阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

添田唖蝉坊:あきらめ節:金々節 土取利行(唄・演奏)& 小沢昭一

2024年03月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

添田唖蝉坊:あきらめ節:土取利行(唄・演奏)

金々節  唄 小沢昭一

添田唖蝉坊・金々節 / 土取利行(唄・演奏)

添田唖蝉坊(あぜんぼう)

ことばの旅人 ア、ノンキだね 添田唖蝉坊  心くみとる路傍の演歌師  〔朝日新聞2005・1.29〕

これほどノンキに生きた、いや、ノンキをまとい続けた人はいないのではないか。

 「汽車賃と弁当代だけ持ち、旅に出て何日も帰って来ない。私服の刑事がいつもついてね。家族からは疎まれもしたけれど、自由気ままなおじさんが大好きでしたよ」。

添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)のめいで横浜市で飲食店を営む添田ひささん(90)は柔和な笑顔を浮かべた。

 唖蝉坊は明治から大正時代、主に街頭で歌った、今でいうストリートミュージシャンだ。明治5(1872)年、神奈川県大磯の農家の次男に生まれる。

横須賀で軍艦のサビ取りなどの日雇い仕事をしていた18歳の時、偶然聴いた壮士演歌が運命を変えた。

 日本が近代国家へと歩み始めた当時、民権論を唱える血気盛んな壮士は、藩閥政治に抗して演説会を開く。官憲がそれを弾圧する。

窮余の一策として歌い始めたのが演説の歌、つまり演歌だ。ざら紙に歌詞を印刷した歌本を1銭か2銭で売り、生活の糧にした。

メディアが発達していない時代、演歌師は「歌うジャーナリスト」でもあった。

<驚きは興奮に変わった……壮士節の奴めは、ずるずると私をひきずっていった>と、後の自伝で語る唖蝉坊、まもなく街頭でひとり、演歌を始める。

 72歳の生涯を終えるまで200近い曲を残したとされる。民衆の抵抗詩人は金権政治や日清・日ロの戦勝におごる世相を風刺し、その姿勢は異彩を放った。

ストライキ節、ラッパ節、マックロ節などの歌本が飛ぶように売れた。そして大正7(1918)年に一世を風靡(ふうび)したのがノンキ節だ。

♪膨張する膨張する国力が膨張する 資本家の横暴が膨張する

 おれの嬶(かか)ァのお腹(なか)が膨張する いよいよ貧乏が膨張する 

ア、ノンキだね

 この年、米騒動が起き、インフレで物価は高騰。デモクラシーが広がっていく。調子のいい民謡風の曲調が受け、ノンキだね、は流行語になったという。

 自身が作詞したノンキ節をLPに収めたフォーク歌手のなぎら健壱さん(52)は、「これは隠喩(いんゆ)ですから。ノンキでいられないと逆説的に言ってるんです。

官憲につかまっても、不条理から目をそらさず本音を歌った本物の人間です」。16歳で敗戦を迎えた音楽史研究家の小島美子さん(75)はこう評する。

「ノンキ節の歌魂は、戦争への道を開く空気を感じる現代にも通じる」  -  後  略  -

 
 

明治5年11月25日(1872年11月25日)
神奈川県大磯町生まれ。
昭和19年(1944年)2月8日没

「ああ金の世」-明治39年作詞・作曲・歌
 

ああ金の世や金の世や。地獄の沙汰も金次第。
   笑うも金よ、泣くも金。一も二も金、三も金。
親子の中を割くも金。夫婦の縁を切るも金。
   強欲非道と譏(そし)ろうが、我利我利亡者と譏ろうが、
痛くも痒くもあるものか、金になりさえすればよい。
   人の難儀や迷惑に、遠慮していちゃ身がたたぬ。

ああ金の世や金の世や。希望(ねがい)は聖(きよ)き労働の
   我に手足はありながら、見えぬくさりに繋がれて、
朝から晩まで絶間なく、こき使われて疲れ果て
   人生(ひと)の味よむ暇もない。これが自由の動物か。

ああ金の世や金の世や。牛馬に生れて来たならば、
   あたら頭を下げずとも、いらぬお世辞を言わずとも
済むであろうに、人間と 生れた因果の人力車夫(くるまひき)。
   やぶれ堤灯股にして、ふるいおののくいぢらしさ。

ああ金の世や金の世や。蝋色塗の自動車に
   乗るは妾か本妻か。何の因果ぞ機織りは、
日本に生れて支那の米。綾や錦は織り出せど、
   残らず彼等に奪われて、ボロを着るさえままならぬ。

ああ金の世や金の世や。毒煙燃ゆる工場の、
   危うき機械の下に立ち、命を賭けて働いて、
くやしや鬼に鞭うたれ、泣く泣く求むる糧の料(しろ)。
   顔蒼ざめて目はくぼみ、手は皆ただれ足腐り、
病むもなかなか休まれず。聞けよ人々、一ふしを。
   現代の工女が女なら、下女やお三はお姫さま。

ああ金の世や金の世や。物価は高くも月給は
   安い。弁当腰に下げ、ボロの洋服破れ靴。
気のない顔でポクポクと、お役所通いも苦しかろう。
   苦しかろうがつらかろうが、つとめにゃ妻子の(あご)が干る。

ああ金の世や金の世や。貧という字のあるかぎり、
   浜の真砂と五右衛門は、尽きても尽きぬ泥棒を
押さえる役目も貧ゆえと、思えばあわれ、雪の夜も、
   外套一重に身を包み、寒さに凍るサーベルの、
つかのま眠る時もなく、軒端の犬を友の身の、
   家には妻の独り寝る、煎餅布団も寒かろう。

ああ金の世や金の世や。牢獄(ろうや)の中のとがにんは、
   食うにも着るにも眠るにも、世話も苦労もない身体。
牛や豚さえ小屋がある。月に百両の手当をば、
   受ける犬さえあるものを。「サガッチャコワイ」よ神の子が、
掃溜などをかきまわし、橋の袂(たもと)や軒の下、
   石を枕に菰(こも)の夜具、餓えて凍えて行路病者(ゆきだおれ)。

ああ金の世や金の世や。この寒空にこの薄着。
   こらえきれない空腹も、なまじ命のあるからと、
思い切っては見たものの、年取る親や病める妻、
   餓えて泣く児にすがられて、死ぬにも死なれぬ切なさよ。

ああ金の世や金の世や。神に仏に手を合わせ、
   おみくじなんぞを当てにして、いつまで運の空頼み。
血の汗油を皆吸われ、頭はられてドヤサレて、
   これも不運と泣き寝入り、人のよいにも程がある。

ああ金の世や金の世や。憐れな民を救うべき、
   尊き教えの田にさえも、我儘勝手の水を引く。
これも何ゆえお金ゆえ、ああ浅ましき金の世や。
   長兵衛宗五郎どこにいる。大塩マルクスどこにいる。

ああ金の世や金の世や。互いに血眼皿眼(ちまなこさらまなこ)。
   食い合い奪(と)りあいむしり合い、敗けりゃ乞食か泥棒か、
のたれ死ぬか、土左衛門、鉄道往生、首くくり。
   死ぬより外に道はない。ああ金の世や金の世や。

他にもこちらに歌があります。

唖蝉坊の足跡はこちらにも、あります。

 
 

 

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