朝日新聞の「折々のことば」に短く引用されていた長編詩「さくら」の全文です。
さくら 金子光晴
一
おしろいくづれ、
紅のよごれの
うす花桜。
酔はされたんだよう。
これもみすぎ世すぎさ。
あそばれたままの、しどけなさ。
雨にうたれ、色も褪めて、
汗あぶら、よごれたままでよこたはる
雲よりもおほきな身のつかれよ。
女はなんたる弱いものだらう。
家柄とあひ性でむすばれる
よい花嫁。
しきたりのまへの伏し目がち。
鉄気くさい貞操、女 今川。
水仕業、ぬひ針、世帯やつれて、
あるひは親たちのために身うりして、
あるひは愛するがゆへにしりぞいて、
あきらめに生きる心根のいぢらしさ。
それこそは、花の花。
花の下の小ぐらさ。哀しい仄明かり。
近々と花はおもてをよせながら
かたらひもえで
はやちりかかる風情。
染井、よし野。
遠山桜。
糸ざくら。
ことしの春を送る花。
この国のやさしい女たちの
いのちのかぎり、悔もなく
天にも地にも咲映えて。
八重一重
手鞠、緋ざくら、
遅桜。
二
戦争がはじまつてから男たちは、放蕩ものが生まれかはったやうに戻ってきた。
敷島のやまとごごろへ。
あの弱々しい女たちは、軍神の母、銃後の妻。
日本は桜のまつ盛り。
涙をかざる陽の光、
ちりばめる螺鈿、落花の卍、こずえを嵐のわたるときは、ねりあるく白象かともながめられ、
花にうく天守閣。ーその一枚のえはがきにも
胸をどらせて、人はいふ。
さくらは、みくにのひとごごろと。
にほやかなさくらしぐれに肌うづもれて
世のしれものの私は、陶然として、
ただおもふ。
さくらのなかをおよぎながら
おもふことは淫らなことばかり。
雪とちりまふ鼻紙よ
ぬけ毛、落ち櫛、
あぶらのういた化粧のにごり水。
ふまれたさくら。
泥になつたさくら。
さくらよ。
だまされるな。
あすのたくはへなしといふ
さくらよ。忘れても、
世の俗説にのせられて
烈女節婦となるなかれ。
ちり際よしとおだてられて、
女のほこり、よろこびを、
かなぐりすてることなかれ。
きたないもんぺをはくなかれ。
昭和19年5月5日
「寂しさの歌・金子光晴」は、その翌年の昭和20年5月5日に書かれています。
何故「端午の節句」に書かれているのか?
この作品はさらに長編となっています。この2編の詩は共に、詩集「落下傘・1948年刊」に収録されたものです。
「召集・金子光晴」という作品では、ご子息に召集令状が届き、それに対する金子光晴流の
「拒否」が書かれています。
そして、あきらかにそれぞれが「非戦」を意図した作品となっているのではないでしょうか?
ここでは3篇のみですが、金子光晴の詩には、さらにありますでしょう。