる、あせるこたあないって、そのうちおむかえがやってきていやでもなんでもこの世とオサラバさせてくれるってさ、一度生まれてきた以上いつかは必ず死ぬんだから、どんなくだらない人生にも強制終了させてくれるんだ、あせることなくおむかえはくる、ああせめて可愛いあのこの中に精液出して、身も心も優しい性欲に満ち足りたい、はかない夢か、居眠りよだれ、
・理想の父親像
娘のところにひねこびたうすら寒い姿で現れ、「悪いなあ、今度だけでいいから、ちーっと小遣いくれないかなあ。」と卑しい顔して、物乞いする。「いったい何度せびれに来れば気が済むというの、今度こそこれでおしまいにして、あんたなんか家族を捨てて好き放題勝手放題な生きかたしといて、何で今さら金だけを欲しがるって言うの、あんたなんか父親じゃない、もうとっくに赤に他人よ!」と言われ、「すまねえなあ、今度だけだよ、今度こそこれでおしまいにするから。」と答え、「いつもそうじゃない。その無責任さ、口先だけの言葉ばかり、何一つ本当のことなんてありゃしない。あるのは卑しい根性だけ、あんたなんか死んでしまえばいい。」とさんざんののしられ、それでもうつむいてうすらばかな表情して、金をくれるのをぼんやり待つ。娘は結局、金を渡し、すぐに背を向け泣きじゃくりながら行ってしまう。父親もそそくさとその場を去る。おー、これこそ理想の父親像、ダンテもソクラテスもヒポクラテスもアルキメデスもミルトンも凌駕しない最低最悪極悪非道外道なる理想の父親像。人類なんてくたばっちまえ。
・とある国のとある法令
不景気で働き口はなく、その国は国民全体をとても養っていけないことが分かった。このままでは国は転覆だ。そこでその国はどうしたっかって、法令を作ったのさ。
その名も「自殺奨励法」「殺人奨励法」。自殺したらばあとの葬式費用出します。人を殺したら賞金上げます。ついでに3食昼寝つきの快適な刑務所暮らしがあなたを待っている。殺されても香典たくさんあげます。葬式費用肩代わりします。さああなたも一刻も早く天国へ夢のパラダイスへ、憧れの地、愛と勇気と正義と平和のすてきなすてきな極楽浄土へ、あなたのおこしを首を長―くして、お待ち申しあげております。さあさいらっしゃい。覗き放題見たい放題今ならジャンジャン特出し丸見え、鼻血ドバッーの出血大サービス、本番中出し3連発、あなたを極楽に連れてっちゃう。いくいくアヘアヘ、もっと突いてー。
その結果、養えない余り物の国民はいなくなったが、エリートもいらなくなった、派遣もパートもいないが、正社員もいらなくなり、会社も無用の長物、エリート自ら動かなきゃ、何もかも誰も彼もいらなくなった社会とやらは動くこともなく社会もいらなくなった、だからエリートもいらない。みんな生きてる必要もない。さあさ先を争って一刻も早い成仏をお待ち申し上げております。さあ今すぐ夢のパラダイスへ飛び立とう。ヘド吐き、モゲ吐き、コーマンタレブー、スカピー、国滅んで墓石はあるやらないやら、墓穴掘れ掘れ、ココホレワンワン、オカマホレホレ、野グソ、タレタレ、昔なつかしウンコのにおい。
・理想の職業? 将来の夢
そりゃ子供の頃あこがれていたのはパイロットやプロスポーツ選手、芸能人などだったけど もっとも身近であこがれたのは
「ご隠居さん」 学校に行かなくていい、勉強しなくていい、働かなくていい、でもネンキンとやらの小遣いがもらえるらしい、こんなうまい話身近ではこれくらいしかない。
何もしなくていい代わり、文句を言われるのは我慢我慢、今のような核家族世帯より二世代家族が多かったから、その家にはたいてい息子の嫁さんがいた。その嫁たちは、「あのくそじじい、孫の世話をするじゃなし、何もしないで、昼真っからぷらぷらして、パチンコに行っちまいやがる、ネンキンもらったってこっちには1銭もよこすわけじゃなし、まったくしょうがないじじいだ。はやくくたばっちまえ。」と陰口をたたかれる。でも当の本人は平気な面して好き放題。
