Persikkan Aarrearkku

解答をチラ見したときのように

今日ひょんなことから
私が尊敬していてすごく好きだった人の近況を知る機会がありました。

その人は私が大好きだった頃と何も変わっていなくて、いやきっと変わっているんだろうけど、私が好きだったところがそのまま残っていました。

私は大学でサークルを始めた頃から
違うと思ったことは違うと言っていて、
それはすごくタフなことで
周りとの摩擦もたくさん起きて
結構しんどいことでした。
何度も自分をもっと柔軟にしたほうがいいかなと変えようとしてきたけれど変えられなくて。
その時にいろんな心のつっかえ棒にしてきた言葉があるけれど
そのうちの1つにさっきの、尊敬していた人に再会した時に胸を張って会える人になろう、という気持ちがありました。


その人はまだ未熟で嫌なことを嫌だと言えなかった頃に、私が周りから誤解されて怒られていると、代わりに怒って周囲の人の誤解を解いてくれる人でした。
私のことを、あの子はオンリーワンだからと私の友達に言ってくれていたそうです。
いつもその人が私に話しかけてきて私はその人の話を受け身に聞いているだけだったけど、私が悲しかったり落ち込んでいたりするタイミングにいつも話しかけてくる人でした。

すごく好きなところがたくさんあったから
その人のことを好きになったけど、
その中には尊敬の気持ちがたくさんあって
だから同時に私はすごく劣ってると感じていた、そんな思い出です。

次その人の顔を見る時、私は自分がその人より劣ってるなんて思わない、かっこいい人間になろうとその人と会えなくなった時に決めました。

それからもう何年も何年も経って
私は嫌なことは嫌だと自分で言えるようになりました。あなたは男の人に甘えるのが下手だね、と会社の人に言われるくらい自分の足で立つようになりました。
嫌なことを嫌だと間違ってることを間違ってると言って、たくさん嫌われて傷ついて苦しんだりもしています。
でも、自分を変えてまで周りに合わせることに意味は感じられないから。
周りに合わせられたら、きっとここまで体の具合が悪くなることもないんだろうとも思うけど、それはかっこよくない、そう思って私は自分を変えずに生きていく方向へ向かっています。
周りからは挫折中にしか見えてないってわかってるけど。

そんな中で尊敬していた人が、変わらず
嫌なことは嫌、違うことは違うと言えることは大事、
と言っていると知りました。

よく学生の頃、数学の証明の問題を解いているときに、途中でわからなくなって
ん?これで合ってる?
と、後ろの解答ページをチラッと見て
おお!合ってる合ってる♪
と、続きを書いていた頃を思い出しました。

私は ん?合ってる?って思う気持ちが少しあったけれど、その人の言葉で
やっぱり合ってる、このまま このまま行こう。
そう思えました。

それが嬉しかった。
嬉しいって言葉では表せないくらい。

だから私は明日からも、昨日や今日と同じようにたくさん苦しんでたくさん考えて
そして自分の考えを貫いていこうと
改めて思いました。



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