今日、タイミングよく?悪く、友人から電話が来て、
母の話題になった
母からの電話のあとだったので、ちょこっと母の愚痴を言ってしまった
すると、
「お母さんをそんな風に扱うなんて、あなたなにやってるのよ」
「全部、お母さんのせいにしている」
「自分がラクになればそれでいいわけね」
「自分は悪くないってわけね」
AC、モラを知らないひとに説明するのは不可能だ
ACの概念は、
「貴方は悪くない」「親のせいにしていい」から始まる
私はこの一節に救われたのだ
そのひとことで涙が出たのだった
そのひとは、健康な家庭で育って幸せだ
「あなたにはわからない」とは思わなかった。
理解してもらもう必要はない
だいたい、理解してもらう方法がわからない。
「母は変わらないわ」
というと、
「きっと解決できよ!」
とそのひとは言った
力なく笑った
母の話題になった
母からの電話のあとだったので、ちょこっと母の愚痴を言ってしまった
すると、
「お母さんをそんな風に扱うなんて、あなたなにやってるのよ」
「全部、お母さんのせいにしている」
「自分がラクになればそれでいいわけね」
「自分は悪くないってわけね」
AC、モラを知らないひとに説明するのは不可能だ
ACの概念は、
「貴方は悪くない」「親のせいにしていい」から始まる
私はこの一節に救われたのだ
そのひとことで涙が出たのだった
そのひとは、健康な家庭で育って幸せだ
「あなたにはわからない」とは思わなかった。
理解してもらもう必要はない
だいたい、理解してもらう方法がわからない。
「母は変わらないわ」
というと、
「きっと解決できよ!」
とそのひとは言った
力なく笑った
たびたびお邪魔して、ごめんなさい。
ちょうどわたしも同じことを考えていたところだったので、とても共感を覚えました。
ACに限らず、どんなことについても言えるのかもしれませんが、相手(友達)がほんとうに興味を抱き、積極的に知ろうとしなければ、どんなに説明してもわかってもらえないことって、あるんですね。
人間はたいてい、自分の知識の範囲内でしか物事を考えないから、その人にとって常識外のことを言うと、せいぜいよくても「へえ、そうなんだ」という気のない返事、悪くすると「それはおかしい」という否定になってしまいます。
そんなふうに否定する人が、自分にとって大事な相手(友達)だったりすると、とても淋しいのですが、わたしもアッちゃんと同じように、仕方のないことなのだと割り切るようになりました。
でもその反面、「この人はわかってくれないだろう」と思われる人に話したら、意外によく理解してくれたりするから、人間っておもしろいな、と思います。人生、捨てたもんじゃありませんね。
マーチさんも同じようなことを考えてらしたんですね
「わかってもらえない」ことは予想できていたんですが、やはりいい気持ちではないですね
かといって「わかってほしい」とまでは思っていません。わからないのが「普通」の感情だと思います
そのひとは幸せな家庭に育ったのだと。
そのことは心から「よかった」と思えるのです。
私のやっていることは世間の常識からしたら「親不幸」でしょうから。
「親不幸」な行いが、自分のためにも親のためにもなるなんて、健康な人間ならありえないことでしょうからね
まさか同じ体験をして、AC、モラハラについて勉強してもらうわけにはいきませんものね
人間って面白い、人生って捨てたもんじゃない
そんなふうに思えるマーチさんは素敵です