阿部ブログ

日々思うこと

大正天皇の漢詩 ~示徳大寺實則~

2014年12月31日 | 雑感
明治系天皇、即ち明治天皇、大正天皇、昭和天皇の中で一番優秀なのが大正天皇であるとする意見を聴くことが多い。行啓の折の様々な発言や奔放な行動は周囲の者を困惑させた事は有名であるし、国会で紙を丸めて宮中の政策に反対する議員への望遠行為は痛快でさえある。
在位は短かった大正天皇であるが、個人的には意思明解なグローバリストだと思っている。その意思を昭和天皇は受け継いだが、大元帥としての戦争指導が稚拙で300万の将兵を失った。しかし戦争に負けた結果、大元帥である必要は無くなったので軍服を、脱いでビジネスに専念できる事となった。

過去ブログ「昭和天皇 と ロッキード事件
       「トイスラー記念館を設計した息子の『天皇の陰謀』で翻訳されなかった大正天皇クーデターの章

この大正天皇が漢詩を嗜んだ事は知られていない。大正天皇はその生涯で1367首の漢詩を詠んでおり、125人の天皇の中では最大にしてダントツ。その全ては宮内庁の『大正天皇御集』に納められている。1948年と1960年に『大正天皇御製詩集』が出版されているが、大正天皇を評価する時代が到来し、2000年に原武史の『大正天皇』が出版され、2009年に石川忠久の『漢詩人 大正天皇~その風雅の心~』、2014年には『大正天皇漢詩集』が出版されるに至っている。

酒と女に明け暮れた明治天皇が死んで大正天皇となった明宮嘉仁は、大正元年に「示徳大寺實則」を詠んでいる。

          夙賛中興諧聖衷
          星霜四十寵恩隆
          喜卿謹恪無儔匹
          奨美拾遺全終始

徳大寺實則は、明治天皇の内大臣兼侍従長などを34年努めた人物。大正天皇は彼の忠勤を言葉を尽くして褒め称えている。

徳大寺家は、五摂家/清華家の一角を占める公家である。五摂家とは、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五家。清華家は摂家に次ぐ家格で三条、今出川、大炊御門(おおいみかど)、花山院、久我、徳大寺、西園寺の七家。後に醍醐、広幡を加えて九清華と呼ばれた。五摂家、九清華につづくのが大臣家で、中院、正親町三条、三条西の三家。
徳大寺實則の弟には、最後の元老 西園寺公望や、後に住友家第十五代当主となる徳大寺隆麿がいる。お公家さんが住友家の当主とは妙な話だが、明治23年、突如として12代目友親と13代目友忠が相次いで死去。徳大寺隆麿は、友忠の妹と結婚して住友家の当主として住友吉左衛門を襲名した。