阿部ブログ

日々思うこと

謹賀新年 2012年が始まりました~開運と福寿~

2012年01月01日 | 日記
あけましておめでとうございます。と、誰に挨拶してるのかわかりませんが~

年頭は、通常開運と福寿について考えるのが恒例でして、それについて徒然なるままに書いてみます。

開運と福寿?で思う人物は~それは“白隠禅師”である。
白隠禅師を知らない人も多いかも知れない。でも静岡県出身者で白隠さんを知らないのは、少々問題だ。。。

少々問題は、さておき何故か、開運と福寿というテーマとなると、白隠さんの子供の頃の話を忘れられない。
それは、こうゆう話し。。。

白隠さんは、沼津近郊の出身で臨済宗の僧侶ではあるが、白隠さんの影響は宗派の壁を軽くを超えた。白隠さんが亡くなった時、時の後桜町天皇は『神機独妙禅師』の贈り名を賜った程。さらに下って明治天皇も「正宗国師」の号を贈っている。これは凄い。
その白隠さんが、子供頃の話し~

白隠さんの自宅の裏には、一遍が立宗した時宗の西念寺があり、そこに休心房と言う念仏行者が滞在していた。
休心房と言う修行者はただ者ではないようだ。禅の修行だけでなく富士修験道や道教や陰陽道などにも精通していたようで、富士、三島、沼津・伊豆などを中心として活動するオカルティックな存在だった。
この休心房を白隠さんの父親はたびたび自宅に呼んで供応したらしい。
供応を受けた休心房は、子供の白隠さんを呼んで、ある「教え」を垂れたと言う。

その教えとは、
 ①しゃがんで小便をしろ!
 ②食事の汁の残りカスまで残さず全部喰え!
 ③北方を敬え!間違っても小便をしたり、唾を吐いたりしてはならない!! この3つの教えを守れば福寿を増すだろうと。

そして白隠さんは、この休心房の3つの教えを死ぬまで守った。
休心房の教えに、所謂、科学的な根拠は無いが、実は秘伝や秘技の類は案外シンプルなものなのではないだろうか。
今の我々は北方を気にしながら生活はしないが、しゃがまないにしても、立ち小便しないことはできるだろう。
オフィスビルや公共施設を除くと、新しい住環境ではトイレに男性用があることは珍しいのではないか?

白隠禅師には「夜船閑話」と言う、これまた有名な本がある。この本には「仙人還丹の秘訣」が書かれている。
また荘子が語った「真人は踵をもって呼吸をする」を地でゆく呼吸法を説いている。これは「丹田呼吸」だ。

臍下丹田に意を込めて次の3句を唱え、通常の息より長く長く長ーく吐くのだ。

 我が此の気海丹田、腰脚足心、総に此我が本来の面目、面目何の鼻孔かある。
 我が此の気海丹田、総に此我が唯心の浄土、浄土何の荘厳かある。
 我が此の気海丹田、総に是れ我が己身の弥陀、弥陀何の法をか説く。

この丹田呼吸法はにやら体によさそうだ。白隠さんを信じて励行するのも一興。


さて『開運』については、NHKオンデマンドで見た「プロフェッショナル 仕事の流儀」から。
去年2011年に放映された“マグロ漁の神様”と呼ばれる山崎倉(おさむ)さんを紹介した番組。
山崎さんは、青森県大間で釣り糸一本を操る「一本釣り」で100キロを超す巨大マグロをつり上げる最強のマグロ漁師だ。
厳寒の津軽海峡で巨大マグロを釣り上げる山崎さんにたハーマン・メルヴィルの「白鯨」に書かれている「モービィ・ディック」と戦うイシュメルやエイハブを観ずるのはあながち間違っていないだろう。

その山崎さんは、大マクロを釣り上げるとその心臓をえぐり取り、自宅に持ち帰り「海の神様」と「ご先祖様」に捧げるのだ。
「今日もこうして大マグロを獲ることが出来、糧を得る事ができた」と「感謝を捧げる」のだ。
自分は、こう思う。開運のキーは「感謝を捧げる心」と「ご先祖様への感謝」ではないか?と。

何故かと言えば『日本人が知らない本当の道教』と言う三多道長氏の著書を読んで、それを強く感じた。
山崎さんの強運は、ご自身の努力もさることながらご先祖様への供養を欠かさない、また感謝し続けた結果が大きいのでは?
山崎さんの継続した努力も、努力出来る環境があったからであり、それは山崎さんに与えられたもの。その与えられる因は何か?

三多氏の本に書いてる事を信ずるのは、こうゆうことだ。
つまり同書から引用すると「道教的生き方の根幹となるものは、こういった人としてなんでもない当たり前の心にあります。
神を礼遇したり、先祖や親、目上を敬い、家庭を大切にできれば、その延長である学校や職場といった大きな集団の中でも「和すること」ができます。
自然と目上から引き立てられようになったり、後輩から慕われたり、順調に事が運び、万事がうまく運ぶことへとつながっていうのではないかと思うのです。」

この文章の前には「天地自然の法則に則った生き方」「理と調和した生き方」が道教的生き方であると書いています。
あたりまえの事、それは神仏に礼する事、先祖や親を敬う事、国を愛する事、民族としての誇りを持ち、民族の文化を大切にする事、であると。

人間世界には「福」「禄」「寿」を備えた人がいるが、それは万事において常に天の佑けがある人、そういった存在となるには、秘密など一切無く、三多氏が言う道教的生き方、日本的には神道的な生き方。つまり日々生かされている事に対する感謝を捧げる生き方が「それ」であると。

そのような生き方が出来るようになりたいものだ。