あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

磐越西線沿線の風景 番外編 その2

2019年08月15日 01時00分00秒 | 写真

  

黒磯駅(写真なし)

  

東京方面にいくには、今ほぼ100%新幹線を

利用するので、東北本線のこの駅は、本来

スルーで良いはずなのだが、けっこう思い出が

ある。

なぜ、福島県人の私が、この駅に記憶があるのか。

それは、当時の国鉄(現JR東日本)の変電所の都合

が関係していたのだ。

簡単に言えば、この駅で架線の変電所が変更に

なり、適応できない普通列車は「黒磯行き」に

なるのである。具体的には、ここより南は直流、

北は交流だ。

従って直流・交流専用電気機関車は通過できない。

子供の頃、これが不思議だった。

今は理由がわかるので、「なるほど」と思う。

  

今はわからないが、当時は上野行きの急行とかに

乗ると、この駅を通過するとき、一瞬車内灯が

消えた。

どちらの架線もない所を、惰性で走行するのだ。

当然、その間は電力が供給されないので、車内灯

が消えるのだ。

そして、新しい変電所からの架線につながって、

再び車内灯が点灯するのだ。

その間、約1~2秒。

テレビかなんかで見たが、線路の標識にもこの

区間には、「停車禁止」の標識が出ているらしい。

動力がないので、惰性で乗り切ってもらわなけれ

ばならないからだ。

それが、うっかり運転手がこの区間で停車して

しまい、自力走行できなくなり、牽引されること

になった事例がある、ということだ。

  

そしてこの駅の名物は・・・「釜めし」。

うん?釜めしは碓氷峠の横川駅の

「峠の釜めし」じゃねえの?

と思われるかもしれないが、ここの釜めしも

けっこう有名だったのだ。

 

   

 


磐越西線沿線の風景 番外編

2019年08月12日 01時00分00秒 | 写真

  

上野駅(写真は東京駅)

  

上野駅は、昔の東北人にとっては

「The東京」なのである。

理由は簡単。東北本線、常磐線の

始発駅であり、東北新幹線が東京駅まで

つながる前までは、ここが始発だった。

大昔の歌に「ああ、上野駅」というのがあるが、

けっこう最近まで東京の玄関口だったんだよ。

東北新幹線が東京駅まで開通した後でも、

私は上野駅で降りていた。

理由は、上野の森に博物館、美術館が集中

していたからだ。

もっと時間があれば、動物園にも行ける。

今から50年以上前、東京に住む母の友人から

遊びに来い、と言われて行った場所で、

記憶にあるのが、羽田空港、赤に白い線の

地下鉄(銀座線?)、上野動物園のモノレールだ。

東京に行くのだから、と買ってもらった白い

コートをチョコレートでベチャベチャにして

怒られた。

  

ちなみに、国立西洋美術館の「ロダンの考える人」

の像は本物である。

ロダン博物館にも同じ物があるがなぜ?と思う

かもしれないが、オリジナルから型を取り、

ロダン本人が複数制作したので、どちらも本物

なのである。

浮世絵も版画(リトグラフ)なので、どれも本物

だよね。

しかし、最初の版木がすり減っていないものと、

後期の物では、値段が全然違うらしい。

版木があるといくらでも作れるから、価値が

上がらない。

従って、初めから決められた数だけ刷って、

あとは版木を壊してしまう人もいる。

サインと一緒に、エディションナンバー

(1/300)とか記入されているのは、このためである。

東北新幹線が上野まで開通するまでは、大宮で

「新幹線リレー号」というのに乗り換えた。

大宮駅に降りたのは、それが初めてだった。

新幹線を利用している人(大宮下車以外)すべて

の人が利用するので、全員乗れるだけのキャパは

あるのだが、なぜかみんな走っていたね。

  

現在でも不満なのが、東京-大宮間は東北新幹線

は「本気を出していない」のである。

新幹線からしたら「徐行」してるのである。

騒音問題とかで、そうなっているらしい。

せっかく、白河あたりで、日本の鉄道営業速度の

最高を出しているのに、プラマイゼロのような

感じだ。

  

