荷物預けはコインロッカーではなく、引換券をもらって引き取るときに時間に応じて支払うシステム。雨はやみそうだし、傘はおいていこう。
大陸移動モードから市内移動モードに移るための荷物の入れ替えに時間がかかってしまった。待ってくれた係の方、すみませんでした。
身軽になった。
予定は、サラエヴォ観光の後この日のうちにモスタルへ。バスは15:30というのがあってこれだと18:00頃モスタル到着の予定だ。これは確かな情報。
そして鉄道もあるらしいのだが不確か。駅に行って調べてみよう。
駅はバスターミナルの隣ということで入ってみたが、その建物は違った(郵便局だったか?)。駅はそのさらに隣だった。
駅の建物に入ってうろうろしていると、真ん中の椅子に座ってるおばさんが自分を切符買おうとしてる人だと思って「あっち」という感じで、切符売り場を教えてくれた。
サラエヴォ16:26 → モスタル18:27ってのがあるね。
これも頭に入れておこう。
さて、観光開始。やっぱりサラエヴォオリンピックの跡地に行きたいな。
この大会、日本の注目は金メダル確実と言われたスピードスケートの黒岩彰。
しかし、無念の大会だった。当時は一発勝負で、抽選でスタートは4組アウト。
アウトスタートだとスピードが乗って滑る第二カーブがインになるのでちょっと不利。
雪で開始時間が遅れて待たされる不運もあって10位くらいだったか。
伏兵の北沢という選手が銀メダルを獲得した。黒岩としてはどんな心境だったか。
雪辱を期した4年後のカルガリーではなんとまたしても4組アウト。同組の確かマイという選手に負けたが、銅メダルを獲得したのは立派だった。
オリンピック会場に行くのには少し線路に沿って北へ。線路渡ってる人がいる。ここでは普通なんだろうな。
ボスニア・ヘルツェゴビナでも活躍する世界のKOMATSU。
トンネルを抜けるようだ。歩道もあり、すれ違う人も数人いた。
トンネルを抜けるとオリンピックの塔が見えてきた。
探さなくても墓地が見えるってのはなぁ。。。
もはや塔は目の前
オリンピック記念館、なんと入場無料。
過去のオリンピックのポスターが並んでいる。1964のTOKYO五輪も。
数年後には、白と紺の模様が追加されるのかな。
多分サラエヴォオリンピックで使われた品々なんだろう。
このマスコット、そういえばこんなキャラクターだったか?
記者会見会場?
開会式ではユーゴスラビアはこのプレートを先頭に行進したのかな
隣の建物にもちょっと入ってしまった。スタジアム?
すぐ隣にも墓地が。没年がほぼ同じ時期だ。この人たちの産まれ年を見ると辛いな。
自分は社会派ではないが、出発直前にbookoffで見つけたこの本を読んでおいた。ボスニア紛争を正面から扱った本はなかなか完走できなかったが、これは読みやすかった。