「そして、また普通の生活に・・・・・・・の巻」
私は座席に座り、離陸するのを待った。
しかし、いつまで待っても離陸しない。そのうちアナウンスがあった。
「まだ、お一人のお客様がお戻りになってません・・・・・」
必ずこういう人間が一人くらい、いるものである。
「・・・10分・・・・20分・・・・・30分・・」
おいおい、ふざけるなって感じになってきた。
アナウンスが入る
「いましばらく、お待ちください・・・・・」
「・・・40分・・・・50分・・・・・1時間・・・」
もう、シャレでは済ませられない状態である。
「・・・・・1時間30分・・・・・」
アナウンスが入る。
「機長判断により、お客様の安全を考慮し、荷物を降ろします・・・」
荷物だけ成田に着いてしまったら、いろいろ面倒なのだろう。
その時、トランシーバーを持った乗務員が走ってきた。
「いました!いました!」
アナウンスが入る。
「大変、お待たせしました。ただいまより離陸体制に・・・・」
なんと、予定より2時間遅れだ。
飛行機にその人間が入ってきたら、どんなやつか見てやろう、と
思っていたが、エコノミーには入ってこなかった。
前のビジネスクラスあたりの人だったのかもしれない。
しかし、国際線の飛行機を2時間遅らせる、ということがどれだけ重大
なことなのか、その人は知っているのだろうか。
それにしても、きままな旅でよかった。
団体のツアーだったら、帰りの新幹線の指定席やら、何から何までパーだ。
ツアーコンダクター、成田に着いたら大変だぞ。ご愁傷様だな。
やっと、離陸した。あと2~3回、目が覚めれば成田だろう。
機体が細かく揺れて、目が覚めた。
成田の上空は気流の状態が悪いらしいから、近いのかな。
そのうちアナウンスがあった。
「まもなく新東京国際空港に・・・・・」
ここまでは、よかったが・・・・
「ただ今が、免税品をおもとめになる最後のチャンスでございます」
ガクッ、客室乗務員はそんなことまでしなければならないのか。
言い忘れたが、免税品は国際線の機内でも、船内でも買える。
ただし飛行機は離陸してから着陸まで、船は日本の領海外に
出てから売店が開店する。
車輪が地面に着く衝撃がした。やっと、日本に帰ってきた。
動く通路を通って空港に入ると、搭乗を待っている人がいた。
一週間前の自分の姿だ。
エスカレーターを降りて、税関の前にきた。
高速道路の料金所のようだ。
「赤」や「青」のランプ、アライバル(来日)、帰国の表示がいっぱいだ。
私は帰国者で課税対象者(たばこ)なので「赤」の「帰国」だ。
列の最後尾にならんだ。
これからテレビでよく見た、スーツケースを空けて「これは?」とか
聞かれるシーンがあるのだろうか。
前の人の様子をみてると、全然そんな気配はない・・・・
すべて、書類をみて終わりだ。
これは、あくまで私の推測だが、海外旅行者が激増している今、全員
の手荷物を検査するのは事実上不可能なので、「こいつは、あやしい!」
という人物以外は簡略化しているのかもしれない。
たぶんプロは雰囲気でわかるのだと思う。
おっと、私の番がきた。
税関「何を、お買いになられました?」
私 「たばこ、400本です。内容証明がこれです。」
税関「他には?」
私「ないです。」
税関「わかりました」
税関職員はコンピューターにパスポートを入れてキーを打っている。
でてきた書類を私に渡してこう言った、
「この税金を後ろの日銀の窓口で納付してください」
書類には「たばこ消費税 1000円」と記入されていた。
値段が倍近くになってしまった。まあ、1000円だからいいか。
京成成田駅には階段専用のポーターがいるのだが、なぜいるのか、
わかった。みんな手荷物が尋常でないほどある。
これで長いくだりはきつい。
私は貧乏旅行なので、その点は楽だ。
上野に着いてスカイライナーを降りた。
きゅうに全身の力がぬけた。
「ここまでくれば、なんとかなる」、そう思ったらガクッときた。
成田では感じられなかったことが上野では感じられた。
東北人にとって上野は、そういう場所だ。
母親も上野駅から電話したとき、
「今どこにいるの?上野?あーよかった」
と言っていた。
母親も、上野まできたらあとはなんとかなる、と思っていたらしい。
あとは郡山に停車する新幹線に乗ればいい。最悪、郡山くらいなら親父にでも
迎えにきてもらえる。
そう思ったら急に腹が減った。
上野駅の広小路口の地下から、そばのいい匂いがした。
よし、そばを食ってもうひとがんばりだ。
新幹線に乗った。自由席にした。
郡山までなら、最悪、立ってでも大丈夫。知っている、ということはこれほど
力が出るものなのか、と改めて思う。
幸い新幹線は座ることができた。郡山まで、あっという間だった。
郡山で在来線の乗り換えに1時間待った。
1時間なんてすぐ過ぎた。
郡山から近所の人と乗り合わせた。
「どこに、行ってきたの?」
「ちょっと、ヨーロッパまで」
「へえー、いいなあ」
そんな、たわいもない会話をしていた。
列車が喜多方駅についた。
めずらしく、親父が車で迎えにきていた。
昭和一桁生まれの怖い親父で、授業参観、三者面談などは
いっさい出たことがない人だった。
それなのに、やっぱり海外一人旅となると事情が違うものなのか。
家についた。
「ただいまー」
母親の第一声「おかえり、凱旋門見らんにがったべ!」
「何で、知ってんの?」
「ニュースでやってたもの!ガハハハ!」
とりあえず、話はあとだ。
タイトなスケジュールを組んだので、明日から会社だ。
また、普通の生活が始まる。しょうがない、がんばるしかないか・・・・・
これにて「行ってきましたパリ撮影旅行」全編、終了です。
長い間、ご愛読ありがとうございました。
* 2015年 追記
私が出かけた後、母親は
「もしかして、飛行機に乗りそびれて、言い出せなくて東京をウロウロ
しているんじゃないか」と心配していたそうです。
1日たっても連絡がないから、
「本当に出発したんだ」
と思ったそうです。
いくつになっても、子供は子供なんですね。