これは満州からの引き揚げの実体験に基づいて書かれた小説作品である。
1949年に日比谷出版社、1971年に青春出版社、1976年に中央公論社(現・中央公論新社)の中公文庫として刊行された。さらにこの本は、筑摩書房の編集部によれば「日比谷出版社版」をもとにして、本文をつくり、さらに著者の了解を得て、文章の一部削除したという。どこを削除したのかはわからない。もっと古い本にあたるべきか?この筑摩書房のものだって、かなり古いものなのに。
これは、27歳の母親一人で、6歳、3歳の男児、生後1ヵ月の女児を連れて、満洲の新京から釜山までの、命がけの逃避行の旅でした。日本への引揚が壮絶な旅となっています。よくぞ生き延びて下さいました。藤原ていさんの意志の強さに、子供3人の命は守られました。軍部とその家族は優先的に、「敗戦」と知った途端、帰国しているというのに。私の父も釜山まで軍ごと運ばれたが、家族を置いて帰国はできないと、父は釜山から哈爾浜の家族のもとに単身戻るという危険な2ヵ月の旅をしました。(軍の人間でもなく、たった一人の男として。)
このご本を一気に一日で読了しました。眼よりも体中が痛いです。父母も敗戦から帰国までの短い手記を残してくれましたが、そこに書かなかったことがあるのではないか?という思いは今もありますが。
また、敗戦後に父親がいてくれたこと。住んでいた哈爾浜から新京に移動して、そこで貧しく、時には危険な暮らしをしながら、時には中国人から仕事をいただいたりして、引揚の時を待ったことで、苦難の旅はなかったけれども、一体「新京」というところはどういうところだったのでしょう?
藤原家は昭和20年8月9日、即座に新京から釜山まで移動しました。私達一家は哈爾浜から10月26日に新京に移動し、翌年8月25日の引揚の日まで新京にいました。そこから葫芦島まで移動しました。藤原家の移動範囲は気が遠くなるような道のりでした。
まだまだ、わからないことばかりです。あの戦争を知ることは、もっともっと先のことのようです。
しかし、今の時代に再読されることを期待します。
(1977年9月30日初版第一刷 1985年10月5日 筑摩書房刊 ちくま少年文庫9)