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2015.9.21 『斜里岳』(1,545m) 《シルバーウィーク②》
私のシルバーウィーク二日目(月曜)は、『斜里岳』登山口近くで目覚めた。
目覚めたと言っても、起こされた。
隣りに駐車して、同じく車中泊していたToshiが4時頃起きてエンジンをかけ、ガタガタやりだした。
エンジンもかけたり切ったり。
これじゃあ眠ってはいられない。
通常の生活でも4時には目覚めて眠れないらしいToshiだ。
私とHiromiはシルバーウィーク当初から、4日間の休みを4日間登り歩く予定で出かけた。
そこに中の二日間だけ合流して帰るToshiとはペースもリズムも違う。
参った・・・
6時、立派な「清岳荘」が建つすぐ脇の登山口をスタート。
この「清岳荘」だが、昔は現在の登山道を進んだ先の入渓地点近くに建っていた。
この山を訪れた人ならわかるように、林道の終点が登山口で、そこに「清岳荘」が建っていたわけだ。
火事で消失した旧「清岳荘」だが、数年後新しい建物ができたと同時に入渓地点が遠くなってしまった。
私はこの山に登るのが4度目だったが、今回は最も沢の水量が多かった。
このところ降り続いた大雨のせいだ。
ToshiとHiromiは初登の山だが、特にHiromiはロングスパッツを着用していなかったため、渡渉に四苦八苦だ。
Hiromiには事前に山行予定の山の名だけを示し、その行程については自ら調べ、頭に入れておくよう指示をしていた。
それを怠ったため、ロングスパッツの必要性を感じ取ることができなかった。
それで私とToshiを真似て、同じ格好でスタートしてしまった。
このロングスパッツを着用しなかったことが、下山で更に大変になる。
上二俣から新道を登った。
新道を登り、沢沿いの旧道を下る。
それは登る距離が短い旧道に登りの登山者が殺到することを予測したのと、新道から眺める風景が素晴らしいため。
予想は的中し、新道から旧道との合流点に達するまでにわずか一組のパーティーを追い越しただけだった。
登山口近くで確認してから、ほとんどガスがかかっていた頂上部も徐々にその美しい姿を現した。
そして合流点を過ぎ、頂上基部に達する頃にはすっかり晴れた。
8時30分、頂上着。
そこには360度、遮るもののない世界が広がっていた。
知床方面の雲海がまたいい。
そんな素晴らしい頂上からの眺めではあったが、3人揃ってザックを下ろすことはなく、頂上をあとにした。
西にそびえるピークとのコルに下りてから踏み跡をたどって、『斜里岳西峰』とでも呼びたくなるような存在感のある『1,508mP』
を目指した。
ここで先頭に立って歩きたそうなToshiに、「ルートファインディングのトレーニングた、先に行っていいぞ」と言ってやると、なんなんだかよくわからんが、走って下り『1,508mP』の基部に取り付き、グイグイ登って姿が見えなくなってしまった。
「先に行っていい」とは言ったが、「Hiromiを置いていっていい」と言ったわけではなく・・・
この踏み跡はかつて『南斜里岳』まで続いていたのだが、現在は殆どが消えて廃道となっている。
『1,508mP』まででさえ、その踏み跡が年々薄くなっているしだいだ。
下山は薄い藪を漕いで旧道に出て沢沿いを下った。
この水量の多い沢がまたHiromiを悩ます。
この沢がこんなにも大変だったのか、とあらためて感ずる瞬間に何度も出くわした。
一人で歩いていると、全く何も感じずに登下降しているのだが、人を連れて登った時にその難度が突如頭をもたげ、そこに人を連れて踏み入ったことを何度も後悔した経験がある。
しかしHiromiにはこの程度の沢は楽に下りてもらわなければ困る。
と、言いつつも二度スリップして転倒し、そのうちの一度は転倒して横たわった体ごと1mほど下の岩盤に落ちた。
これには驚き、腕を骨折したのでは、と案じたものだ。
結果、事なきを得たがHiromiはこわい!
そんな悪戦苦闘で下山に時間を要し、12時50分登山口着。
まあ、色々あったが、天気がよけりゃあ全て良し!
いい山行だったぁ・・・
ただ、登山口の広い駐車場は満車で、入りきれなかった車が道路にも並んでいた。
「100名山」巡礼の山はやはり好きになれないわぁ・・・
下山後、前日と同じ「緑の湯」で汗を流し、『西別岳』登山口近くへ移動した。
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