友人と車で東京に遊びに行ったときも、浦和で

車を駐車場に入れて、そこから京浜東北線で

上野に降りた。

「俺、首都高、運転する自信ねえ」と言われた

からである。立場が逆でも、そう思ったろう。

蕨を「わらび」と読むんだ、と初めて知った。

路線図をジロジロ見ると、田舎者がバレるので(笑)、

さっと見て、「次は赤羽だな。まだだ」と思う

わけよ。

早く着きすぎて、上野公園で時間を潰したが、

公衆電話ボックスの中の、分厚い東京のタウン

ページが「上」「中」「下」と3冊に分かれて

おり、「東京ってすげえな」と思った。

食事は大体、聚楽か上野駅の公園口2階にある

日本食堂。ロゴマークが新幹線0系なんだよね。

味はまあまあなんだが、米所の人間からしたら、

米がねえ・・・イマイチ。

  

原宿にいった時、竹下通り入口にあった、

アッシュビルの2階にあった喫茶店で、クレープ

なるものを初めて食った。

そのときは、「ふーん、なるほどね」くらいに

しか感じなかったよ。

  

JR神田駅から神保町まで歩いた。

どうせ、たいしたことないだろ、と思っていたが、

けっこう距離があった。

あのころは、古書店街からスキー用品街に変わる

ころだった。

カレー屋なんて、ほとんどなかったよ。

書泉グランデを見たときは、「ビル全部、本屋

かよ」とびっくりしたものだ。

  

雑誌とかで紹介されている所に行こう、ということ

でアマンド(喫茶店)に入るためだけに六本木に

行った。

今思えば、六本木というのは場所であり、そこに

行っても、何かが始まるわけではない。

ただの、交差点である。

三越本店に行くだけのために、日本橋に行った。

今は少なくなった、エレベーターガールが

手で年代物の扉を閉めていたよ。

今なら、ライオンの像の前で自撮りとか

するんだろうな。

近頃行った、銀座4丁目にある三越銀座店は

大きかったね。有名な和光(時計台)の向かいだよ。

免税フロアーがあり、日本にある日本の店なのに、

日本人が入れないのだ。

東京無線のタクシーに乗ると「東京に来たな」

と実感するね(笑)。

今は、自動で領収書が出るのな。

会社の経費で落とす人が多いからなんだろうな。

和光の隣が、しばらく地価日本一をキープ

していた、山野楽器だ。

そのまた隣が、たしかミキモト真珠。

なにせ、三越の喫煙室から外を眺めていた

からねえ。

 


磐越西線沿線の風景 23

2019年08月09日 01時00分00秒 | 写真

  

郡山駅

  

言わずと知れた、福島県でNo.1の都会である。

面積的には「いわき市」方が広いのだが、

そのほかの面においては、ほぼすべて郡山市

が一番である。

嘘か真か、大昔「県庁を郡山市に移そう」

という噂があったらしいのだが・・・

この街が発展した理由は、ほぼ場所的な

アドバンテージがすべてである。

東京方面にも、仙台方面にも、いわき方面

にも、会津方面にも行きやすい。

道路、鉄道の要衝なのだ。

  

私が学生のころは「郡山市は治安が悪い」

と聞かされていた。

その頃は「ふーん、そうなんだ」と思っていたが、

今はそんな話はきかない。

もっとも、あれだけ人がいれば、そりゃいろんな

人がいるわな。

  

今まで会津人の「大人へのハードル(笑)」を

説明してきた。

チャリでの塩川町、列車での会津若松市。

そして最後が、免許を取っての郡山市である。

初めて自分の運転で行ったときは感動した。

まだ、うすい百貨店が、第一うすい、第二うすい

と2つあったころである。

どっちだっけか?第二うすいだったかな。

入り口が生臭いんだよね(笑)。

そりゃ、店頭に鮮魚、精肉コーナーがあれば

そうなるわな。

第一うすい(?)の二階に喫茶店があって、

よく時間潰しに使っていた。

今は違うが、昔は化粧品コーナーが大量に

あって、こっちは別の匂いでむせかえっていた。

あのころ、浅野ゆう子がうすい百貨店の

イメージキャラクターをやっていて、店頭で

サイン会をやっていた。

偶然、その場に居合わせたが、まだ売れて

なかったのでスルーした。

今思えば、失敗したかな、という感じだ。

当時から綺麗ではあったよ。

しかし、そのうすい百貨店も、今と当時とでは、

経営者が違う。

「天下のうすいが?」という感じだったね。

経営とは難しいね。

当時の、西武、丸井もなくなってしまった。

西武は駅前の、今のヨドバシカメラの場所に

あった。

シャネルは当時、うすいではなく、西武の1階に

あった。

シャネルで買い物をして、最上階のパスタ屋さん

でランチというのが定番だった。

その隣のそば屋さんで、はじめて1,000円以上の

そばを食った。

「そばって、こんなに高いのかよ」と初めて

思った。

なにせ、それまでは「そばと言えば、駅そば」

だったから。

そば湯も、初めて体験した。

ちなみに、当時の西武の1階にあったシャネルで

チーフから指導を受けていた人が、現在のうすい

百貨店のシャネルコーナーのチーフである。

 