また別の隣のじいさん、陶器作りが趣味で自宅庭に窯を作ってしまった。それで我が家で壊れた陶器でもあろうものなら、うきうき頼まれてつなぎ合わせて再生してしまう。壊れた陶器を接着剤でつなぎ合わせたとて、熱や衝撃に弱いことは幼い僕にも分かること。多分焼き締め直すのだろうか、ガッチリつなぎ合わせてあり、欠けたところは粘土を入れ直して補修してある。僕にはそれが魔法のように思えてすばらしかった。
でもその家の嫁さん曰く。「じじいめ、みすぼらしい茶碗直しなんかしやがって、隣近所の茶碗直しまでして、まるで乞食のような物乞いじゃないか、私ゃ恥ずかしくって世間にでられない」と大激怒。壊れた茶碗がピッタリつなぎ合わされ直るなんて今ならさしずめエコだ、もったいない精神だともてはやされるのだろうが、当時は高度成長期、貧乏くささから脱却することが当たり前。つぎはぎだらけの茶碗なんて貧乏くさく見えたし、それで何がしかの謝礼をもらうじいさんを物乞いに感じたのだ。しかもそのじいさんの再生したどこぞの茶碗がすぐ壊れたとかで、クレームが嫁さんの耳に届いたので、なおさら大激怒になったようだ。嫁さんは我が家へも来て、「茶碗直しなんか頼まないでくれ。」とか何とか言って行ったはずだ。
我が家のひび割れているのにがっちりしているその茶碗が好きだった。でもみっともないとか縁起がよくないとか言われ結局捨てることになった。
てなわけで、嫁さんに大不評のデメリットはあるが、ご隠居さんこそ最も身近な将来の夢。
・神よ人はなぜに不幸を背負うのか
うつろな少年の瞳、彼の前には台所の包丁で刺され、血まみれでこときれた父の姿が、その横にはあざだらけの母の姿が、アルコール依存症で暴力ばかり振るう父に止めをさした、少年の茫然自失、母を救う一心でこんなことに………
三歳の坊やが狭い部屋で倒れている、彼の前にはすっかりなめきってきれいになっている釜が転がっている、母はとうに家を出、父も育児を放棄し数日前に家を空けた、残された坊やは、残りご飯のあった釜をなめてしのいだが、とうとう昨日息を引き取った、飢え死に………
アンナ・カレーニナの冒頭、レフ・トルストイは、幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭の表情はそれぞれに違うというようなことを書いているが、幸福な家庭が似ているかどうかなんてことを知らない、だいたい幸福な家庭なんてあるのか、私はそのモデルを知らない、家庭イコール不幸、地獄なのだ、トルストイにしてからが、晩年貴族の生活を捨てようとして家族とすったもんだの不幸だったことは、リルケの訪問記に頼るまでもなく知られたことだ、
世間によくある三面記事スキャンダル悲劇、トリュフォーの「隣の女」は隣家に越して来た夫婦の一方が、かつての恋人だった、焼けぼっくいに火がついた、互いに夫や妻、子供がいながら、密会を重ね、離れられなくなった、臨界点に達した時、女は抱かれながら男の後頭部にピストルをかざし、男の頭と自分の頭を同時に撃ちぬいた、道徳ではなく、理知でもなく、でもなんだかあるどうしようもない感情の発露、トリュフォーは見つめるよ、人間のどうにもならぬ感情を、人間らしさを、
・くそばばあ ぶっ殺したき 夏の終わりの熱帯夜
・義理マン妻の背中 AV見つつ一人イキ もうはずす体勢の 冷めた股間にそれでもしがみつき わが愚息
・事終われり あと汁染み出し愚息を前に 呆けるクーラーの夜
・愚息は果てれど 何かもの足りぬ 夜露に虫の声
・愚息にゴムバンドはめ やっといきし 秋の夜長
・くそばばあ ぶっ殺したき 陽春の生暖かき宵