8月は寝たきりの生活になってしまった
とにかく気力が無い 起き上がれない 食事と最低限の身の回りのことだけ 午前中は気持ちよく寝れるのだが・・午後夜はとてつもなく時間が長く 眠れない横になった状態で悶々と又恐怖を伴いながら時間をやり過ごす・・そんな状態だった
何がそんなに無気力にさせたか・・・ 自分に対する高望みだ この病気になって13年 次第に年齢のこともあってか パソコン等だんだん付いていきにくい自分を感じながら 何か世の中の進歩に対し退行していく私の存在を認めることができない私が何かする気をそいでいた
やっと『君は君 それでいいんだ 片目で統合失調 それが君 できなくたってそれでいいじゃないか できることをすれば』やっと そう思えるようになった
『君の十字架を私は知っているよ だから安心して ついておいで』そう かの方に言われている気がした
朝 久しぶりに朝食づくり・ウォーキング(膝が絞られるように痛かったけど)・クリニック・午後 パソコン不必要なID・パスワードの削除等作業 この一か月で一番充実した一日
夕食を心から美味しいと思えた! なぜだろう? 食事している時誰かに 『君は何している時に喜びを感じるんだい?』『美味しいものを食べてる時?』と尋ねられた なぜ食事を美味しく感じられたのか?それは 一日が充実し 心から晩の祈りを捧げることができたからだ うつ状態の時(まだ その状態である)祈りは必死の叫びあるいは義務的おざなり空虚 また時に祈れないに陥る
一日の充実如何と祈りは密接な関係にある
けれど 今までの私に照らして言えば 陽性でも陰性でも祈りこそミサ・聖体御心・ロサリオ等最も大切で・・・食事よりも!
今日 食事が美味しく感じられたのは 神が感謝の恵みとして『美味』という喜びの贈り物を与えてくださった こんなに食事(自炊の)で美味しいと感じたことはない(出来不出来ではなく) 奇蹟(神の存在を証しする徴)だ!
それにつきると思う
生きててよかった!
AVE MARIA!