駐車場は駅前の、24時間営業のとこね。

エレベーターがションベン臭かった(笑)。

たしか丸井と提携していて、買い物をすると

割引券をくれた・・・イヤ、割引のパンチを

入れてくれた。

ここら辺は、記憶が曖昧です。

金がないときは、4号線とさくら通りの

交差点(歩道橋)近くの楽器店に寄って、

そのまた近くのクラシック喫茶に入り浸っていた。

だいたい、この手の喫茶店を経営してる人は、

こだわりが強い。

こだわったカレーを食いながら、マスターの

うんちくを聞くのが楽しかった。

楽器店は今でもあるが、クラシック喫茶は

もうない。

なにせ、CDが出る前の話だからね。

たぶん、名前は「田園」だったような・・・

違っていたら、スマン。

  

駅前からうすい百貨店に行く道路に半地下の

喫茶店があった。

「陣屋」と呼ばれる地区だ。

そこで、キリマンジャロを注文すると、コーヒー

にコーヒー豆が一粒浮かんでいた。

「都会はなかなか、洒落たことをするね」

と思ったよ。

私の学生の頃は、ちょっとしたコーヒーの

ブームがあった。カリタなどのペーパー

フィルターのドリッパーが出だした頃だ。

キーコーヒーも「トアルコ・トラジャ」なる、

高級豆を販売していた。

家にミルがない人は、スーパーのコーヒー豆の

コーナーに設置してあるミルで挽いてから、

持ち帰っていたよね。

その瞬間だけ、そこら近辺が良い匂いがしていた。

ちなみに、高級豆の代名詞である「ブルー

マウンテン」は、生産量と取引量が、桁違いに

違うそうである。

簡単に言うと、偽物が多い、ということ。

まあ、米でもあることだから、コーヒー豆でも

あるんだろう。

ちなみにのちなみに、そばの偽物も存在する

のだよ。

やはり何でも、ブランド品は儲かるのだ。

 

 


磐越西線沿線の風景 22

2019年08月06日 01時00分00秒 | 写真

  

郡山富田駅

かなり最近、できたばかりの駅である。

  

「どうせ49号線沿いだろ?」とすぐにわかる

と思っていた。

ちなみに、私のカーナビにはまだ、表示されて

いない。

しかし、探したねえ。

ここから、磐越西線と国道49号線が分かれるのよ。

情報として「近くに奥羽大学がある」と

いうことがわかっていたので、大学を目指す

ことにした。

かっての知らない市街道路を、カーナビと

にらめっこで進む。

けっこう、線路沿いに進むって難しい。

そしたら、大学のすぐ近くに、それらしき建物

が・・・

うおっ、あった。

  

さすが、駅舎がきれいだね。

しかし、都会で新しく駅舎を建設するとなると、

土地の買収とかが難しくなり、けっこうムリして

建てているな、という感じがする。

しかし、セブンイレブンの駐車場の脇から駅の

階段を登るなんて、うまくできすぎ。

まあ、利用者にとっては便利なのだが。

初めから、計画的に「セットで建設」みたいな

感じだったのかもしれない。

「大学のために建設した」と言えば、言い過ぎ

かもしれないが、大学の学生・関係者・郡山の

中心地への通勤・通学者を考えれば、充分に

採算の取れる駅かもしれない。

 

  

 


磐越西線沿線の風景 21

2019年08月03日 01時00分00秒 | 写真

  

喜久田駅

  

もう郡山市の一部である。

東京で例えるなら、山手線の駅が違う

くらいのニュアンスである。

道路が片側2車線であり、会津人からしたら

運転に集中しているため、周りを見ている余裕が

ない。失礼ながら、ただ通過するだけの

場所である。

トラックターミナルのような「郊外型施設」が

多くある場所だ。

巨大な「イオンモール」があり、いつも人が多い。

しかし、確か国道4号バイパス沿いだったので、

駅からはけっこう、距離があったはず。

  

極めて個人的な印象を申し上げれば、

「喜久田といえば、歩道橋とセブンイレブン」

なのである。

なぜって?だから個人的な印象なので、

特別な理由はない。