大森 荘蔵, 坂本 龍一 「音を視る、時を聴く [哲学講義]」ちくま学芸文庫 (2007/4)
単行本は1982.
生徒坂本 (若き日の教授) に対して先生大森が講義するという体裁.
見返しに大森先生は東大理学部物理学科卒とある (4 年後に文学部哲学科卒).その割にか,その為にか分からないが,けっこう物理を目の敵にしている感じ.
「今」という瞬間に対する問題は,フーリエ変換の不確定性原理につながると思うし,知覚的世界と物理的世界は,量子力学の観測の問題とつながるはず.このあたりをご存知でないわけがない.敢えて無視されているようだ.
ときどき,特に坂本の発言には共鳴できる瞬間がある.大森先生は,生徒の言うことを「でしょうね」「いい指摘ですね」などと一応首肯し,その後は自分の好きな方向に議論を発展させて行く.いかにもセンセーらしい.
これが哲学というものなら,哲学とはどうでもいいことをぐだぐだ言うものであるとの感じを受けた.縁なき衆生は度し難し,というところ.
どうでもいいことが,学問の原点なのかもしれない.かくいう私も英訳すれば Ph.D. (哲学博士) となる学位を看板に,他人にとってはどうでもいいことをぐだぐだやって,長年月給を貰って来たのだけれど.
単行本は1982.
生徒坂本 (若き日の教授) に対して先生大森が講義するという体裁.
見返しに大森先生は東大理学部物理学科卒とある (4 年後に文学部哲学科卒).その割にか,その為にか分からないが,けっこう物理を目の敵にしている感じ.
「今」という瞬間に対する問題は,フーリエ変換の不確定性原理につながると思うし,知覚的世界と物理的世界は,量子力学の観測の問題とつながるはず.このあたりをご存知でないわけがない.敢えて無視されているようだ.
ときどき,特に坂本の発言には共鳴できる瞬間がある.大森先生は,生徒の言うことを「でしょうね」「いい指摘ですね」などと一応首肯し,その後は自分の好きな方向に議論を発展させて行く.いかにもセンセーらしい.
これが哲学というものなら,哲学とはどうでもいいことをぐだぐだ言うものであるとの感じを受けた.縁なき衆生は度し難し,というところ.
どうでもいいことが,学問の原点なのかもしれない.かくいう私も英訳すれば Ph.D. (哲学博士) となる学位を看板に,他人にとってはどうでもいいことをぐだぐだやって,長年月給を貰って来たのだけれど.