先週、母から「贈りもの」が届いた(苦笑)
「ありがとう」と言わないわけにはいかないので、イヤイヤながら電話
母の対応によっては、何故モノをもらうのが嫌なのかをはっきりさせるチャンスと
前向きにとらえて、受話器をとった
母:たいしたものも入れてないけど~
と、低姿勢。
これも想定内だったのでまずまずこんなものかな
どうも、私が暴いてやる!と気負っていると察知するような・・・
違うかな?
話は中学生の息子の話題に。
受験にむけて大変だろうという話をふってきた
ここで
【大変なのよ!】
と訴えたら、
【そ~れみたことか!私のときはね×△■#”’%!!!!】
と独演会が始まることは必須なので、
「それが仕事だから」
と言っておいた
すると
母:そうやね
終わり。 よかった 独演会を聞かされなくて^^
あ、これも言っておけばよかった
【本人はもっと大変だから!】
って。
*******************
母の場合
受験、看病、仕送り
すべて自分がどんなに大変だったかを滔々と語る
もちろん、大変なのはわかるのだが
なにも始まってないうちから
「ワタシが大変なのわからないやろ!」
「感謝なんて全然してないやろ!」
と攻撃してくる
そこにコミュニケーションのまずさがあるのだろう
受験する本人、闘病する本人の立場は全くみえていないのだ
*これだけやっても感謝されないのじゃないだろうか
*これだけやってもわかってもらえないのではないだろうか
不安の裏返し。
なにがそんなに不安にさせるのだろう
ひとを信じることができないのか?
母から
「受かってよかった。がんばったね」
「治ってよかった。生きてて良かった」
の言葉は聞いたことがない
「ありがとう」と言わないわけにはいかないので、イヤイヤながら電話
母の対応によっては、何故モノをもらうのが嫌なのかをはっきりさせるチャンスと
前向きにとらえて、受話器をとった
母:たいしたものも入れてないけど~
と、低姿勢。
これも想定内だったのでまずまずこんなものかな
どうも、私が暴いてやる!と気負っていると察知するような・・・
違うかな?
話は中学生の息子の話題に。
受験にむけて大変だろうという話をふってきた
ここで
【大変なのよ!】
と訴えたら、
【そ~れみたことか!私のときはね×△■#”’%!!!!】
と独演会が始まることは必須なので、
「それが仕事だから」
と言っておいた
すると
母:そうやね
終わり。 よかった 独演会を聞かされなくて^^
あ、これも言っておけばよかった
【本人はもっと大変だから!】
って。
*******************
母の場合
受験、看病、仕送り
すべて自分がどんなに大変だったかを滔々と語る
もちろん、大変なのはわかるのだが
なにも始まってないうちから
「ワタシが大変なのわからないやろ!」
「感謝なんて全然してないやろ!」
と攻撃してくる
そこにコミュニケーションのまずさがあるのだろう
受験する本人、闘病する本人の立場は全くみえていないのだ
*これだけやっても感謝されないのじゃないだろうか
*これだけやってもわかってもらえないのではないだろうか
不安の裏返し。
なにがそんなに不安にさせるのだろう
ひとを信じることができないのか?
母から
「受かってよかった。がんばったね」
「治ってよかった。生きてて良かった」
の言葉は聞いたことがない
タラ夫は弱さを見せることはないのですね
その点については一貫性があるのかしら?
我がモラ母は、自信満々で何様?と思うように振舞ったかと思うと
「私はバカだから」「お人好しだから」
とコロコロ変わります
被害者になるのもうまいうまい!!笑
その一貫性のなさにこちらは混乱してしまいます
ひとを混乱させることが目的だったんだから
母は達成感をいつも得ていたのかな~って思います
自慢話の多い人間は劣等感に苛まれている
といいますよね
母をみてて思うのですが、
ほんの1秒でも1ミリでも自分と向き合ってみたらこんな風にならなかったのに
と思います
今さら遅いですけどね
ご賢察のとおり、タラ夫は自分の弱さを見せようとはしません。不完全な自分を見つめたら精神的に崩壊してしまうので、無意識のうちに目をそむけ、自分は優れた人間なんだと思いこんでいる・・・そんなふうに見受けられます。
でも、外でも自慢話ばかりしているから、逆に底の浅い人間なんだということが他人にもバレバレなんですけどね。
男だからというより、被虐待モラと慢心モラの違いなのではないかという気がします。うちの母も慢心モラで、よく自慢話をしていましたっけ。
自分の中の自信がない部分を自分で受け入れられてないから高圧的になったり攻撃的になったり。
そして過剰な賞賛を求めます
時々、自信のなさを「売り」にして同情を集めて関心を獲得しようともしますよ
これがまたタチが悪いったら!(苦笑)
タラ夫は「男」だから弱気な部分を利用することはしないんですか?
そういえば、そういう記事は見たことないような気がします
>ひとを信じることができないのか?
タラ夫を見ていると、「ひとを信じることができない」というより、「自分を信じることができない、つまり自信がない」ように思われます。
いつも自信満々で高圧的だけど、一皮むけば(たぶん本人も無意識のうちに)自分に自信がない。だから常に他人より優位に立とうとし、他人からの賞賛を求めて、かろうじて自分を維持している。弱い犬ほどよく吠える、と言いますからね。
タラ夫はそんなふうに見えますが、アッちゃんのお母さまはどうなんでしょうか?