今朝のNHK「日曜美術館」では「ミレー」の絵画のついての考察だった。
エライ評論家や所蔵者のご意見よりも、どっと重く心に残る言葉は
長い人生を、りんご農家として生きてこられた「木村秋則」さんの言葉でした。
「落ち穂拾い」の女性の指先が親指と人差し指だけではなく中指も働いているということ。
貧しい農民は、刈り取りの後に「落ち穂」を拾い、それまでも「糧」としたということ。
その背景には刈り取られた麦の束の山が見える。それはどこに運ばれてゆくのか?
あるいは「種まき」の農夫の手のなかから、蒔かれる種の勢いやその広がり方、夕暮れまでに蒔き終わらなければならないと
いう農夫の心の内なども見据えていました。
それはすべて「木村秋則」さんの少年期の記憶に繋がっているのです。
それを観ながら、ふと思い出した農業詩人の言葉があります。
それは「鳥瞰図」に対する言葉として「蛙観図=あかんず」「仰見図」「虫観図」という言葉の存在です。
それは農民の視線と同じことだと教えて下さったのはその詩人でした。
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