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6月1日は藻岩山の山開きがある。
大学も開学記念日で休みなので、前夜から大騒ぎをして、山に登るという毎年の恒例行事があった。
誰も来ないかもしれないけれど、とにかく行ってみようと、僕らは約束した。
1987年5月31日、日曜日の夕方。
旧校舎のローンは、卒業生と大学生であふれていた。
僕らはただただ、大勢の人に圧倒され立ちつくしていた。
旧校舎が、ここを最後の場面と決めて、はりきっているようだった。
ようやく気を取り直して、元々の計画通りに、僕らはポケットにある、
校舎からはずした窓の留め金を握りしめて校舎の中へ入ろうと試みた。
もう遅いかもしれないけれど、そうせずにはいられなかった。
もちろん扉は鍵がかかっていたが、ぼくらが一番よく使っていた西側の入り口だけが
偶然に(あるいは必然を伴って)開いていた。
中は思っていたより暖かく、清潔だった。天井の高さが懐かしかった。
どうせすぐに取り壊されてしまうだろうと、タカをくくっていた窓は、
割れもせずそのままの姿でそこにあった。
だが、(もちろん僕らが留め金を外してしまったせいで)窓枠の下は、
雨が入り込んで濡れていた。隣の窓も同じだった。
じっと眺めていた女の子の一人は、目にいっぱいの涙を浮かべている。
僕にもじわじわと、彼女の気持ちが伝染してきた。
外からは「ペガサスの朝」を歌う酔っぱらいの声がかすかに聞こえた。
涙につられないようにしながら、一人を土台にしてその背中に乗り、留め金を元に戻した。
カチリという、いい音がして、留め金は元に収まった。
全ての留め金を元に戻し終えたとき、外の大合唱は「北酒場」に変わっていた。