この絵画は、イギリスの画家ジョシュア・レノルズ(1723~1792年)が最晩年の1788年に描いた「マスター・ヘアー」です。
2歳の「フランシス・ジョージ・ヘアー(1786~1842年)」の肖像画です。
このころの就学前の男児がみんなそうであったようにモスリンの女児服を着て、長い髪形ですね。
何故このような風習があったのか?
一説によれば、女児の方が男児よりも生命力が強いので、その願いからとも言われていますが……。
リルケは1875年生まれですから、これは1877年の写真ですね。
これは「マスター・ヘアー」のような考え方からきたものではなく、
母親ゾフィアの屈折した考え方からきたのではないかしら?
「ゾフィア」は裕福な商家に生まれ、フランスの血をひくと自称し、
大皇紀のような黒衣を好み、虚栄心が強く、凡庸な夫のとの生活に幻滅して、
「リルケ=ルネ」を連れて別居します。そこで女の子として育てられました。
「ゾフィア」は「リルケ」よりも長生きをしていますが、
彼の生涯にわたる影響力を持っていました。良きにつけ悪しきにつけ・・・・・・。
今度はオランダの画家「ヨハネス・フェルメール・1632~1675」と
同時代の「ピーテル・デ・ホーホ・1629~1684」の描いた「食料貯蔵庫の女と子供」です。
この子も実は男の子です。肩布と金のボタンで、男の子だとわかるのだそうですが、
帽子、ドレス、髪型は女の子ですね。
さてさて、こうして男児が女児の服装で育てられた真相ははっきりとはしませぬが。。。
ブログHaizara-choを書いてらっしゃる方でいらっしゃいますか?ちょうど今、大山定一訳の「マルテの手記」を読んでいて上記の詩が出てくるところに差し掛かり、気になったのでググってみたら過去の記事を発見しました。2009年7月22日の記事です。ボードレールの詩に関して詳しく書いてあって有難い。齋藤磯雄訳のは難しくって何のこっちゃよくワカランのですが・・・。独語で読んでみたら、最後の部分はとても甘美でロマンチックな響きがあるなぁと思いました。でも、リルケは“おしまいの一節は別として”嘘は書いてない、と書いている。これは、過去の自分への嫌悪感というか否定というか罪悪感というか、兎に角ネガティブな内省だと思うのですがどうでしょうか?リルケ・・・全体的に暗いけど、(トラウマが大きかったんでしょうねぇ)その中に光があって、何か気になる!
2009年7月22日の記事というのは、古いブログに書いたものですね?
あんまり古くて、自分で探すのも困難でした(笑)。
ブログ(旧)の方は読書の進行具合に合わせて拝見させて頂きますね。先が見えちゃったら折角の楽しみが半減ですもの。(笑)
あっ!あと、新しい記事も楽しみにしております。
写真も、とっても素敵ですね。
ではでは。