阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

小説家「庄野潤三」さんの奥様千壽子さんが亡くなられていた。

2018年01月03日 | 乱読は楽しい

阿智胡地亭が50年以上読んでいる作家は庄野潤三さんと野坂昭如さんだ。
庄野潤三さんは一家のことやご近所の事、住まいやその周辺のことをよく題材にされた。
 そのせいかご本人や奥さん子供さんはまるで知り合いの人のように自分の胸の内に住んでいる。
夫亡きあと千壽子夫人はどうされているか気になっていたが、今日次のようなコンテンツを知った。

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2017/12/01 (Fri) 09:50:30
新年のご挨拶に代えて

こちらのサイトに初めて連絡する庄野潤三の長男、庄野龍也と申します。
亡くなって八年以上になりますが、今なお、父の作品を懐かしみ、また新しい発見を共有して下さっている皆様方にまずは深くお礼を申し上げます。またこのような読者の皆様の交流の場を作ってくださった管理人様にも改めて家族一同の感謝をお伝えします。


さて、父は生前家族がマスコミに出ることを極力避けてきました。
私どももその遺志を守って参りましたが、年の瀬にあたり一つだけお伝えしなければならないことがあります。
去る6月2日に母、千壽子が永眠(享年91歳)致しました。最後は自宅でという母の希望通り、父と同じように生田の家で家族に囲まれて、穏やかな晩年を送る中、静かに旅立ちました。

なお、「山の上の家」の今後の利用については、敷地内に居を構える龍也家族が中心となり何らかの形で読者の皆様のお役に立つ方法がないか模索中です。例えば、父の仕事の現場に直接触れることで、作品への理解を深めて頂くようなことが出来ないかと考えています。

これからも皆様の傍らに父の作品があり、日々の生活に彩を加える一助として頂けるなら家族として優る幸せはございません。
どうか良き一年をお過ごしになられますように。

                 平成29年12月1日
                       庄野龍也
                       今村邦雄
                       今村夏子

引用元

 庄野潤三さんの本をどうするかは別にして、古本屋巡りもして購入した本を記録に残すことにした。









庄野潤三」。
1921年(大正10年)2月9日 - 2009年(平成21年)9月21日)は、日本の小説家。

kotobank.jp

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
小説家。大正10年2月9日大阪に生まれた。兄に児童文学作家庄野英二がいる。父貞一の創立した帝塚山(てづかやま)学院の小学部から、住吉中学、大阪外国語学校を経て九州帝国大学法文科で東洋史を専攻する。中学時代の国語教師に伊東静雄がおり、大学時代は島尾敏雄(としお)、林富士馬(ふじま)(1914―2001)らと交わり、1943年(昭和18)同人誌『まほろば』を刊行した。同年、戦時(第二次世界大戦)の繰り上げ卒業のあと、海軍予備学生から少尉に任官、伊豆で敗戦を迎えた。復員後、大阪府立今宮(いまみや)中学、市立南高校などに勤務するかたわら、1946年(昭和21)島尾、林らと同人誌『光耀(こうよう)』を創刊。『愛撫(あいぶ)』(1949)、『舞踏』(1950)などで注目される。朝日放送に入社後、1953年東京支社に転勤し、安岡章太郎、吉行淳之介(じゅんのすけ)らいわゆる「第三の新人」の仲間に加わった。『プールサイド小景』(1954)によって第32回芥川(あくたがわ)賞を受賞。
 初期の作品は、小市民の家庭の微妙な危機があらわされている。長編『ザボンの花』(1956)あたりからその危機は作品の背後に潜められるようになった。1957年(昭和32)ロックフェラー財団の奨学金を得てアメリカに留学、『ガンビア滞在記』(1959)を得た。このころ「第三の新人」たちの同様なアメリカ留学が続いた。さらに『静物』(1960)によって新潮社文学賞を受賞したあたりで名声は定まった。『浮き燈台(とうだい)』(1961)、『流れ藻(も)』(1967)、『紺野機業場』(1969。芸術選奨)などは聞き書き風の作品であるが、徹底して事実に即し、自分の見聞したことだけを書くという姿勢に貫かれている。『夕べの雲』(1965。読売文学賞)は、多摩丘陵の一角に居を構えた夫婦と子供たちのささやかに平和な日常を、細心のいたわりをもって描く。庄野文学の本領である。この作風は『絵合せ』(1971。野間文芸賞)、『明夫と良二』(1972。赤い鳥文学賞、毎日出版文化賞)と続いている。
 1970年代後半から80年代には、アメリカ留学の回想である『シェリー酒と楓(かえで)の葉』(1978)や『ガンビアの春』(1980)を、またイギリス旅行を機に『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(1984)を発表した。『ぎぼしの花』(1985)、足柄(あしがら)山の雑木林の中の一家の生活を描く連作小説『インド綿の服』(1988)などもある。1990年代以降になると、孫とのふれあいや老夫婦の生活などをテーマとするものが多くなる。『さくらんぼジャム』(1994)、『貝がらと海の音』(1996)、『ピアノの音』(1997)、『せきれい』(1998)、『庭のつるばら』(1999)、そして『夕べの雲』から35年の月日が流れ、2人になった多摩丘陵の老夫婦の暮らしを描く『鳥の水浴び』(2000)へと続く。その後の作品に『山田さんの鈴虫』(2001)、『うさぎのミミリー』(2002)などがある。
 なお、『クロッカスの花』(1970)、『エイヴォン記』(1989)などの随筆や、師友を回顧する『文学交遊録』(1995)もある。1973年(昭和48)芸術院賞受賞。78年芸術院会員となる。[鳥居邦朗]
『『庄野潤三全集』全10巻(1973~74・講談社) ▽『浮き燈台』(1979・新潮社) ▽『シェリー酒と楓の葉』(1978・文芸春秋) ▽『ガンビアの春』(1980・河出書房新社) ▽『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』(1984・新潮社) ▽『ぎぼしの花』(1985・講談社) ▽『エイヴォン記』(1989・講談社) ▽『さくらんぼジャム』(1994・文芸春秋) ▽『ピアノの音』(1997・講談社) ▽『せきれい』(1998・文芸春秋) ▽『庭のつるばら』(1999・新潮社) ▽『鳥の水浴び』(2000・講談社) ▽『山田さんの鈴虫』(2001・文芸春秋) ▽『うさぎのミミリー』(2002・新潮社) ▽『明夫と良二』(岩波少年文庫) ▽『ガンビア滞在記』(中公文庫) ▽『プールサイド小景』『文学交遊録』『貝がらと海の音』(新潮文庫) ▽『夕べの雲』『絵合せ』『紺野機業場』『インド綿の服』(講談社文芸文庫) ▽『ザボンの花』(角川文庫)』
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生田緑地で庄野家の方々を思う。→ こちら。

 


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