Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

醜い日本の私

2007-01-05 09:41:31 | 読書
中島 義道「醜い日本の私」新潮社 2006/12

-----内容(「BOOK」データベースより)
なぜ日本人は「汚い街」と「地獄のような騒音」に鈍感なのか? 我々は美に敏感な国民である。欧米人に比べても、心使いが細やかで洗練されている。しかし、いや、だからこそ、この国には騒音が怖ろしいほど溢れかえり、都市や田舎の景観は限りなく醜悪なのだ! 「心地よさ」や「気配り」「他人を思いやる心」など、日本人の美徳に潜むグロテスクな感情を暴き、押し付けがましい「優しさ」と戦う反・日本文化論。-----

この要約には注釈が必要だ.「汚い街」とは,ごみだらけという意味ではなく,写真(16トン撮影)のように,地上にはみ出したけばけばしい看板や自動販売機,空を仰げばとぐろを捲く電線という街の光景であり,「地獄のような騒音」は,主として「ああしましょう・こうしましょう・こうするのはやめましょう」という,公共空間での放送を指す.

ただし,平均的日本人にとっては,醜いから不快と言うことにはならない.最後の美・醜・快・不快の論理和・論理積の図はなるほどと思わせる.この写真のような猥雑な風景にある種の心地よさを肌で感じるのが日本人かもしれない.著者自身はこのような風景を不快とするご自分を,迫害されているマイノリティと定義している.記述はヒステリックであり,面白いが閉口でもある.

要約にあるように,この本は「日本文化論」である.日本文化は「ことばを信じない文化」である.交通安全週間と称して,道路に横断幕をわたし,たすきを掛けてティッシュを配ったりする.しかしそんなことで交通事故が減るとは誰ひとり信じてはいないのだ.コンビニゃファーストフード店のアルバイトの客あしらいのロボット的な言動もやり玉に挙げられる.

ただし,著者は怒り狂うのみで,積極的な対策はなにひとつ呈示しない.日本でも無電柱化など細々とではあるが進行している.しかしここでは敢えて無視しているようだ.分析すれど創造せず.哲学者とはそういうものなのだろう.意地悪な見方をすれば「美しい日本」とか喧伝されている時期にこのタイトルの本を出すという商魂 ? はうかがえる.
コメント (2)
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