添田唖蝉坊:あきらめ節:土取利行(唄・演奏)
金々節 唄 小沢昭一
添田唖蝉坊・金々節 / 土取利行(唄・演奏)
添田唖蝉坊(あぜんぼう)
■☆ことばの旅人 ア、ノンキだね 添田唖蝉坊 心くみとる路傍の演歌師 〔朝日新聞2005・1.29〕 添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)のめいで横浜市で飲食店を営む添田ひささん(90)は柔和な笑顔を浮かべた。 横須賀で軍艦のサビ取りなどの日雇い仕事をしていた18歳の時、偶然聴いた壮士演歌が運命を変えた。 窮余の一策として歌い始めたのが演説の歌、つまり演歌だ。ざら紙に歌詞を印刷した歌本を1銭か2銭で売り、生活の糧にした。 メディアが発達していない時代、演歌師は「歌うジャーナリスト」でもあった。 <驚きは興奮に変わった……壮士節の奴めは、ずるずると私をひきずっていった>と、後の自伝で語る唖蝉坊、まもなく街頭でひとり、演歌を始める。 ストライキ節、ラッパ節、マックロ節などの歌本が飛ぶように売れた。そして大正7(1918)年に一世を風靡(ふうび)したのがノンキ節だ。 おれの嬶(かか)ァのお腹(なか)が膨張する いよいよ貧乏が膨張する ア、ノンキだね 官憲につかまっても、不条理から目をそらさず本音を歌った本物の人間です」。16歳で敗戦を迎えた音楽史研究家の小島美子さん(75)はこう評する。 「ノンキ節の歌魂は、戦争への道を開く空気を感じる現代にも通じる」 - 後 略 - |
明治5年11月25日(1872年11月25日) |
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